第55話 南の魔王2
先に仕掛けたのはゼンだった。
鋭い踏み込みから、矢のような左ジャブ、次いで体重を乗せた右ストレート。
南の魔王は寸前で、間合いを大きく外すことで、なんとか二連撃を回避してみせた。
ゼンは体勢を立て直す隙を与えず、間合いを殺すようにもう一度、踏み込む。
間髪入れずに左の前蹴りを繰り出したが、それも滑らかな後退運動によってかわされる。
今日のゼンは異様なほど静かだった。
普段のような「オラァ!」という獣のような怒号を一切発しない。冷徹かつ理知的に攻撃の組み立てを継続していく。
鋭い突き、そして重い蹴りを矢継ぎ早に繰り出していく。
その洗練された格闘技術は長年の研鑽によるものであり、対する南の魔王は、防御と回避だけに追われていた。
ここでゼンは、わざと誘うような大振りの右フックを空振ってみせた。
その誘いに乗り、隙を突こうと南の魔王がゼンの無防備な顔面を狙って拳を放つ。
ゼンはそのカウンターを読んでいたかのように、最小限の身のこなしで易々と回避した。そしてそのまま無防備になった南の魔王のみぞおちへ、紫電一閃の右ストレートを深く叩き込んだ。
——打感に違和感を覚える。
確かに捉えたはずのゼンの拳には、肉を打ち抜いた手応えがない。
まるで空洞を殴ったかのように、威力が虚しく抜けていった。
ゼンは不機嫌そうに眉をひそめ、声を漏らした。
「……どうなってやがる。」
南の魔王は目深に被っていた深緑のフードへ、静かに細い手を掛けた。
そして、ゆっくりとそれを取り払う。
そこに存在したのは、人間の顔などではなかった。
無数の生々しい蛇たちが蠢き合い、絡み合うことで、ひとつの異形の頭部を形作っていたのだ。
「……お前。そういや、人間じゃなくて魔物だったな。」
「何度も言っていたはずだ。私は魔物なのだと。」
しかし、正体を晒して異形の姿となっても、戦況が覆ることはなかった。
ゼンの容赦ない打撃が叩き込まれるたびに、南の魔王の頭部を構成していた蛇が一匹、また一匹と引きちぎられ、力無く地面へと落ちていく。
ゼンは拳を構えたまま、声をかけた。
「おい。まだ続けるつもりか? もう、十分だろう。さっさと退けよ。」
南の魔王は頭部を激しく損ないながらも、強気な態度を崩さない。
「……貴公こそ、諦めて退けばいい。……ハァ、ハァ……足元が乱れ、息が上がっているぞ。」
ゼンは呆れたように、さらに言葉を投げかけた。
「だからもう良いって言ってんだろ! 正直、俺はお前には何の恨みもねぇんだよ! これ以上無駄な傷を負う前に、さっさと自分の家に帰れ!」
「貴公は実にしつこい男だな。……それほどまでに、この私が怖いのかね?」
ゼンは語気を強めて、言葉を放った。
「お前には知性があるんだよ!」
「話だって出来る! そんなやつが、なんで今更死ににきた!?」
南の魔王は崩れかけた蛇の頭部を微かに揺らし、深く重い声を漏らした。
「……死に時というものがあるのだよ。」




