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2-4 マルヴォロスの伯父と姪 前半

 衛兵に促されて、天幕をくぐり本陣の中へ入る。


 本陣の内は、簡素ながらも整然としていた。無駄がない。配置も、動線も、すべてが機能のために置かれている。


 伯父であるマルヴォロス公爵の性格が、そのまま形になったような空間だと、エストは思った。


 大きな野戦用の机上には広げられた地図と、いくつかの報告書。駒や印がいくつも置かれ、書き込みも多い。まだ整理の途中なのだろう。


 机の周りには幕僚とその部下たち。女性の姿もある。年齢も階級も様々だが、誰もが一定の緊張を保ったまま、低い声でやり取りをしていた。


 エストは、その視線を受けながら天幕の奥へ進む。


 神官の装束に気づいた何人かが、動きを止める。


 軽く頭を垂れる者、胸元で祈祷の印を切る者。


 それぞれの仕草は短いが、習慣として染みついたものだった。


 その中を、歩みは止めない。


「エスト、呼び立ててすまぬな。普段はなかなか会えんものでな。よい機会だと思うて、聖環院に無理を通した」


 机の中央に立つ男が声をかける。


 重みのある声。


 それだけで、周囲の空気がわずかに引き締まった。


 エストは首を横に振る。


「ありがたいお言葉です。久方ぶりに叔父上とお話ができる、ということで楽しみにしてまいりました」


 言葉は柔らかい。


 だが声音は、わずかに整えられている。


 そのわずかな“整え”を、公爵は見逃さなかった。


 上機嫌に頷く。


「聞いての通り、なかなか会えぬ姪との私的な再会でな。皆には大変申し訳ないが、今日はいったんこれまでとさせてはもらえないだろうか?」


 異論は出ない。


 即座に応答が返り、机の周りの人間たちはそれぞれの資料をまとめ始める。


 手際が良い。


 無駄な動きがない。


 それだけで、この場の統制の強さが分かる。


 エストは、軽く視線を巡らせた。


 見知った顔がいくつかある。


 貴族、騎士団長、神殿関係者も一人。


 それぞれが一瞬だけ視線を寄越し、軽く会釈を交わして去っていく。


 誰も何も言わない。


 だが、何も見ていないわけではない。


 天幕の外へと人の流れが途切れていく。


 残るのは、公爵とエスト。


 そして従者たち。


 机上の書類が片付けられ、代わりに簡素な軽食と飲み物が並べられる。


 その間も、言葉は交わされない。


 沈黙は重くはない。だが軽くもない。


 測られている――そんな感覚が、空気の中にある。


 やがて従者が一礼して下がろうとしたとき、公爵が口を開いた。


「そなた達もしばらくは席を外してくれぬか? 衛士たちにもその旨を伝えてくれ」


 一瞬だけ、従者の動きが止まる。


 だがすぐに頭を下げ、そのまま退出した。


 足音が遠ざかる。


 天幕の外にあった気配も、次第に薄れていく。


 完全に消えるまで、公爵は何も言わなかった。


 やがて静寂が落ちる。


 遠くの喧騒だけが、かすかに届く。


 公爵は、傍らの小さな机に手を伸ばした。


 取り出したのは、掌に収まるほどの小さな装置だった。刻印を打たれた金属と魔石だけの簡素な作り。


 それを机の上に、コトリと置く。


「気休め程度ではあるがな」


 低く言ってから、どっかりと腰を下ろした。


 顎で椅子を示す。


 エストは無言でそれに従い、手近な椅子を引き寄せて浅く腰掛ける。


 背筋は伸ばしたまま。


 手は膝の上。


 互いに視線だけが交わる。


 続柄の近さとは裏腹に、二人の距離は一定以上に測られたままだった。


「で、エスト、あれはいったいどういうことかな?」


 この場はすでに目立ちすぎている――長くはかけられない。


 外に出た人間たちも、完全に無関心ではいない。


 時間が経てば、それだけで“意味”になる。


 エストは一度だけ瞬きをした。


 呼吸を整える。


 視線を逸らさない。


 ほんのわずかに、唇が動く。


 そして――言葉を選んだ。


「……どの件を指しておられますか、叔父上」


 公爵は椅子に深く腰を預けたまま、指先で机を軽く叩いた。


「まだズレてはおらぬ、ということか」


 柔らかな声だが、だが視線は冷たい。


「ならば、言い方を変えよう。あの勇者だ。無窮の、などと呼ばれているが」


 わずかに口元が歪む。


「――お前は、どこまで把握している?」


「勇者、として認識しております」


 公爵の指が止まる。


「それは、“呼び名”としてか。それとも、“中身も含めて”か」


 エストは、ほんのわずかに視線を上げる。


「呼び名としては、ご存じのとおりすでに定着しております故」


 すこし、逡巡してみせる。


「ただ――その内実については、全容を理解しているとは言えません」


 公爵の視線が、わずかに細くなる。


「ほう」


 短く返す。


「戦場で何が起きていたかは、報告に上がっている」


 淡々とした口調。


「今回の件も含めて、過去の魔物の討伐もそうであったように、瘴気の中で動き続け、なお戦果を出し続けておる。普通の人間では説明がつかん」


「それを踏まえて聞いている」


 視線が、真っ直ぐに刺さる。


「――お前は、あれをどう見ている? あれを、どう扱うつもりだ」


 扱う……?


 わずかに視線を動かす。


 机上の地図。西方へ伸びる線。その道すがらの国々。


「……叔父上」


 静かに切り出す。


「叔父上は、トウジをどうなさるおつもりですか?」


「欲しがる者は多い」


 エストは頷きを返した。


「すでに、いくつか打診が届いているのではありませんか」


 公爵の目が、わずかに細くなる。


「西方域諸国連合の各国から」


 続ける。


「勇者一行、あるいは彼個人を召し抱えたい、という要望が」


 言葉は柔らかい。


 だが、刃は鋭い。


 否定は返らない。


「……耳が早いな」


「推測です」


 公爵の指が、再び机を叩く。


「戦果があれば、欲しがる者は出る。ましてや、あれだ。」


 淡々と。


「抱え込めば戦力。渡せば脅威」


 ジロリ、とエストをねめつけてみせる。


「だからこそ、我がエルン王国が管理する必要がある」


 エストは、それには無言でほほ笑みながらわずかに首肯する。


「ただ叔父上——」


 顔を上げ、少し困ったような表情で顔を傾ける。


「それだと、少々問題がおきませぬか?」


 公爵の眉が動く。


「ほう」


「王国の意向が強いと知れたら、同盟諸国はそれをどう見るでしょうか」


 幼かったころ、よくやった仕草だ。


 ――が、さすがにあざとい。雰囲気だけにしておく。


「独占?」


 伯父の表情は変わらない、が、エストをじっと見ている。


「首魁級の魔物こそ討たれましたが、まだ脅威は残ったまま」


 公爵の視線がわずかに緩む。


「せっかくできた同盟の礎を崩してまで、トウジにこだわることは下策ではありませぬか?」

  

 指はまだ机を軽くたたき続ける。


 もう少し踏み込む。


「神殿に任せていただければ、中立性を担保する形になります」


「少なくとも――、どこか一国の所有物にはなりません」


 机を叩いていた音が、途切れた。


 ゆっくりと、姿勢を正した。

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