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海図と批准書 1

 ショアルは振り返ってサビヤたちを見た。全員が呆れていた。

 それは胸の痛くなる光景だった。先頭に外套の頭巾を被った人物が、体を不規則に揺らしながら錫杖を突いて歩いている。体の上下動が激しく、歩き方がぎこちない。足首や膝が折れ曲がり、足裏でなくて足の側面を付いて歩いていた。足が変形していると一目で分かった。

 その後ろには、体つきが極端に細く身長が三メルト近くあるような男が、ゆっくりとした動きでラマ馬の手綱を引いている。手足が極端に長く、一種の水棲昆虫を思わせる。

 ラマ馬は毛並みの艶の無さから老いているとわかった。粗末な荷車をとぼとぼ引いている。その棒切れを組み合わせたような荷台には小さな人影がいくつか見えた。

 荷車の周りにも数人の人影があり、全員が頭巾付きの外套を被って、何人かが錫杖を手に持って突いている。先ほどの金属の打ち合う音は錫杖の先端にある遊環(ゆかん)が鳴る音だった。

 唐突に扉の閉まる音がする。木製の扉の音のようで、彼らの手前の十字路の向こうにある、道路わきの建物の、その影の辺りからのようだった。

 音のした方の霧の中から、すぐに人影が現われた。はっきり見えるようになると、ふくよかな顔をした背の低い若い女性だとわかった。

 女性は頭に花草模様の日よけの白布、上下一つなぎの薄手の白い長袖の外衣に、色帯を巻いただけの服装だ。風通しの良い沿海州の民族服である。クシャス市の人だろう。彼女は似たような服装の三歳くらいの幼女の手を引いている。

 厳しい表情を女性はしていた。娘らしい幼女はぼんやりと石畳に視線を落としている。

 彼女は停まっている自走車の方を見て驚き、一瞬、足を止めかける。しかし、すぐに厳しい表情に戻りながら、そのまま真っ直ぐ行列に近づく。

「あの……この娘、言葉が喋れないんです」

 女性は幼女の手を離し、頭巾を被った人物の一人に押し出す。

「この娘の名前は?」

「ありません……忘れました」

「親が最後にしてやれ祝福です。名前をつけてやってください」

「この娘を産んで、どれだけ家人にわたしが責められたことか……もう十分です。少しですけどこれを」

 クシャス人女性は幼女の手と反対の手に持っていた袋を渡す。重たげな様子から食料と少なからぬ金銭が入っているらしい。彼女の身なりはけして裕福なものではなかったので、精一杯のものを用意したのだろう。

 頭巾の人物がぼんやりと立っていた幼女の手を握る。女性は安心したのか踵を返し、何も言わずに足早に歩き出した。

 幼女は何となく事態を飲み込めたのか、顔を歪めて泣き出した。やはり声は出せないのか、不規則な呼吸の強い音だけが霧の中に流れる。

 女性は肩が震えたものの振り返らずに立ち去り、やがて霧の中から扉の閉まる音が聞こえた。

「何よ、あれ!」

 サラとともに車外に降りていたショアルが、憤然とした様子で霧の中にクシャス人女性を追いかけようとする。

「止めろ、ショアル!」

 サラの言葉で彼女の足が止まる。睨むような視線を彼に向けてきた。

「どうしてよ」

「どうなるもんでもない」

「そんなことないわよ!」

 ショアルが反射的な感じで言い返してきた。彼女の考えの根拠が解らず、サラは一瞬、言葉に詰まる。

「……そんなことあるんだ」

「母親なのよ! あるわけないでしょう」

「それにクシャスにいたらたぶん不味いことになる」

 言葉を発した後でサラの顔が苦く歪んだ。

「どういうこと?」

「いずれパラカン帝国がくる……ヒルコ狩りに遭えば命は無い」

 サラの声はかなり小さく抑えられ、間近のショアルにも聞き取りづらかった。

「えっ? ヒルコ狩り? それって何? って、ちょっと待ってったら!」

 困惑するショアルから慌てたようにサラは離れて、ヒルコ行列の先頭の人物に近づく。眉毛の濃く馬面の男である。

「おっ、誰かと思えばサラじゃないか、久しぶりだな」

「ああ」

「もう、久しぶりに会った仲間にもそんな調子なの」

 後ろからかけられたショアルの声に、サラは身をすくませて振り返る。一行全員がいる。

「誰なんだ、この方たちは?」

 馬面の男の問いかけにサラは少し考え込んだ。

「……知り合い」

「他に言いようがないの」

 ショアルは呆れた様子でため息をつく。気分を変えようとしているのか、少し揶揄するような調子だった。

「えっ? 何て言えば……」

「わたしたちはテベル同盟関係者です。漠土でパラカン帝国軍に襲われていた所を、この人に助けられたの。サラって氏族名ってなんだったかしら?」

「サウラヲミだ」

「そうサラ・サウラヲミに助けてもらったのよ、うん。あっ東方名だからサウラヲミ・サラか」

 馬面の男は困惑している顔だ。

「はあ、さいで……それでどういったご用件で?」

「えーと、私たち何で来たの?」

 ショアルは振り返ってサビヤたちを見た。全員が呆れていた。


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