遠雷と空虚のあいだに 1
祝祭日の露店に見る黒蜜飴のごとく、鈍い光沢のある小さな硝子石たちがある。
それはサラの足元の土中から鱗のように顔をのぞかせていた。
足元だけではない。眼前の広大な窪地の見渡せるかぎりの全面から、その細波石が砂土のあいだに見え隠れしている。おそらく上に被さった土を全部取り除けば、敷き詰められたように覆われていることが認められるはずだ。
こういった場所では必ず見ることができる奇妙な石くれである。神古代文明研究者たちが、破滅の戦いの時に殺戮兵器の高温で焼かれて硝子質化した土だと主張しているものだ。
サラは顔を上げ、巨大な擂鉢の縁に立って周りの景色を見渡す。遠景に山並みなどが一切ない茫漠の地のために、強大な空の世界に地平が溶け込んでいた。魂が風の中に拡散するような圧倒される広大さだ。
その空の強権が確立された風景の中に、建物の面影を微かに残した小さな丘があった。まるで空に押し潰され、朽ち果てたかのようだった。窪地周辺を中心として広範囲に散在している。
似たような印象の奇妙に歪んだ低い塔のような物もあった。ぽつりぽつりと物言わぬ立ち居で、小さな丘よりも疎らに散らばっている。そのさまは天空の絶対神によって断罪され、乾いた泥塩の柱となったコヴィンの民を思わせた。
そういったものたちに空いた無数の暗い孔は、どこか物悲しく不気味である。もし建物に魂が有ってそれが残っていたならば、悲嘆の声が風に乗って幽かに聞こえてきただろう、そう思わせる姿である。
遥かな昔、輝ける旧世界は古代神人と星界人との戦いの焔に焼かれ、滅びたといわれている。
古き言い伝えに栄華を謳われた数多の都市も、その時の破滅とそれに続く永劫のために、こういった崩壊寸前の遺跡となっていた。この都市がどのような名で、どういった人々がここに暮らしていたのか、もはや誰にも分かりはしないだろう。
名も無き朽ちるに任せられた古代都市の残骸は、そうやって忘却の縁から無の深淵にゆっくりと堕ちていこうとしていた。
旧世界の巨大な死体のような空虚、それに自身が同化して生命の熱が奪い去らていく。
サラは今、無理に言葉にすればそんな風になる喪失の感覚の中にいた。
しかし、それはサラにとって、けして不快なものではなかった。同時に、自身の心の内奥にある腸を焼き尽くすような黒く熱い塊が、どこかへ溶けて無くなるような気がしていたのだ。
サラは立ち尽くす。
蒼穹はどこまでも蒼く、ただ在る。
それでも、彼は生きていて、この蒼に溶けてしまえるわけではなかった。
やがて、サラと時を同じくするものが静寂の世界に侵入し、彼の空寂と平安の世界は終わりを告げられる。
ふとサラは漠土を渡る風に飛空艇の航行音が聞こえたような気がして耳をそばだてる。
わずかの内に、はっきりと音が彼の耳に聞き取れるようになった。間違いなく飛空艇の圧射推流モーターの音だと少年は確信した。自身の方に近づいてくる気配がする。
この圧推モーターとは、圧縮空気と精製燃素を混合燃焼させて発生させた膨張ガスを、一定方向に噴射することで推進力を得る動力機械のことである。一般的な飛空艇の推進機関は全てこの動力機械が用いられている。
サラは少し不審に思う。この辺りは飛空艇の交易航路から外れているはずなのだ。はっきりと航路を知っているわけではないが、ここ二日間は飛空艇の影すら少年は見ていなかった。
思わず少年は舌打ちした。方位磁針を頼りに西イスタリア海に面した海岸線を目指し、隊商路から外れた道なき漠土を彷徨っているのが馬鹿みたいだ、そう感じたのである。せめてもの救いは、悪目立ちする彼の戦機人を岩みたいな物の陰に停めていることだ。
少年は心の中でこれ以上、飛空艇が近寄らないことを願うが、その望みはかないそうにも無かった。圧推モーターの音は彼の耳に大きくなる一方である。
サラは薄皮の手袋で覆われた右手で漠土マントのフードを持ち上げ、広がった視界に艇影を探す。大きくなったモーター音で見当をつけ、その方角に顔を向けて大きく見渡した。
遮光ゴーグルに隠されたサラの瞳が空中に飛空艇の姿を捉える。二艇のようだ。
前の白い一艇が向きを変えた。後ろの灰青色の艇もならう。
再び前の艇が旋回、後続も追従する。
艇音も高く低く唸っている。
その目まぐるしい機動と艇音が、二艇が空戦かそれに近い状態にあるとサラに教える。
『後ろのヤツ! パラカン帝国の戦列砲艦か!?』
飛空艇は二艇ともかなり大型のもので、後ろから追いすがる獰猛な肉食鳥のごとき一艇は、遠目だったが特徴的な艇影からサラにも見覚えのある軍用飛空艇とわかった。
カンルテンカク級戦列砲艦。近年になってパラカン帝国軍に配備されだした高速重装甲の艦艇である。数こそ少ないもののイスタール戦域での絶対的な空の支配者だ。サラは忌々しい思いで地上からさんざんに見上げていた。
サラは訝しげに呟く。
「奴ら、何でこんな所にいる?」
イスタール皇国がすでに降伏していたとしても、このような早期に帝国軍の主力級艦艇が直掩艇もつけずに単独飛行しているなど、軍略に詳しくないサラにしても有りえない気がする。
ならば、白い飛空艇が追跡なしい探索されて捕捉された、そう見るのが妥当であろう。サラはそう考えた。
少年はどうしたものかと下唇を少し噛んで思案を続ける。あの白い飛空艇には絶対に重要なものが乗っているに違いない、それが少年にも確信できたのだ。
後方の軍用飛空艇から前方の白い飛空艇に向かって、暗灰色の噴煙を長々と引きながら黒い影が五、六個走る。遅れて大気を裂く蛇の威嚇のような轟きが、空を渡ってサラの耳に届いてくる。
サラは奥歯を噛む。放たれたのが噴進弾だと気づいたからであった。独特の轟きは、酸素を必要としない固形推進薬を使ったロケット・モーターの音である。
帝国軍が飛行艇に搭載して使用する噴進弾は、新技術を使った高性能で知られる。この金属性目標に対して近接起爆する噴進弾は、パラカン帝国が今のところ世界で唯一、実戦配備している兵器である。
他国が使用している噴進弾は、着弾による起爆か時限起爆による爆発しかしない為、地対地で用いられるものが多い。飛空艇の武装として設置されている場合は、弾幕を張るように十数発から数十発の噴進弾を、一斉に前に放つような仕様になっている場合がほとんどだ。
むろん帝国の対空型の噴進弾は、炸裂とともに小鉄塊を周囲に猛速でばら撒く榴散弾であるから、重装甲型の軍用飛空艇には効果は限定的なものでしかない。だが機銃しか積んでないような軽装甲型の飛空艇には、絶大な威力を発揮する凶悪なしろものだった。
空を突き進んだ影は、瞬く間に白い飛空艇を追い抜くと次々に爆発した。おそらくは近接式と時限式が組み合わされた特殊な信管であろう。普通の新型噴進弾とは起爆の仕方が違っていた。
そして爆発した直後に、太陽光を反射してきらきらと輝く無数の何かを、噴進弾は空の一角にばら撒いた。小鉄塊を猛速で全方位にばらまく榴散弾仕様ではないらしい。
舞うように宙に滞るそれに、白い飛空艇が避ける間もなく突っ込む。少しの間、何事もなく飛び続けたが、すぐに小さな火が飛空艇の翼の辺りに現れた。
サラはどうなることかと思ったが、その火はすぐに消えたらしく見えなくなる。だが、直後に発生を始めた白い煙は収まる様子もなく、飛空艇は航跡雲のような筋を後ろに引きずっていく。
白い飛空艇は圧推モーターに不具合が引き起こされたのだろう、飛翔速度が目に見えて落ちていった。高度も徐々に下がり、歪んで押し潰された塔に遮られてサラの視界から見えなくなる。
少年が空を見回すと帝国軍の戦列砲艦はその後を追わず、大きな弧で旋回していた。
サラは踵を返す。急いで繋いであった自分のラマ馬の所まで戻り、岩から手綱をほどいて背によじ登る。
彼はちらりと背後を振り返る。岩のようなものの陰に、自らの所有する黒い金属の巨人が、胎児のように手足を縮めているのを認める。不思議なことに地面からわずかに宙に浮いている。
その漆黒の巨人が笑ったように少年は感じる。
『こいつ、喜んでいるのか?』
むろん金属の顔は、人間のように表情を作るように出来てはいない。だが、何故なのか、彼の心はそういう風に感じ取ったのだ。
少年には、古代の廃墟に与えられた平安な気持ちが、この戦いの予感に霧散させられたことを、金属の怪物が喜んだように思えたのである。
サラはみずからも歪んだ笑いを返し、漠土マントの口覆いを引き上げる。
ふとサラは極東夷の地に伝わる羅刹の説話を思い出す。子供の血肉を好んで喰らい、霊力を持ちいて雷雲に乗って空を駆け、都の美女をかどわかす悪鬼の話である。子供の悪戯や娘の一人歩きをたしなめる為に同地でよく話される類のものである。
かの悪鬼は好戦的でもあり、姿を装神甲に変化させては戦場で暴れ回り、名だたる装神甲を打ち倒して、乗り手に誉れと狂気を与えるという。やがて天法の教えに帰依するのだが、それまでの間に万の装神甲を倒し、千万人を殺して喰らったというのだ。
少年は踵で馬腹を蹴る。ラマ馬がのそりと駆けだした。あまり素早い動物ではないので緩慢な動作である。
ラマ馬とは飛空艇などに乗らずに、広大な不毛の地である漠土を行く旅人には欠かせない生き物だった。発酵物をたくさんの胃に貯め込むことによって、飲食物の欠乏に良く耐え、毒素のあるといわれる漠土の砂土も口や鼻のつくりで入らなくなっている。
サラは白い飛空艇の残した薄い煙を追って、古代都市の廃墟群の中を進む。高度を落としていく艇体は、彼が戦列砲艦から自身を隠す意図で近づいた廃墟群の向こうに見えなくなっていた。
ラマ馬の足を止め、サラが廃墟の丘の陰から戦列砲艦の位置を確認する。右手前方の低空をゆっくりと旋回している。わずかに傾いた艇体の背中が太陽の光に白っぽくなり、操舵座や銃座の硝子の辺りが陽光を反射して一際まばゆく輝いている。
旋回を終えた戦列砲艦は腹から巨大な三つの車輪脚を出してさらに下降していく。
艇首が少し引き起こされた。主翼の前後の縁が後ろに伸び、翼が大きくなっている。圧推モーターの音が小さくなった。
漠土の土が盛り上がってできた丘の向こうに戦列砲艦の姿が消えていった。しばらくすると、大きくなった圧推モーターの制動噴射の音が遠く少年の耳に届いてきた。
サラは再びラマ馬を進ませる。かなり巨大な遺跡群なので、彼がそこを抜けて視界を遮るものの無い所へ出た頃には、白い飛空艇の本体は空から完全に見えなくなっていた。
白い飛空艇の噴いた煙の痕跡から、サラは見当をつけた丘の裾まで来る。そこでまたラマ馬を止めて今度は背から下り、見つけた岩の塊に片手で器用に手綱を巻きつける。それから少年は丘を小走りに上っていく。足元は軟らかい土だったが大きく崩れるほど脆くはなく、彼は苦労しなかった。
丘のてっぺんのなだらかになった所で足を止め、サラは向こう側を見渡す。彼の思った通り、少し離れた所に着陸した戦列砲艦が見える。上手い具合に、その向こうに不時着した白い飛空艇も視界に入っていた。
二艇は平らかな場所を選んで着陸していた。そこだけ平らな地面が長く続いている様は、干上がった大きな河の痕跡にも見える。実際、そうなのかもしれない。
サラはさらに前に進むと、地面に腹這いになって目元を覆っていた遮光ゴーグルを外した。
血のような赤。
少年の瞳は真紅の色をしていた。それは日の光が入ると透けて輝き、まるで紅玉を思わせる綺麗な色合いだった。しかし同時にそれは、先天的な人体遺伝子の欠損による色素の不生成を示すものでもあった。
サラは漠土マントの腰の辺りを右手で払いのける。その下で肩から提げていた鞄の中をまさぐり、すぐに取り出した小型の望遠鏡を目に当てた。
少年は左手が使えないのか、何度も顔から外しては歯と右手で小刻みに倍率を調整していく。苦い味でもしたのか、幾度も唾を地面に吐き捨てる。
東方の諸々の国人に恐怖をもって語られる、全長七十メルトにもおよぶ雄大な軍用飛空艇が、望遠鏡で拡大されてサラの目に映っていた。
浅い角度で後退した肉厚の主翼が、円筒形の胴の高い位置から少し下に傾いて突き出ている。高翼下反角という形式だ。その主翼の片方ずつに二基の大型圧推モーターが釣り下がっている。大型艇らしく翼長は長めで幅はそれほど広くなかった。
主翼と胴横にはパラカン帝国軍の国籍標識である赤菱に大白丸が描かれている。背中の主翼周りの平らな部分からは三対二列の六基の小さな円錐が見えた。飛空艇の重量を軽くする浮揚器である。この機器おかげで重装甲の飛空艇でも安定して空が飛べるのだ。
特徴的なのは紡錘形の艇首の下部の、箱のような瘤から突き出た主砲一門である。主砲は飛空艇に搭載するものとは思えないような、長砲身大口径の砲が備え付けられている。またそれだけでなく、全身から多くの機関砲や重機関銃が突き出ていた。
戦列砲艦にいち早く動きがあった。切り落とされたような艇尾の円形の中から、四角形の蓋扉が上に開く。地面と水平になったところで動きは止まり、巨大な開口部を現した。
つづいて艇尾下の一部が下に傾き、ちょうど渡し板のような感じで地面との間に坂路をつくる。すぐさま黄土色の鉄帽と同色の野戦軍装をした四十から五十名ほどの一団が降りてきて、艇尾の周りに散開した。一様に歩兵銃を両手で捧げるように持っている。
最後尾に降りてきた二名は歩兵銃を手に持っていなかった。代わりに二人で軽機関銃の左右に突き出た携行取手を両側から握り、それを運搬していた。一名は体に給弾帯を幾重かに巻きつけ、もう一名は背中に換えの銃身を負っている。
転じて白い飛空艇の方だが、こちらは見たところ未だ動きは無いようにサラには見えた。
少年はいぶかしげに眉をひそめる。この見たことのない形をした飛空艇はどことなく古めかしい感じで、武装らしきものがどこにも見当たらないのだ。
白い飛空艇は大きさこそかなり大型の部類でカンルテンカク級の三分の二ほどもある。しかし、主翼は上翼の大きな複葉型で支柱と張線で補強され、圧推モーターも下翼の胴体近くに、さして大きくない一対があるだけである。地についた車輪脚も飛行中に引き込むことができない固定型である。
小甲板のごとき張り出しのある艇尾の上の垂直尾翼も、一昔か二昔も前の魚の鰭のような型だ。翼も圧推モーターも尾翼も、優雅ではあるが性能の方を期待できるようには見えなかった。
その垂直尾翼に図形が描かれていることに少年は気づいた。白い星が縁取る青い円の中に、繊細な白い花を挟んで金色の月と太陽である。複雑な形から軍用艇につきものの国籍標識の類ではないと見当がつく。おそらく都市か氏族の紋章だろう。サラは見たことがないものだ。
戦列砲艦に再び動きがあった。蓋扉の奥の貨物槽の暗がりから茶褐色の戦機人が現れたのだ。手足を折り曲げて身体を縮めた格好のそれは、貨物槽の天井にある軌条から鉤のような治具で肩の辺りを吊られて前に進む。さらに蓋扉の下までつづく軌条の突き当たりまで進むと、治具が跳ね上がるように開いて巨体が落下した。
戦機人は地に落ちる前に手足を伸ばす。着地の瞬間、身を縮めて衝撃を軽減させる。
土煙が足元に発つ中、戦機人はおもむろに体を伸ばす。微かに頭部からは〈導恩現象〉である紫電が光った。
はじめに現われた戦機人は、すぐに移動してその場所を空ける。続いて二領目の戦機人が現れ、さらに同じようにしてもう一領、つごう三領の戦機人が漠土に降り立った。
戦機人または装神甲と呼ばれる人の形をしたこの機械は、成人男子の五、六倍ほどの大きさがあり、厚い装甲とそれを俊敏に動かす筋肉や動力源を持った、強力な陸戦兵器である。特にパラカン帝国の戦機人は、現代に造られた新製代の物にもかかわらず、高い性能で知られていた。
三十三式戦機人キョウカク二型。パラカン帝国軍においてもっともよく見られる型の戦機人の一つである。
キョウカクは手足がずんぐりと太く短く、安定感のある体つきをしていた。頭部は六角の深鍋を逆さにかぶせたような、造りやすさを優先したと思わせる無造作な意匠である。
その頭部の人間でも目にあたる部分に、それを模したと思われる色硝子がついていた。しかし通常の新製代戦機人は、胴体にある操鞍腔の内部から覗き窓で外を見る造りになっている。このような飾りの眼が必要だとはとても思えない。その為に生産性を優先した装甲全体の造りとは、どこかちぐはぐな感じがしていた。
足に比べれば長く感じるキョウカクの両手には指が無い。太い棘の生えた棍棒そのものといった感じのものがあるだけだった。全身を覆う装甲の継ぎ目は無骨なリベットの丸頭で縁取られ、両手の形と合わせて何とも恐ろしげな意匠だった。
また、左右の肩覆甲にはそれぞれ菩提樹と対の鳳という帝国の紋章と、赤菱に大白丸のパラカン帝国軍の国籍標識をあしらってあった。左胸の小さな熊犬の図柄とその下の記号と数字の連なりは部隊識別だろう。
帝国の空挺歩兵は戦機人三領が揃うと、それを前面に押し立てて白い飛空艇に向かって前進を始める。操士各一名が搭乗する戦機人三領に一個機関銃分隊十名、一個擲弾銃兵分隊十名、一個衛生銃兵分隊十名、二個小銃歩兵分隊二十名と内一名の小隊指揮官、これら計五十三名。帝国軍空挺装甲小隊の編制どおりの陣容である。