第2章「ラヴィニス様、最近おかしくない?」
●2-1 推し、来訪
アルヴィオン王国の魔術塔前広場には、正装の魔術師団と騎士団が整列していた。
旗が風に揺れる。空は澄み、遠くにフロルティア王国の使節団の馬車が見えた。
その中に――いる。間違いなく、彼女が。
(ついに来た……リリア……!!)
ミカは心の中で悲鳴を上げていた。
推し、最推し、至高の乙女、聖女リリア。その本物が、今まさに自分のいる場所に降り立とうとしている。
緊張と高揚で足が震えるのを、なんとかラヴィニスらしい涼しい顔で誤魔化す。
儀式の進行役はクラウディオ王子だ。彼が前に出て、公式の挨拶を始める。
「フロルティア王国よりのご来訪、感謝する。聖女殿下ならびにご一行、我がアルヴィオン王国は心より歓迎いたします」
儀礼的な言葉が交わされる中、ついにリリアの乗る馬車の扉が開いた。
そこにいたのは、ミカの知るビジュアルそのままの――――天使だった。
(うわあああああ、本物だあああああ!!!!!)
ふわふわの金髪。柔らかく微笑む唇。白いローブが光をはね返し、まるで祝福された存在のようだった。
ミカは魂が浄化されそうになりながら、理性で踏みとどまった。
(落ち着け、オタク。今お前は“ラヴィニス”だ。黒幕だ。にこにこしちゃダメだ!)
それでも、リリアが馬車から降りたとき、一瞬視線がこちらを向いたような気がした。
その瞬間、ミカの心臓が跳ねた。
(こっち見た!? いやいや、ただの気のせい、偶然だ、認識フラグじゃない! ああでも可愛い!!!)
式が進み、ついに両国代表の“顔合わせ”が始まる。
ラヴィニスとして、ミカも公式に前へ出ることになる。
「アルヴィオン宮廷魔術師、ラヴィニス・アレクトル。以後、儀礼と任務の範囲において、貴国聖女に協力する」
自分の声が、意外なほど落ち着いていることに驚く。そう、今の自分はラヴィニス。黒髪長身、クールな魔術師。
「よろしくお願いします、ラヴィニス様!」
リリアの笑顔が、無垢な声と共に返ってくる。
(ああああああ可愛いいいい!!! でも耐えろ私ぃぃぃぃ!!!)
目の前に立つ“推し”と初めて交わした言葉。それは、ミカにとって“オタク生命の頂点”だった。
●2-2 推し、急接近
謁見の間は、豪奢で静かだった。
長く伸びる赤い絨毯の先、クラウディオ王子とラヴィニスが並んで座す中央席。フロルティア側からは、レオナール王子とリリア、随行者が整列していた。
場には厳かな空気が漂い、儀礼的なやり取りが淡々と進められていく――はず、だった。
事件は、まさにその最中に起こった。
「……それゆえ、我が国といたしましては、聖女殿下の――」
レオナールが何事か述べている最中、リリアがふらりと一歩前へ出た。靴の先が絨毯の端に引っかかり――
「あっ」
短い声。リリアの体が、前方へと倒れ込む――その瞬間。
ミカの体が、勝手に動いていた。
ラヴィニスとしての反応速度。手が自然に伸び、リリアの腕を取って支える。そのまま倒れぬよう体を引き寄せ――
気づけば、リリアを抱き止めるような格好で、その場に立ち尽くしていた。
「……っ!」
距離、ゼロ。リリアの顔が至近距離にある。大きな瞳が、こちらを見ている。驚いたような、でも怯えてはいない、ただただ――純粋なまなざし。
(うわ、ちっか! リリアの毛穴まで見える距離じゃん! 可愛すぎる!!!!! こんなの心臓がもたない!!!!! っていうかなんでこんなことしちゃったの私ィ!!!!! いやでも推しが転ぶの見捨てられるオタクとかいる!!!!??????)
「ありがとうございます、ラヴィニス様……!」
少し照れた様子ではにかんで、リリアは花がほころぶように微笑んだ。自分の失敗を恥じ、思わぬ助け舟にただただ感謝しているのだ。
(ああああああフラグ立つうううううう!!!!)
ミカは全身を震わせながら、震える手でリリアをそっと立たせる。
「……足元には、お気をつけを」
低く冷たい声を、どうにか絞り出した。ラヴィニスとしての威厳を保とうと必死だった。
だが、謁見の間には、ほんのりとざわめきが広がっていた。
(うわあああああやっちゃったああああ!! 今の、今の絶対“好感度上昇”演出ぅぅぅ!!!)
周囲の貴族たちがひそひそと話している。クラウディオが何か言いたげにこちらを見ている。レオナールが、ほんの少しだけ眉をひそめていた。
(やめてええええ誤解ですうううう!!)
ミカは内心で泣きながら、背筋を伸ばし、冷静を装った。
だがこの一件が、ラヴィニスとリリアの“特別な接点”として、今後のルートに影響することになるとは――
この時点では、まだ知る由もなかった。
●2-3 推し、手強い
昼下がりの中庭は、春の陽光に包まれていた。
花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、澄んだ水の流れる音が心地よい静寂を作っている。
そんな場所に、ミカはいた。
ラヴィニスとして“護衛任務”の名目で、聖女一行の休憩時間に同行することになっていたのだ。
いや、単なる立ち会いで、特に接触する必要はなかったはず――だったのに。
「ラヴィニス様~、こちら、どうぞ!」
リリアが、にこにこと微笑みながら席をひとつ指し示す。
白いドレスに包まれた彼女は、柔らかな光を浴びて、まるで絵画から抜け出た聖女そのものだった。
「……恐縮です」
ラヴィニスの顔をして、ミカはなんとか微笑を封印したまま、椅子に腰を下ろす。
視線は正面、手元の紅茶へ――決してリリアの顔を直視しない。しないようにする。してしまうと、絶対に、
「ラヴィニス様って、すごく優しい方なんですね」
……耐えられない。
「! ……なぜ、そう思うのですか」
「だって、今日も助けてくださって……あのとき、すごく安心しました」
(やめてくれ~~~! それ、完全にフラグですから~~~!)
ミカの内心ではアラートが鳴り響いていた。
やばい。このままでは、“天然ヒロインに懐かれるパターン”が確定してしまう。
それは即ち――ルート突入、ということ。
(待って、こんなに早く!? これ、ルートロック型なの!? フラグ解除難易度高すぎる!!)
「私は……必要に応じて、最適な行動を取っただけです」
ミカはあくまで冷静に、距離を詰めない受け答えをする。
けれど、リリアの表情は変わらない。
「でも、私はすごく嬉しかったです」
(ですよねえええええ!!! 良い子なんだよなあリリアは!!!! 良い子過ぎてちょっとした悪意くらいじゃめげないの!!!!! わかる!!!!!!! でも今はやめてほしい!!!!!!!!)
崩れそうな心を必死に支えながら、ミカは自らに言い聞かせた。
耐えろ、耐えるんだ……推しカプのために……この誘惑を乗り越えてこそ、オタクだろ!!
この日から、ミカの「懐かれ系フラグ折り作戦」が、本格的に始まった。
●2-4 推しに嫌われる方法
翌日、ミカは意を決して、黒幕としての“らしい”態度を実行に移した。
リリアが再び魔術塔を訪問し、軽い打ち合わせの場が設けられた。内容は魔力流の安定観測における協力について。
前回の接触で確実に“懐かれフラグ”が立ってしまったミカは、今回は徹底的にクールかつ無感情に徹する構えだった。
「こちらの術式配置図です。聖女殿下には中央制御陣の“干渉域”まで立ち入っていただきたくはありません」
言い回しも冷たい。声も硬く、目線すら合わせない。
リリアは一瞬、ぽかんとした表情になったが、すぐに微笑み直した。
「はい、わかりました」
その反応に、ミカは内心で「よし」と小さくガッツポーズを取った。これで距離は取れた。たぶん。おそらく。
だが、会議後――
「最近のラヴィニス様、少し冷たくありませんか?」
控えの間で、側近ルディが心配そうに声をかけてきた。
「……そうか?」
「いえ、失礼ながら……聖女殿下に対して、以前よりも随分と“距離”を取っていらっしゃるような……」
図星だった。
「余計な詮索は無用だ」
低く、短くそう言い捨ててミカはその場を離れた。だが、背中にはルディの「何かあったのだろうか……」という気配がじわじわと刺さってくる。
(くっ、違うんだ……これはフラグを折るための演技なんだ……!)
さらに、クラウディオ王子にも言われた。
「ラヴィニス、最近ずいぶんと他人行儀だな。聖女が来たというのに、まるで“壁”を作っているように見えるぞ」
この指摘に、ミカはうっかりむせかけた。
「……業務に私情を挟まぬのは当然だ」
そう言ってごまかしたが、クラウディオの表情はどこか納得していない様子だった。
(うわー、完全に“ラヴィニス様、最近おかしくない?”の展開……! これはやばい……)
距離を取ろうとして演じた冷酷キャラが、逆に「様子が変」だと疑念を生む――
ミカにはその現象に心当たりさえあった。
(これ完全に、「攻略対象の好感度が上がって逆におかしな態度をとり始める」パターンのやつ!)
ミカは、まだ序盤のこの段階で、これ以上フラグを乱立させてはならないと、緊張感を強めていた。
●2-5 記録の再確認
夜、ミカは塔の自室に戻ると、魔術灯を最小限に灯し、机の上に大量の書類を並べた。
「これが、こっちの世界のルートイベント……っと」
机の上には、リリアの行動記録、王宮の通達文、各地の魔力結節点に関する観測結果など、徹底的にかき集めた情報が広がっていた。ミカはゲームオタクらしい情熱と洞察力を駆使し、それらの断片を頭の中で原作の流れと照合し始める。
「聖女覚醒イベント、魔力暴走イベント、試練イベント……ここまでは、本編と大体一致……っていうか、ほぼ最短ルートじゃん!」
ミカは頭を抱えた。
「よりにもよって、レオナールルート最速攻略チャート通りって、なにこれ怖い……!」
原作で最推しだったレオナール×リリアルート。ヒロインと王子が互いに惹かれ合いながら、幾多の試練を乗り越えて結ばれる王道の流れ。ミカはこのルートを“至高”と讃え、死ぬほど繰り返しプレイしていた。
だが、今の自分の状況はどうだ?
「……ラヴィニスって、原作じゃリリアに『私を利用するだけ利用して、最後は切り捨てるのね』って言われる立ち位置だったよね?」
にもかかわらず、現実のリリアは純真な笑顔で近づいてきて、攻略対象さながらの好感度イベントを発生させてくる。
「おかしいでしょ!! 私、そんなフラグ立てた覚えないし、立てたくもないし!!」
バンッと机を叩き、椅子の背にもたれて天井を仰ぐ。だが、そこで終わらないのがミカの“推し愛”だった。
「落ち着け……推しカプは順調にイベント消化してる。問題は私。私がこれ以上フラグを立てなければ、きっと大丈夫……なはず……」
その時、ふと目に入ったのは、結節点の観測記録に紛れていた、一枚の古地図。そこには、記憶にない施設の名前が小さく記されていた。
「……これって、本編にはなかった地名。ファンディスクの背景とか……?」
思い出しかけて、ミカは頭を振った。
「いやいや、まだ断定するには早い。とにかく、ルート回避の方法を考えなきゃ……!」
ミカは机の上の紙束を再び引き寄せ、苦悩の唸り声を漏らしながら、ルート分岐とフラグ管理のシミュレーションを始めるのだった。