鉄の玉座に拘束されし 2
中継型の交易国であるクシャス市は、基本的に検疫や臨検の類がゆるい。テベル同盟の特使艇である為、アクロフォカには簡単な入港手続きがあっただけで臨検も無かった。ミド漠土東部を挟んでいるとはいえ、隣国が戦争状態であるにもかかわらず、彼らの態度は普段と変わらなかった。
監督官は遅れてやってきた艇港長官と入れ替わると、艇尾小甲板で身じろぎする半壊した戦機人にも、眉をひそめただけで気に留めた様子もなく場を後にした。
通り一遍の説明は最初にしているが、他人事ながらこれで良いのかと訝しげな艇員に、デュバンがこんなものだろうと肩をすくめて見せる。
デュバンが主艇室に戻り、艇員たちにいろいろと指示を出す。アクロフォカ艇体各所の再点検に、その後の屋根つきの整備棟と職人の手配の段取りから、鹵獲したかっこうの大破した帝国製戦機人の運搬などだ。かなり大雑把な指示だが、おそらく細かいところは担当につけた者の裁量に任せるのだろう。
その後にデュバンがサラのところへ来る。少し腰を折るような格好で前の座の背もたれに左ひじをあずけ、見上げる彼と顔と顔をいくぶんか近づける。彼は艇長帽のつばを指先でちょいと上げ、気さくな感じで今後の行動をサラに訊ねてきた。
サラは市内に宿を見つけるつもりだと答える。そこで何日か後に着くはずであろう待ち人と会うと、少年は続けた。そこまでがクシャスでの予定で、その後の行動は決めてないとさらに付け加えた。
「どうですか、泊まるところを決めてないならバレルの商館に来ては。たいした礼もしてないし、ぜひそうしてください」
サラはデュバン艇長のその申し出に、一瞬これ以上の係わり合いを持つことに抵抗を感じて断ろうかとも思った。しかし、彼の経験上、自身が宿泊施設のほとんどで相手にされないか、宿泊を許されても割増料金をふんだくられる場合が多いと判っていた。ヒルコであることを嫌われるのだ。
それも業腹なので、内心不本意ながらデュバンの申し出をサラは受けることにした。また、鹵獲した帝国製戦機人はクシャス市の戦機人の修繕工場で解体検分する事になり、それに立ち会う彼にはそちらの都合もよかったのだ。
飛空艇の中は忙しく立ち回る艇員達でせわしなくなっていた。手持ち無沙汰のサラは周りで動き回られるのが煩わしかったので、昇降階段から艇の外へ降りる。そうして翼下の日影に入り、帝国製戦機人を運搬荷車へ乗せる作業を少年は見るとはなしに見ていた。
クシャス市の春の終わりの日差しは強く、艇の影にいても先ほどまで熱せられていた地面が足元から熱気を立ち上らせ、彼にじんわりと汗をにじませる。作業は始まったばかりらしく、帝国製の戦機人を羽布で覆い、鋼縄でぐるぐる巻きにしようとしている段階だった。今しばらく時間が掛かりそうである。
すぐに作業を見飽きたサラは、とりあえず海の方へと歩いていく事にした。少し行くと地面は海に向かって緩やかに下りはじめ、サラの鼻に金気臭いような独特の臭気が強くなった。風もいくぶん強く吹きつけるようになり、わずかだが暑さが減じたように彼は感じる。
海上の泊地の方を少年が見ると、水飛艇の緩やかにゆれる尾翼の林の向こうを、細波を引きながら空色に塗装された複座の小型水飛艇が進んでいた。
さらに歩いて泊地の桟橋群を遠巻きに囲む堤の上に少年は立つ。風が心地よく吹きつけ、微かにうねるだけの滑らかな水面の海が良く見えた。サラはヒルコ島の海岸を少し思い出した。
空色の水飛艇は圧推モーター一基を中心とし、周りに開放型の操舵座や各種の翼、フロートをくっつけたような、至源炉と浮揚器を載せない構造だった。短胴の斜め下の双フロートは大きく、三つの胴体があるようにも見える。また、一見すると艇体全面が金属製の外板に覆われているようにも見えるが、大部分は羽布に防水塗料を塗ったもので、総重量は見た目よりも軽くできている。
離れていたので良くは分からなかったが、後座の者が一瞬こちらを振り向いたときに、その人物の目とサラの目が合ったような気がした。なんだか含みのある視線のように少年は感じる。
空色の水飛艇は、尾翼の方向舵をぱたぱたと動かして進行方向を定める。すぐに舵の動きが収まり、その下の噴射口の周りが陽炎に揺らめく。モーター音がひときわ大きくなった。
推力が高まるに連れ、空気を吸入する羽刃の回転も速くなる。強さを増した外風出口から吹きつける牽引風により、水飛艇の周りの滑らかだった海面が白く毛羽立った。噴射口の後方は水面が圧射推流によって浅く陥没し、さらにその後方では激しく飛沫を上げて波をうねらせている。操縦士が舵を当てているのか小刻みに水飛艇は進行方向を修正している。
水飛艇の進む速度が速くなった。どんどん加速する。フロートがさらに浮き上がり、蹴立てる波しぶきが小さくなる。その動きは海面より風圧に強く支配され、軽い艇体も安定する。
やがて何度か水切り石のように跳ね、水飛艇は空中から見えない紐で引っ張られたようにふわりと離水する。空色の水飛艇はしばらく緩やかに上昇していき、ゆっくり弧を描くと西に向かった。
サラはその後もしばらく海を眺めていたが、これも飽きたのか足をアクロフォカに向ける。
彼が戻ると、羽布に覆われて姿を隠された帝国製戦機人が、借りてきた吊り上げ機によって艇の小甲板から少し持ち上がっていた。
暑いせいもあってか上着を脱いでいる艇員の半そで肌着は、背中一面が汗で濡れて貼りついていた。新製代戦機人の悪臭が嫌なのか、鼻と口を強盗のように濡らした手布で覆っている者もいる。
笛が長く吹かれて吊り上げが止まり、今度は橋腕が旋回して戦機人を水平移動させる。その先には用立てた荷役用の巨大なマルゲ牛につながれた運搬荷車の広い荷台がある。
サラは艇の中に戻ると、貨物槽へ行ってラマ馬を下ろす準備をする。空の上では餌も水もやってないので、糞や尿の類で床も汚れていなかったから、結わえていた手綱を外して終わりだ。
鞄からさっそく一掴みの燕麦を取り出し、ラマ馬の口元にもっていく。使役獣は青い舌を伸ばして一つ残さず器用に口に入れた。もしゃもしゃと食べながら、そのまつげの長い目がサラを見る。
「もうこれで最後、全部無し」
サラの言葉に何の反応も示さず、ラマ馬は彼を見つめながら燕麦を咀嚼していた。
艇員が一人やってきてラマ馬を預かってくれた。サラはラマ馬の唾液に濡れた手を布でぬぐい、そのまま黒い戦機人に乗り込む。
艇員の一人が、操鞍と合一体になるのを手伝おうと近づいてきたが、この戦機人には必要がないと言ってサラは断った。実際、彼が乗り込んですぐに胸甲殻の前面装甲は閉じられた。
それを待って貨物槽の奥にある電磁モーターが唸り、戦機人が寝ている格納寝台が蓋扉のほうへ滑り出す。どこの都市でもそうなのだが、ここクシャス市でも市内への戦機人の乗り入れは原則として禁止されている。艇港の脇などにある預かり所に置くか、市内に入れて保管する場合は登録して蓋扉に赤紙の封印を貼り、荷車の類で運び入れるしかない。サラの戦機人も預かり所に預ける為に移動させているのだ。
サラが漆黒の戦機人を預け終わって戻ってくると、運搬荷車の帝国製戦機人の固定も終わり、すっかり出発の準備が整っていた。これからさっそく戦機人鍛冶の町工場へ向かうのだ。デュバン艇長も飛空服を脱いだ軽いシャツ姿で、雇った御者の横に腰を下ろしている。
後の艇員は歩きでついて行くみたいだ。アギン卿は入港してすぐにアクロフォカを離れていたので姿は見えない。サラもラマ馬に跨った。
「ちょっと待ってッ」
それでは出発というときになって、飛空艇の昇降階段からショアルの呼び止める声がかけられた。みなが何事かと思う中、彼女は小走りに運搬荷車に近づき、そのまま足場から御者席に上って一角に座を占める。
「それでは出発進行」
デュバンがあっけにとられたような顔で見ているが、彼女は委細構わずに雇われ御者に向かって出発して下さいと言う。
「いいのですか?」
御者がデュバンに尋ねると、彼はため息をついてそうしてくれといった。
御者が手綱を振るってマルゲ牛の背を打ち、運搬荷車をゆっくりと進ませ始める。
ここで慌てた様子のサビヤが現れた。彼女に気づいたショアルに待ってなさいと止められたが、御者席の彼女が乗っている反対側に取り付いた。動いている運搬荷車へ強引に這い登る。意外なサビヤの行動力にサラなどは仰天した。
サビヤもやむなく連れて行くことになった。デュバンは溜め息しきりである。
「デュバン、ため息すると幸せが逃げていくって言うわよ」
「ほっといて下さい」




