昼下がりの影は濃く 2
翌日、工場の親方は昨日の打ち合わせの通り、早朝からパラカン帝国製の戦機人を解体する作業に取り掛かった。
人体を思わせる構造をした戦機人を解体する作業は、立ち会う皆が酷く気の滅入るものだった。建屋の床の上など、動機体から流れ出た体液で赤黒く染まっている。周囲に廃液溝が無かったら、もっと酷いことになっていただろう。
そして予想通り、戦機人からは至源炉などに関する新たな発見は無かった。工場内の雰囲気は冷え込み、皆の気分ばかりが落ち込んでいく。
外出して所用を片付けてきた親方は、徒弟たちに次の指示を与えながら、屋外から大扉を通り抜けて建屋に入る。
その時になってサラの姿が親方の目に止まった。少年は皆の集まりから離れた所に一人で立っている。戦機人の廃棄部品の山の前に昨日と同じ漠土行の姿のままでいた。
親方は何か感じるところが有るのか、サラに真っ直ぐ近寄っていく。そして親方は頭を下げつつ顔を横に倒し、彼の目深に被られた漠土マントのフードの下の顔をのぞき見た。
頭を上げ戻すと、唐突に手を伸ばして親方はサラのフードを払った。仄暗い工場の隅で、色素の欠乏した白色の髪と、血の色を透けさせた赤い瞳が露わになる。
「てめぇ! やっぱりヒルコか」
工場内に居た者の視線がすべてそちらに向く。
親方が強くサラの胸を押した。
「あっ」
サラが後ろによろけ、転がっていた廃材に足が取られたらしく、そのまま廃材の山に倒れこんだ。
「ここはヒルコなんぞが来ていい場所じゃねえ! とっとと失せやがれ! 工場が腐っちまう」
親方の剣幕はあまりに唐突で、周りの者はあ然としてしまう。無為に事の成り行きを見守ったかっこうだ。
「何だぁ、その眼は! ヒルコの分際で偉そうに。この糞虫が、しばき倒してやる!」
親方は拳骨を握り締め、それを振り上げてさらに怒声を放った。
ショアルは突然の怒号に驚いて声の方を見る。サラが廃材の中に倒れている。親方がそんな少年を睨み下ろしていた。
凍りついたような時間の中、ショアルはとりあえずといった感で小走りに近寄っていく。つば広の麦藁帽の縁と綿織りの婦人服のスカート裾が揺れる。
ショアルは何か言おうと口を開きかけたのだが、サラが漠土マントの下から取り出したものを見て凝然とした。サラは黒光りする回転弾倉のピストルを親方に向けていた。彼が撃鉄を親指で起こすと弾倉が一弾分回り、小さな金属音が発つ。
親方が数歩、後ろへ退く。
「てっ、てめぇ! 何のつもりだッ! 拳銃なんか出しやがって何様のつもりだ。この糞ヒルコがっ!」
親方は最初のうちは驚いたらしく声もつっかえがちだったが、途中からは怒りで理性を失ったような大声を出していた。
サラの顔色が青白くなる。そうなりながらも少年の眼つきに鈍くそれでいて硬いものが表れる。
親方がサラに向かって一歩踏み出しかけた時、ショアルはそれよりも早く近づき、倒れ込むように横合いから少年のピストルに両手を掛けた。
はたしてサラの手に握られたピストルは、轟音を発して弾丸を発射したのだが、間一髪ショアルの手が押し退けて狙いを外させていた。弾丸はあさっての方向へと飛んでいき、工場のブリキの壁に小さな穴を穿った。
ショアルは自分の体が自分のものではないみたいに感じていた。血流が滞ったように指先が痺れ、ピストルの硬く冷たい感触も、それを握るサラの指に触れている感覚も、彼女にはどこか遠いのである。
「あっ」
ショアルは小さな驚きの声を洩らした。サラのその手が微かに震えていることに彼女は気づいたのだ。
「親方止めるんだ。その少年は我々の関係者だ。あのパラカン帝国の戦機人も彼が漠土で撃破したものだ」
デュバンも慌てたように駆けつけ、親方の隣に立って彼を制止した。親方は呆然自失の体で、衝撃から覚めやらぬさまだった。彼の声を聞いているかどうかも怪しい。
「いったいなんだってヒルコに撃たれなくちゃいけねぇんだ。ヒルコがそんなことしていいのかよ? おかしいだろ。絶対おかしい! 糞っ、ヒルコなんかに何で俺が……そんなの絶対間違っている」
「聞いてくれ親父さん。解体検分の立会いはわたしが認めたんだ」
「だっておかしいでしょ旦那! こいつヒルコなんですぜ」
親方はデュバンの声に応えず、だんだんと激高していく様子だった。
「親父さん、頼むから落ち着いてくれ」
「畜生、警邏隊に訴えてやる……そうだ! 殺人未遂だ! こいつのやろうとした事は殺人だ。わしを殺そうとしたんだ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 親父さん」
デュバンが大きく叫んだ。
「罰しないなんて間違ってる! 訴えて捕まえさせるんだ。それなら何の問題ない。これはクシャスの法律だ! クシャスの法律なんだ!」
ショアルもデュバンも声が無い。親方がしかるべきところへ訴え出れば、サラの捕縛は確実だと二人にも判る。どんな国や都市の法であっても、自国民の殺害を見逃すことはない。未遂でもそれは同じことだ。
列強国人でないサラは良くて重禁錮、普通なら死刑だ。下手をすれば残酷な方法で死刑にされ、凶悪犯罪者として腐れ崩れるまで死体は刑場に曝されるだろう。
そして、どのような国家にも所属していない彼は、何かが後ろ盾となって人権を保障してなどくれはしない。ヒルコであれば裁判さえまともに開かれないかもしれないのだ。
サラはどういった法にも守られていないのである。それこそ逆に被害者となって殺されても、道端に打ち捨てられて終わりである。どこかに墓でも掘ってもらったら幸運と言えるかもしれない。
何かを思いついたらしくデュバンの口が開きかけた。しかし、その口は一言も発することなく閉じられる。彼はサラの方に目を向ける。ショアルも耳に入ってきたサラの声に気づく。彼が小声で何か言っている。それは細く小さな声だった。
少年の顔が歪む。奥歯を噛み締めて眦が吊りあがる。サラが声を絞り出した。
「……オマエ、俺が死んだらどうするつもりだった? オマエに力任せに殴られたら、俺は死ぬかもしれないんだ!」
サラの眼の光は強く、鋭いものに変わっていた。彼の心に憤怒の炎が点っているようにショアルには見えた。
「知るか! それが何の関係がある」
「俺を殺してもクシャス市はオマエを罰するのか!」
「なにを言ってやがる!」
「違うだろ! 俺を殴り殺してもオマエは何のお咎めも無いだろうが!」
絶句するショアルとデュバンだが、サラの緊迫をはらみ続ける声音に、二人は少年の表情に注視する。
その血の色を透けさせた赤い瞳にも、硬く引き結んだ口元にも、抗う意思が溢れていた。脆弱さを感じさせるヒルコの体から、生命の根幹的な何かが放射されている。
少年の心はけして法の権威に屈していない、そう誰にでも見て取れる。それは法治国家に生きるショアルとデュバンの二人には、信じ難い態度だった。
「そんなの当たり前だろうが! 何でヒルコの為にわしが罰せられなきゃならんのだ。ふざけるな!」
「何が警邏隊だ! 何が法律だ! クソ食らえだ! 俺を守らない法に何で俺が従わなくちゃならない! ここで死ねよ、オマエ!」
再びサラがピストルを親方に向かって突き出そうとし、ショアルはそうはさせじと手でそれを押さえる。
「やめて! 撃たないでサラ!」
「糞ヒルコが! オイ誰でもいい、警邏隊の屯所に走れ!」
その親方の言葉を聞き、デュバンが愕然としたようだった。思わずといった風に彼は棒立ちになっている。
デュバンが気づいたように、サラとクシャス市が争うことにでもなれば、大変な事になるかもしれない。常備軍を持たない市の戦機人の保有数は少なく、警邏隊の新製代戦機人がせいぜい十領ていどであろう。むろんパラカン帝国製には及びもつかない性能でしかないはずだ。それに被朝貢によって守護義務を負うイスタールも、その能力はすでに消失していると考えられる。
これでは少年の所有する黒い戦機人を撃破できる可能性はかなり低いと言わざるを得ない。彼を戦機人に乗せてしまったのなら、クシャス市自体が滅ぶかもしれないのである。
しかしそれでも、少年がそうしようとした時に、その行動を止めるべき正当な理由は誰にも見出せないだろう。クシャス市の法が少年を護らないどころか殺すというのなら、市に所属していないサラを法に従わせる道理がない。
また、例え黒い戦機人を撃破できたとしても、親方自身も死人が幾人も出るような騒乱を起こしたとなれば、原因を作ったとして罰せられるはずだ。市への賠償として財産の没収くらいは十分ありえる。
そんな中、十代半ばくらいの徒弟の一人が、建屋から戸外に走り出そうかどうしようかと迷っているそぶりを見せる。
「行くな! 警邏隊には連絡するな」
咄嗟にデュバンが制止の大声を上げていた。
「な、なぜですか旦那!」
親方は酷く傷ついた様子だった。まるで信じていたものに裏切られたといった顔をしている。
「親方も聞き分けてくれ」
ショアルは押さえていたピストルから手を離すと、弾かれたように立ち上がる。そしてサラとの間に立ち塞がるようにして、親方に向かって大きく一歩進みでた。
「謝りなさい!」
ショアルの大声は鋭くしなった。
だが、親方はそれが耳に入らないのか、目の前に立ちふさがった彼女にただ目を剥いただけである。
「サラに謝りなさい!」
今度は力の限り叫んでいた。ショアルは反応の鈍い親方に苛立ちを募らせ、建屋の隅々にまで響き渡る裂帛の大怒声を放っていたのである。
「……はぁ? 誰に謝るって……あっしがこいつに? 何であっしがヒルコなんかに謝らなくちゃ……」
ショアルの激しい怒気の宿った鋭い視線で見つめられ、親方は顔色を無くした。広く畏敬の対象であるナガン神王族の叱責に、さすがに萎縮しているようだった。
親方が無言で顔なじみのデュバン艇長の方を見るのだが、彼は首を軽く横に振って謝罪を促している風である。
親方は意気を挫かれてしまった。彼は納得している風ではなかったのだが、膝を床につくと卑屈なほど深々と頭を下げてショアルに謝った。
「何でわたしに謝るのよ」
訝しげな様子でショアルが続ける。
「あなたが謝らなければならないのはサラでしょう」
そうして苦痛と屈辱に顔を歪める親方にショアルは謝罪させる。彼は陳謝の言葉の前にしばし地面を睨んでいた。その姿が彼の心情を物語っているように見えた。
再びショアルはサラの傍らにしゃがんだ。
「あなたももうこんな物しまって」
彼女は視線をピストルに向ける。だが、サラの表情は鈍く、何を言われたのかも意識できていないようだった。思わぬ成り行きに少年自身も戸惑っているのだろう。
「サラ、お願いだから拳銃をしまってちょうだい」
重ねて彼女が言うと、少年はようやく低く呻くように返事をし、ピストルを懐に納めた。
サビヤもやってきてショアルと反対側のサラの傍らにしゃがみこむ。
「立てますか?」
サラが軽く頷くと、サビヤは彼の脇下に補助をしようと手をさし伸ばす。その行為を、サラは掌を向けて押しとどめる。
「大丈夫ひとりで立てる」
三人は立ち上がる。サビヤがサラの顔に黒い油汚れが付いているのに気づき、小さな手持ち鞄から手布を取り出す。
「動かないでじっとして下さい……はい、もういいですよ」
サラの頬についた小さな油汚れは丁寧に拭い取られていた。そうしている内に少しは緊張と鬱屈が解けたのか、少年の顔に柔らかなものが戻ってくる。
彼は突然気づいたように、サビヤへ口の中にこもったような小声で「ありがとう」と礼を言う。
それからサラが戸惑った視線をショアルに向ける。彼女の行動が少年には理解できないようだ。
サラはそれでもショアルに何か言いたげな様子だったが、視線を下に向けると一言「戻る」とだけ口にし、工場の出口へ足を向ける。
ショアルは何とはなしといった風に、サラの後について歩きだした。彼女が大扉から建屋の外に出ると、日の光が地面に丸い影を落としていることに気づく。正午近くといった時間帯のようである。意識すると少しばかりの空腹感をショアルは覚えた。
雲ひとつない快晴の空から日の光が降り注いでいる。彼女が振り返ると建屋の大扉の向こうは影に沈んで見え、サビヤたちがそこからショアルたちを見ていた。
ショアルは顔を前に戻す。工場の敷地を出てすぐの所、強い陽光に白っぽく浮いた道を、サラが足を引きずるように歩いているのが彼女の目に映る。いつもより重たげな足取りだと彼女は思った。
道の両端は荷車などの轍があり、中央だけ盛り上がっている。その中央の盛り上がりには、所々に小さな黄色い花を咲かせた草が、日差しを浴びて元気良く生えている。
道の外からは、それよりも勢いよく生えた草むらの葉先が、道に盛大に侵入している。長いものは歩くサラの足に当たって、草ずれの音を発てて揺れていた。
風が吹いた。場所柄から潮の臭いを含んだ生暖かい海風だった。道横の潅木が枝葉を揺らし、生い茂った草たちが風に波打つ。つば広の帽子が吹き飛ばされる気がして、ショアルはそのてっぺんを押さえる。
ショアルは小走りにサラに近寄った。彼女は足を緩め、そして思い切ったのか不躾とも思える質問を投げかける。
「ねえ、なぜあなたはこんな思いまでして大陸で戦っているの?」
サラの足が止まった。少年は半身で振り返り、同じく立ち止まったショアルの顔を横目気味に見たが、何も言わなかった。しかし先ほどと同じように、何か言いたそうな雰囲気が彼にはあった。
ショアルが言葉をうながすような視線を送っていると、サラはそのまま体ごと振り向き、彼女と真正面から向き合った。眩しげに細められた赤い瞳には、日の光が入り、紅玉のように輝いていた。
「生きていれば死ぬしかない。いつかは……それまでの間は戦うしかない……その相手が世界だとしても……ヒルコに生まれてしまったんだ。俺はこの世界と相容れない。死ぬまでの間、生きるしかないんだ。だから戦う」
ショアルはサラの口にしている言葉の意味は理解できた。だが何を言わんとしているのかは、本当のところでは分からないでいた。
ただ、その意思を映す真紅の目の中に、不思議な美しさを見たことだけが彼女の印象に残る。
二人の世界に対する心象の隔たりは大きく、今のままでは伝わるものではないのかもしれない。
だからサラの言葉は、彼女の心に留まって形となることが無かった。あまりに何もかもが違い過ぎ、ただ流れていく。
「戦うだけの生き方なんて悲しいよ」
ぽつりと口にしたショアルの言葉は、サラの表情に険しさを宿らせる。彼女はこんなに当たり前で心に良い言葉に、彼が反発することが腑に落ちずに戸惑った。
「それしかなかったんだ! 大陸から集められたヒルコが暮らしていたヒルコ島が…………もうそこには居られなくなってしまった」
ショアルは途中で語調を緩めたサラを訝しげに思ったが、怒りが解けた様子に続きをうながす。
「どうして居られなくなったの?」
「戦いを選んだからだ……戦えと……そして……滅ぼせと」
「世界を滅ぼすつもりなの?」
あまりにも簡単にショアルが問うので、サラが一瞬、言葉に詰まってしまった。
「……そんなことが、出来ると思うのか?」
「確かに無理よね。ううん、たとえ出来たとしてもあなたはそれをする事はないわ」
ショアルはきっぱりとした口調でそう言った。
サラが眉をしかめて苦い顔になる。
「そんなことはない。俺は、たぶん、この世界の敵だ。世界を滅ぼせるなら、きっと滅ぼす」
ショアルはサラの顔を、しばらく無言で見つめた。サラがその視線に戸惑っているように見える。
「それであの黒い装神甲はどこで手に入れたの?」
「え? あ……ああ、戦機人? 滅びた都市で眠っていた。ヒルコ島に近い所にある巨大な島か大陸だ」
「そんな所があるのね」
「この大陸ではあまり知られていないと思う。人が暮らせないような漠土だらけの所だ。古びた感じのする建物の形だった。でも神古代のようにぼろぼろにはなっていない。だからたぶん古製代ではない。中製代かは知らないが戦争か疫病で滅びたらしい都市だ。どこもかしこも白骨が散乱していた」
「でも、この戦機人は古製代のものなのでしょう」
「よくわからないが、たぶんそうだろう」
二人はどちらとも何か喋り足りなさそうな雰囲気だったが、少年の視線に気づいてショアルが後ろを振り返ると、心配したのかサビヤと艇員数名が工場の敷地の端まで出てきて二人を見ていた。
「もう行く……商館に戻る」
そう言ってサラが前に向き直って歩き出した。少年はすぐに道を外れて草むらを歩き、ひねた潅木に繋いであったラマ馬の手綱を解き始めた。ラマ馬はもしゃもしゃと草を食みながら、手綱を解く彼を使役獣に特有の悲しげな瞳で彼を見ている。
ショアルは彼を見送ると工場の方へ戻るために踵を返した。そして、この後にサラのピストルの狙いを逸らすために飛びついた行動を、サビヤとデュバンにこっぴどく叱られるのだった。




