寿命の魔法使い
第一話 記憶のマスカット
プシュッ
アルコールの匂いが鼻をつく。何本目だろうか。朝起きて、満員電車に揺られて、仕事をして、コンビニで飯と酒を買って、堕ちるように寝る日々を繰り返す。自分はコミュニケーション障害だと思う。情けない日々を笑う友も、労ってくれる上司もいない。
ゴクッ
流れ作業のように酒を体内に入れる。そういえば高校生の時、保健の授業で酒は体に悪いとか言っていたっけ。知るか。やってらんないんだよ。一人で悶々とパソコンと向き合っては顧客に文句言われるなんてさ。
カツン
郵便受けに何かが入った。どうせ水道管の修理か、適当な広告だろう。最近は、そんな詐欺も増えているらしい。まあ誰かとしゃべるのが苦手な俺には縁の遠い話だ…。
珍しく郵便物が気になった。一つぐらい何か違う日があってもいいかもしれない。郵便受けを覗くとA4サイズの紙が一枚入っていた。
「素敵な親友が欲しくありませんか。もし、希望するならば、私はあなたにとって最高の人間に成ります。その代わり、会う度あなたの寿命を一年分いただきます。代金はいただきません。なんと初回は寿命ゼロ年!」なんだそれは。
親友に成る?紹介するではなくて?そもそもどうやって寿命を取るつもりなのだ。最後の文はテレビ通販か。しかし、”最高の親友”というのは気になる。なにせ生まれてこの方友人というのに巡り合ったことがない。一人が好きだ。見栄を張っている訳ではない。とはいえ一度は親友というものを見てみたい。どうせ初回は寿命を取られないのだから。
仕事が休みの日曜日、紙に書いてあった通り、西部豊島線豊島園駅で降り、練馬城跡公園、一番奥の男子トイレにいた。入道雲が重々しく成長している。夕方五時五五分五五秒、五回ノックして入った。恐る恐る扉を開けると、
「いらっしゃい、又度 光輝」
薄暗い部屋の中には壁一面の本棚。宙には、光るランプがゆっくりと揺れていた。床に目をやると見たことない観葉植物が並んでいる。その中央にデスクが一つ、ローブにいかにも魔法使いが被っている帽子を身に着けた俺と同じぐらいの二〇代男性が座っていた。大きな瞳に張りのある肌、見ているだけで飲み込まれそうなほどに童顔の美男子だった。タイプだ。
「さぁ座って、お茶を入れるよ」
「あ、ああ」
なんとなく返事してしまった。そもそも誰だあいつ。どうして俺のことを知っている。何処なんだここは。明らかに公園のトイレではない。
「クスッ、動揺しているね、安心して。僕は魔法使いさ、名前はムアン。ここは僕が作ったちょっとした空間だよ。素敵でしょ、ちょうど近くにある魔法使いの遊園地?の雰囲気に合わせて作ってみたんだ。気に入ってくれるといいな」
ムアンは一切手を使わずに香り高いお茶を入れた。
「召し上がれ、光輝」
ためらいながらも一口飲んだ。六〇度前後の琥珀色をした液体が流れ込む。鼻からマスカットの匂いが広がり、ほのかな苦味の先にはまろやかな甘味を感じる。体とともに心も温まるような気がした。
「お、おいしい」
「そうでしょ、君のために選んだんだ。」
ムアンが満面の笑みを浮かべてこちらを見ている。
「いい飲みっぷりだね。うれしいよ。君はいつもお酒ばかりだから、たまには紅茶もいいでしょ?しかも君の好きなマスカットフレーバー。マスカットは君の好みだったよね?ね?そうそうお菓子もあるよ、さぁ食べt」
「待ってくれ。どうして俺に詳しくて、好きなものばかり出してきて、馴れ馴れしく接してきて、なんなんだよお前」
「書いてあったでしょ、僕は魔法使いムアン、君の最高の親友さ」
そりゃそうだけど
「僕は魔法が使える、その中でも最も得意な魔法はモノの寿命を操る魔法さ。そして魔法を使って君から寿命を一年分いただく。しかし、それだけでは可哀そうでしょ、だからその対価として、僕は最高の親友となって最高の時間を与えるのさ、分かった?」
「お、おう、分かったよ。でも初回は寿命を取らないんだろ?」
「そうだよ。君もそこそこ知っているではないか。初回は三時間で寿命ゼロ!いやーお得だね。」
飄々としたムアンの態度は少し鼻につくが、嫌いではなかった。
「じゃあ始めるよ。君の話を聞かせて。どうせどこにも発散できなくて溜まっているのだろ?」
「いきなりだな、まぁ愚痴とかはあるけどさ…そうえばこの前鈴木部長って奴がいるんだけど」
「うんうん、それでそれで…」
思ったよりも話が弾んでしまった。少々押しが強い気がしたけどそれはきっと俺が親友を知らないだけだろう。
「はい!ちょうど三時間ね、今日はこれでおしまい。楽しかったらまた来てね、バイーバイ」
半ば強引に出されてしまった。やはり、俺とあいつの関係は本当の親友ではないのだ。仮に寿命が一年取られるとして、俺は一体何年寿命が残るのだろう…。アンタレスがあんなに低い位置にある。豊島園駅、風の匂いはまだ秋の手間だ。今日はあえて各駅停車に乗って帰ろう。
あの日から一週間、またいつも通り働いた。だけと一つ違うことがある。それはどんなに仕事に打ち込もうと、どんなに酒を飲もうとも、ムアンのことが頭から離れないことだ。彼は一体何処で、何をして、何を思っているのだろう。初めてできた「親友」に気持ちが高ぶる。
「又度、集中しろ、最近ミスが多いぞ」
適当に謝る。この高揚は仕事が終わってもついてきた。電車から仲良く歩く二人組を見ていた。あれが俺とムアンだったら。なんとか落ち着くために紅茶を買ってみた。しかし、マスカットの匂いはしない。そりゃそうだ、そこのスーパーで買ったやつだから。何か食べようとしたが。冷蔵庫は空のままだ。マグカップの底に冷え切った紅茶が残っていた。電源のついたままのテレビからは、何も頭に入ってこないニュースの声。
日曜日、窓の外には曇り空。いつもの休日。何も起きない、何も変わらない。でも、口の中にふと広がったマスカットの香りは、昨日でも今朝でもなく、"あの日"の記憶だった。あの日、自分の話を誰かが聞いてくれた。…それだけで、体が少し軽くなったような気がした。携帯を手に取る。あのチラシの写真はまだ残していた。「また会えたら」その言葉が浮かんだとき、もう靴を履いていた。
気づいたら豊島園駅にいた。夕方五時五十三分零秒、練馬城跡公園トイレ前、俺は葛藤していた。あちらこちらで子どもが騒いでいる。
「もう帰るよ」母親が催促している。
「誰あの人」
「いいから帰るよ」
こんな時間に成人男性がトイレ前で佇んでいたら、そりゃ避けるのが正しい。これから寿命一年分を犠牲にするかしないのか悩んでいる奴だ、どう考えても不審者だろう。
コン、コン、コン、コン
ノック音が響く、あと一回。死ぬのが怖い。でも、生きていても一人きりなら、何が違うんだろう。たった一年、されど一年、一年にはどれ程の価値があるのだろうか。それでも
コン…。
夕方五時五五分五五秒、生温いドアノブに手をかけた。心臓が高鳴る。様々な恐怖が交差する。だが、そんな思いも、彼の顔を見ると魔法にかかったように消えていった。
第二話 寿命の接吻
「遅かったね、光輝」
「なんだよそれ、まるで全部知っているみたな口ぶり」
「なんでもいいだろ、それで、どうせ仕事はうまくいってないんでしょ?」
甘く心地よい会話が続く。マスカットティーをすすりながら心と体が満たされていく。寿命がどうなるとかは完全に忘れてしまった。
「ねえ、前は君の話をたくさん聞いたからさ、たまには僕の話をしてもいい?」
そうえば俺の話ばかりしてしまった、申し訳ない。
「見てほら」
ムアンが指を振ると、宙を舞うランプがオレンジ色に変わった。観葉植物が急速に成長して小さな部屋を覆いつくす。突風が渦を巻く。俺は思わず目を閉じた。
「目を開けて、すごいでしょ」
そっと目を開くと…さっきまで小さな図書館のような部屋だったのが、気が付くと広大な森の中にいた。爽やかな風が頬を撫でる。軽やかな小鳥の囀りが世界を満たす。
「すごいよムアン、どうしてここが森に?」
「空間変幻魔法さ、最近習得したんだ。君に見せたら驚くと思って頑張ってみた。森なんて珍しく行ってないだろうと思って、僕魔法をお習得することが好きなんだ。」
「壮大な趣味だな、いいなぁ俺は趣味と呼べる趣味がないからな」
「でた、また自虐だ」
差し込む木漏れ日が二人の微笑みを反射する。いいなぁ、魔法の世界もいいけれど、これが魔法ではなくて、本物の森の中ならばどれほど楽しいだろう。
「ねぇ」
二人同時に発した。気まずさから三秒ほど静寂が続く。
「どうしたのムアン」
「君こそどうしたんだい?光輝」
「いや、もしよければ、作られた森じゃなくてさ、お前と本物の森に行けたらなっておもって…」
何言ってんだ俺、出会ってまだ二回目だぞ。得体の知れない魔法使いと出かけるなんて。それに向こうだって、出会って間もない野郎と出かける訳ないだろ。そもそも俺たちはただの親友ではない、分かってはいるけれど。
「いいよ、ちょうど僕も思ってた。」
は?これは行っていいってことだよな…、そうだよな、そうだよな。
「じゃあ、今日は夜遅いから、次の時ね。これでまた次も君と会える」
微笑みながら喋るムアンにバレないように、俺は興奮を抑え込んだ。
「じゃあ、今日は帰るわ。今度はここじゃなくて公園の方でも行こうよ、できれば昼間にでもさ。」
「そうだね、じゃあ来週は午後二時頃尺神井公園でいい?ここから近いし」
「うん、楽しみにしてる、またね」
「待って」
出口の方にむいた瞬間、ムアンが俺の腕をつかんで呼び止めた。
「どうしたんd」
振り向いた瞬間、俺の目の前には目をつぶったムアンの顔が真ん前にあった。二人の距離が溶けて、呼吸の音さえ混じった。俺の唇にやわらかな温度が宿る。驚いて突き放そうと思ったがやめた。俺はそれをそっと受け止めた。目を閉じていた訳ではない。でも世界がひとつ、止まった気がした。
その時、オレンジ色のランプが暗くなった。俺の中から生暖かいナニカが胃から逆流する。それが唇を通りムアンのところへ流れる。非常に気持ち悪い。何かが、喪失した。その感触が俺を我にもどした。そうだ、俺とあいつは寿命を取引する関係でしかない。何を誤解していたんだ俺は。
「約束、忘れないでね」
取引が終わった後、俺はすぐにムアンのところを後にした。忘れていたわけではない、ただ、思い込み過ぎてしまったのだ。期待し過ぎてしまったのだ。道端に生えるヒメジオンが無気力にこちらを見ている。空には夏の大三角形が光っているのに。そういえば、ムアンは「これで君と会える」と言っていたが、それは俺とまた会えるのが純粋に楽しみにしていたのではなく、また寿命をもらえることを喜んでいたのではないだろうか。来週俺はまたムアンと会って良いのか。奴は俺が思っている以上に危険な奴なのかもしれない。
駅まで歩く道。人とすれ違った時、風がやけに甘く香った気がした。誰かが香水をつけていたのか、それとも——マスカットの記憶が自分の中にこびりついているのか。
空にはまだ入道雲が残っていた。けれど輪郭は崩れかけていて、陽射しもどこか黄色い。セミの声は遠く、水面が風に揺れていた。地面に落ちたマツの葉を踏むと、パリッと乾いた音がした。
「お待たせ、待った?」
ボート乗り場の近くに佇む彼は青色のオーバーサイズTシャツと黒のカーゴパンツをまとい、深くキャップを被って、とても魔法使いとは思えない流行を取り入れた普通の青年だった。
「どう?似合う?君こういうの好きでしょ?」
「いや、似合うと思うよ、だけど、いつも黒のローブだから意外だなーって。魔法使い感がないからさ、俺魔法使いと一緒に出かけたことないし」
「なにそれ、素直に似合っているって言えばいいのに。それに普段着の魔法使いなんてそこら中にいるよ」
「えっ、魔法使いってそこら中にいるの?!」
「ほらほら、そこのスワンボート一緒に乗ろうよ」
ノリノリで乗ったムアンだったが、こいつ全然漕がない。
「見てみて、小さなカモだ!」
「それはカモじゃない、カイツブリだ。似ているけど全然違う。それより漕いでくれない?」
「えー、疲れた。僕普段あの部屋の中にいるからボートなんて漕いだことないし」
少し早くボートを切り上げて、公園の中を散策する。ボートで疲れ切った俺にはお構いなしにムアンは楽しそうに歩く。木々や水鳥を見るたびはしゃぐ姿は小学一年生のようだ。奴はいくつなのだろう。
「ねえ、どうして来てくれたの、僕今日君来ないと思ってた」
いきなりムアンが話しかけてきた。俺は戸惑いながら答えた。
「どうしてそんなこと思ったんだよ」
「だって君、この前悲しそうに帰ってたから。怖いんでしょ、僕のこと。」
湿った風がムアンの髪を揺らした。その揺れ方はどこか不自然で、見てはいけないものを見た気分になった。
「怖くないって言ったら嘘かな。寿命短くなるし。だけど、たばことか酒も寿命短くするんだろ。似たようなものだろ、けどお前といると楽しいからさ、会うとちょっとぐらい寿命伸びているかなって」
「光輝——」ムアンの瞳に光芒が宿る。
「なんだよ」
彼の笑顔に反して、風だけが無言のまま、少し冷たい音を立ててすり抜けた。
「変なの!面白いこと言うね、吉本入ったら?」
「はぁ、人が一生懸命話しているのになんだよそれ」
「ごめんごめん、ちょっと調子乗った。でも嬉しいよ。それに、君みたいな人は始めてだよ。寿命を取っているのに増えているって言う人。」
「まぁ、変だよな俺」
そう、変だ。まともならばこんな奴と公園に来たりしない。あくまでこいつは契約のもと成り立っている「親友」なんだから。
「君面白いからさ、また出かけようよ。君さえよければ二三回ぐらい——」
彼の笑顔に一つの疑問が浮かんだ。
「ムアンが喜んでいるのは、俺と出かけるのが楽しいから?それとも寿命を取れr…」
言いかけたけど言葉に詰まった。あいつに悪い。
「ごめん、何でもない」すぐに謝った。気分を損ねてしまっただろうか。
「僕がどっちで返答したら嬉しい?」
セミの声が途切れた。ムアンが上目遣いでこちらを見てくる。なんだよそれ、まるで恋人みたいじゃないか。流れる汗は、この暑さのせいか、それとも…
「出かけるのが楽しいからかな」
にやけたムアンの顔が頭に残る。
「えっ、どうゆうこと、お前と俺ってどういう関係だったっけ、えっと、その」
「本当だよ」小声でムアンが言った気がした。もしかしたら俺の幻聴かもしれない。きっとこの暑さのせいで疲れているのだろう。
今日はこれで終えた。約束どおり、ムアンと口付けを交わした。向こうから迫ってきたが、俺は恥ずかしいからと言って、トイレの影でした。背中の方で、時計の針が小さくずれていく音が聞こえた気がした。
第三話 楽園の夢
それから数回ムアンと出かけた。池袋のプラネタリウム、俺だけ寝落ちしちゃったっけ。浅草の路地裏カフェ巡り、表通りは外国人しかいなかったよな。藤沢の水族館、クラゲにあんなに種類があるなんて知らなかったよ。どれも俺たちのためにあるのではないかと思うほど楽しかった。
水族館の後、思い切って言ってみた。スマホの画面を見せて
「ここでさ、十月からハロウィンイベントやるらしいんだよ。ムアンにピッタリだろ、東京ディヅニーランド」
汗が一滴頬を流れた。流石に距離間詰めすぎたか、あそこは恋人の聖地だからな。恋人?あれ、俺とあいつの関係は親友?いや、そんな言葉で済む関係だろうか。だって俺たちはキスをしたことが…。何を考えていたんだ。そうだムアン、ムアンの反応は。
左隣りを見るとうつむくムアンの姿があった。
「ど、どうした。ごめんなんか俺変なこと言ったよね、そうだよね。暑くてほら、少し俺変になっちゃったかも」
「ずっと見えていたんだ――」
「えっ、なになに?今なんて言った?」
「なんでもないよ、僕も暑くて変になっちゃったかも」
ムアンの瞳の奥に、静かな水面のような揺らぎがあった。「最後の場所には丁度いいかもしれない」ムアンが何か呟いた気がしたが、俺には聞き取れなかった。
相変わらず家族連れやカップル、はしゃぐ高校生でいっぱいだなここは。
「ねえ、どうして着ぐるみきた人間を見て喜んでいるの?」
「黙れ、そんなこと言ったら」ネズミの帽子を被った人たちに睨まれた。
「ほらほら、あっちのジェットコースタ―行こうよ、おっきい山のやつ
とりあえずその場をのりきった。あいつ魔法使いだから常識ないのか?夢の国の住人を敵に回したら、いくら魔法使いでも大変なことになるだろう。
「長い!」
ムアンが唐突に声を上げた。
「なんでこんなに並んでんの!? これ絶対ジェットコースターじゃなくて“待つアトラクション”だよこれ! 乗るのはオマケ! “待ち時間ランド”だろ」
「まあまあ、落ち着いて」
俺は小声でツッコみながら、ムアンの横顔を盗み見た。怒っているくせに、目がキラキラしているのがずるい。
「ほら次」
「それでは安全バーを締めますね。はい、楽しいマウンテンライフを!いってらっしゃーい」
営業スマイル全開でお姉さんが手を振っている。彼女は今どんな気持ちで仕事をしているのだろう。時給はいくらなのだろう、もしかしたら月給か?交通費は出るのかな、俺のところは出ないからなぁ、ああ、仕事かぁ
「ちょっとちょっと光輝、やばいよー」
そうだった、今ジェットコースターに乗っていたところだった。
「そんなとぼけた顔しないでくれる!」
「ムアンって普段空とか飛ばないの?」
「はぁ?!ぼ、僕それ苦手なんだよ、今更聞かないでくれる?それより高いって、高いよ、死んじゃうよ!」
こいつ魔法使いなのに空飛べないんだ、かわいいなこいつ。
「だからなんでお前は余裕なんだよ!」そう言われても。
その時、ジェットコースターが一瞬止まった。静寂が走る。真っ青な顔をしたムアンがこちらを見つめている。
「嘘でしょ」
「イヤァーーーーー」…落ちた。ムアンの魂も一緒に。
俺はジェットコースター―よりも面白いものを見つけてしまったかもしれない。
ジェットコースター後の爽快な気分とは裏腹に、ムアンは地獄を見た顔をしていた。
「あぁ、僕、僕はぁ」
よろよろと俺の後ろをついてきた。
「気分転換におやつでも食べに行こうか」
「ほんと!何食べよっかな?グミ?チョコ?ポテチ?」
さっきまで憔悴していたくせに。あと、グミもチョコもポテチも、ここでは売ってないと思うよ。
結局ポップコーンを買った。駄菓子が売っていなかったことにガッカリしたムアンだったが、今では俺よりもポップコーンを貪っている。その後もメリーゴーランドやシューティングゲーム、ボートクルージングにも乗った。別のジェットコースターにも乗ろうと誘ったが、ムアンは断固として乗らなかった。
やがて日が完全に落ちた。グリム童話の有名な城の傍、遠くから陽気な音楽が流れてきた。オレンジや紫、豪華絢爛な衣装をまとったキャストたちがこちらに向かって歩いてくる。
「見て、光輝、ハロウィンのナイトパレードだ」
パレードのフロートがゆっくりと現れると、闇に沈んだ城が一瞬で光に満ちた。紫と金のスポットライトが交差し、キャラクターたちの影が地面に踊る。子どもたちの歓声、大人たちのため息、誰もが一瞬、現実を忘れていた。仮装したキャストが手を差し伸べる。触れられない距離なのに、なぜか温度が伝わってくるようだった。観客が音楽にのせて踊り出した。
「俺たちも踊らない?」
「うん」
その姿は、まるで城の前で踊る王子と姫のようだった。
「本日はお越しいただきありがとうございました。Thank you for …」
「そうか、もう閉園か、楽しかったな」
「うん」ムアンの空返事。
「ここだと、その、約束やりづらいよな。駅のトイレでも。」
「いい」
「え?」
園内の照明が切れた。
「最初はただの興味だったんだ」
すすり泣く音が聞こえる。
「寿命を操る魔法の練習ができれば誰でもよかったんだ。僕も親友を演じていた。だけど、だけど、次第に、君のことが、光輝のことが、大切な存在になってしまったんだ」
唐突に泣き出すムアンに動揺した。だか、
「どうして泣くんだよ、それならそれでいいじゃないか」
「違う!」
最寄り駅に向かう人たちが一瞬こちらを見たが、冷たい視線だけ浴びさせて過ぎ去る。
「…寿命を操る魔法は寿命の譲渡だけの魔法じゃない。もっと、深くて、残酷な魔法なんだ。」
ムアンがしゃがみこんで顔を隠し、声だけが俺に届く。
「教えてくれよ、お前の悩みを、その魔法のことも。だからさ、顔をあげt」
「相手の寿命が分かるんだ。」潤んだ瞳がこちらに向いたーー
「光輝、今、君の寿命はあと三年しかないんだ」
風が止んだ。ムアンの瞳に映る自分の顔が、どこか他人のようだった。俺は何かを言おうと口を開くが、喉が音を拒んだ。代わりに、胸の奥で何かが軋んだ。ムアンの肩が小刻みに震えている。その背中に手を伸ばそうとして、止めた。触れたら、何かが壊れてしまいそうだった。「三年」その数字が、夜の空気に溶けていく。
「それ、嘘じゃないのか?」
ムアンはすぐに首を横に振った。
「言えばよかったんだ、もっと早く。だけどさ、僕会いたいって思っちゃったんだ。言うと君と会えなくなっちゃうと思ってさ、終わりが目に見えているくせにさ。」
泣きながら、崩れながら、俺に抱き着いてきた。色々なことが押し寄せてきて、正直意味が分からない。だけど、俺のことよりも、お前のことが気になってしまう。
「そうか、俺三年しか生きられないのか。でも、あと二回ムアンと会えるじゃないか」
「何言っているんだ。大好きな…大好きな、君の寿命を取るなんてできないし、取らなくても三年でお別れなんて、つらいよ。全部僕が悪いのに」
「そんなことないよ、全部自分が悪い訳じゃない」
「今日で、終わりにしよう」
心臓が割れた音がした。
「大丈夫。せめてもの償いに、君だけは残りの人生楽しく生きられるようにするからさ」
まるで自分の感情を封じ込めるように、口元だけで笑った。
「ふざけるなよ……なんだよそれ、俺だけ楽しく生きろって?」気づいたらムアンの肩を掴んでいた。胸が熱くて、息がうまくできない。まさか俺まで泣くとは思わなかった。
「どんなに寿命が短くても、どんなに寿命を取られても、ムアン、お前がいない人生なんて考えられないよ。」
ムアンは一瞬、言葉を失ったように目を見開いた。
「光輝―」
「言ったろ?お前といると楽しくて、会うとちょっとぐらい寿命伸びている気がするって。だからお前は悪くない。それにさ、お前と出会ってから、初めて人生に生きがいを持てたんだよ。ずっと仕事の日々だったから。残りの三年、お前がいないなんて、俺の人生じゃない。」
二人の涙が、冷えたコンクリートに降り注ぐ。そっと抱きしめて、少し冷静になって耳元にささやいた。
「ムアン、聞いたことあるか?とある殺人鬼の言葉さ。その殺人鬼は恋人を殺す、なぜなら恋人が死ねば、誰にも邪魔されず、独占して、恋人を自分のものにできるからって。だからムアン、最後まで一緒にいてよ。俺の寿命を取れよ。そして死んだら俺をお前のものにしてくれよ」
沈黙が二人を包む。
「ごめん、光輝。僕は弱くて悪い魔法使いさ。君の死を受け止められるような奴じゃない。だから、忘れて。」
「待ってくれ」思わず腕を伸ばした。
ムアンは俺を振りほどいて、そっと右手を俺の目に押し当ててきた。優しく、悲しげな声が響く。
「光輝。全て、夢だったんだ」
十一月一日、いつもの布団で目が覚める。随分と悪い夢を見ていた。
第四話 再会の魔法
「又度さん、よければ私とお付き合いしていただけますか」
陰鬱な会社に勤め続けた俺にようやく光が差した。同じ職場の田所さんとお付き合いすることが決まった。就職してから遠出をしたことがなかったのでデートで行く場所はどこも新鮮だった。特に東京ディヅニーランドは現実が溶ける夢幻の楽園だった。田所さんの笑顔が、パレードの光に照らされて柔らかく揺れている。手を繋いで歩くだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。あの場所には、誰もが童話の登場人物になれる魔法があった。
「また来ましょうね」
その言葉が、胸の奥に静かに残った。まるで余香のように。
それからというもの、良いも悪いも平穏に過ごした。嗚呼、俺はこのまま結婚して、働いて、運が良ければ昇格して、子どもを育てて——、そんな穏やかな未来が、手の届く場所にある気がした。
田所さんとお付き合いを始めてから二年と半年が過ぎた。最近同棲を始め、今晩は会社の帰りに夕飯の買い物を任されている。にんじん、木綿豆腐、鮭の切り身をリュックに詰めて、帰り道を辿る。茜色の夕日が映える。今日は早上がりだったから夕飯をゆっくり食べられるなぁ。
「光輝!」
後ろから大きな声で呼ばれた。誰だ。下の名前で呼ぶ友人なんて俺にはいないのに。恐る恐る振り返る。
「ごめんね光輝、ずっと悪かったと思ってる」
そこには黒のローブに身を包み、怪しげな帽子を被る不思議な男がいた。今はハロウィンではないのに。なぜ俺の名前を知っているのだ。思わず身構えた。
「お前誰だよ」
「無理もないよね、だって僕が君の記憶を消しちゃったんだもの」
意味が分からない。記憶がない?俺の記憶はしっかりしているぞ。
「落ち着いて聞いて、全部僕が悪いから」
「おい、警察呼ぶぞ」苛立ちが募る。
「お願い待って、聞いて」
知らない男が涙ぐまれても気持ち悪いだけだ。
「あのね、君の寿命はもともと短かった上に、僕が興味で少し取ったんだ。」
見た目でさえ怪しいのに、言うことも怪しいのか、こいつ
「だからさ、君の寿命あと一か月しかないんだ」
「はぁ?何なんだよお前」思わず胸ぐらを掴んだ。奴の顔が近い。
「君は僕のことを忘れても、僕は君のことを忘れない。一時もだ。会えない時間も君を思い続けていたんだ、ずっと愛してたんだ!」
逆に胸ぐらを掴まれた。本気の表情に混乱した。ただ愛の告白をされても…
「ごめん、僕も落ち着くね。だから最後まで聞いて」
「あ、あぁ」とりあえず手を離した。
「ずっと考えたんだ、なにが最善か。そして決めたんだ、だからこんな僕を許して」
「あ、あぁ。許せばいいのか」
静かに奴が頷いた。
「ねぇ覚えてる?覚えてないよね。二人で東京ディヅニーランド行ったこと。あの時本当に楽しかったんだよ。」
やはり人間違いか?
「そこで君言ってくれたよね、“死んだら君のものになる”って」
ふと奴が笑った。
その瞬間、奴の唇が俺の唇に触れた。驚きのあまり目を見開いた。スローモーションのように見えた。ただ、初めてではない気がした。
「ゔっ」
奴の口から甘くドロドロしたものが流れ込んでくる。奴を突き放そうとしても、それを拒絶しようとしても、体が頑なに動かない。
俺は気が付いた、何かが流れ込むとともに、失ったものが帰ってきたと。嫌、帰ってきてしまったと。奴の名前はムアン。俺が本気で愛した男の名前だ。あのチラシも、出会いも、尺神井公園も、ディヅニーランドも、全て思い出した。
ただ、それ以上のものも入ってくることに気が付いた。知らないものだ。奇妙で気持ち悪い。まさか。まさか、まさか、まさか。大粒の涙が流れた。
「やめてくれムアン!」心のなかで叫ぶ。
全て俺に流れ終わったとき、前にいたのは、冷たく、涙を流す、かつてムアンだったものが、そこに崩れていた。目の前が真っ暗になった。俺はこいつを許せというのか。
あの日から二十五年後、コーキは手を使わないでマスカットティーを入れながら一通の手紙を書いていた。
「素敵な親友が欲しくありませんか。もし、希望するならば、私はあなたにとって最高の人間に成ります。その代わり、会う度あなたの寿命を一年分いただきます。代金はいただきません。なんと初回は寿命ゼロ年!」




