俺は振り回されたくない
結局冬真は購買から教室に着くまでの間一言も会話をしてくれなかった。
教室まで俺の袖を引っ張って連れてきた冬真が教室についた途端俺から手を離して自分の席に座ったので、俺も一旦自分の席に戻る。財布を学生カバンに戻していると席の左隣から声が聞こえてきた。秋介だ。
「おい。お前も乾もどこ行ってたんだよ。」
「え、購買だけど」
「連れてけよ!俺初日からボッチとかきつい。」
「はぁ」
…正直今はこっちのめんどくさい人じゃなくて向こうのめんどくさい人を見るのだけで手一杯なんだけどな。
冬真がおかしくなってしまったのは松坂先輩が理由だろう。でも俺は松坂先輩についても、松坂先輩と冬真の関係についても全く詳しくない。なんだか複雑な関係だったぽいのでむやみに口出しをすることができない。余計に冬真を傷つけてしまいそうだ。
俺が冬真への対応をどうしようかと考えているうちに秋介が秋介の机とを俺の机にくっつけてきた。秋介が俺の机の上に弁当箱を置く。
「おーい乾。飯食うぞー」
秋介が教室の前方で自分の席に腰かけている冬真に声をかける。
…声をかける?
あいつは先ほどまで意味の分からない行動をしていて今はとてもナイーブな状態なのだ。語気の強い秋介の喋り方では今の冬真が簡単に傷ついてしまうかもしれない。
「ちょ、秋介もっと丁重に冬真を扱って…!!!」
「あ?」
事情を知らない秋介には俺の言葉の意味が分からなかったようだ。めちゃくちゃ睨まれた。
しかし俺の心配とは裏腹に冬真は秋介に対して元気よく返事をして松坂先輩からもらった弁当を持って俺達の机にやってくる。冬真の顔にはいつもどおりほどではないが笑顔が戻っていた。
「永野ー!飯って言うのやめてよね。ご飯って言って!」
「どっちでもいいだろ。早く食うぞ、柊も。」
「う、うん。冬真イスある?」
「あー、自分の席から持ってくるのは遠いしなあ…。原田さーん!このイス使ってないよね〜?僕使っても良いー?」
冬真が原田さんたち女子グループが固まっている教室の後ろのほうに声をかける。
「いいよ〜私達食べ終わったし〜」
「ありがとー!」
冬真が原田さんの席を移動させ、俺と秋介の対面に座る。
「それじゃあいただきます!」
「「いただきます」」
冬真の掛け声に合わせて俺と秋介はいただきますをする。…のはいいものの、そこからの空気がとてつもなく重かった。
冬真は「焼き肉美味しー!」とか「シュークリームおいしー!」とかずっと言っているが空元気がバレバレでなんて言葉を返して良いのかわからないし、秋介はもとからの性格のせいで全然喋らないし。
…俺が無責任に口開いていい空間なのかわかんねえーーー!!
全員無言で気まずい時間が流れる。
そんな気まずい空間に耐えられなくなったのか秋介が明らか不機嫌モードになりながら口を開いた。
「お前らなんでずっと静かなの。なんかあった?乾もヘラヘラしてねえし」
「は!?なんもなかったし!?ヘラヘラはずっとしてないし!?」
冬真がいつもの三倍以上顔を真っ赤にして声を張り上げる。うるさい。秋介は耳を手で押さえ、冬真を睨む。
「してんだろヘラヘラ。うっとーしー。どうせ購買行ってたときになんかあったんだろ?早く話せようざい、俺のことハブっといて。」
「お前、語気強いって…」
「乾が話す気無いなら柊でも良いんだけど。早くしてくんね?気分わりーー」
秋介が椅子を後ろに傾けて机をガンガン蹴りだす。だが秋介の意見が正しい。意味も分からず空気の悪い中で飯を食いたくはないだろう。理由くらいは聞きたいはずだ。だが…
「…話すって言ったって、俺も何があったか良くわかってないんだよな。」
「じゃあ話せ、乾。」
「うぇ!?」
冬真がシュークリームを加えながら目をまんまるにする。秋介は頬杖をつきながら反対側の手で机をトントンして冬真を急かしている。俺は口を挟んだらもっとめんどくさいことになりそうなので静かに松坂先輩からもらった唐揚げ弁当を食す。
「……購買でいとこのお兄ちゃんに会ったの。それだけだから…」
冬真が目を伏せてシュークリームをかじる。瞳は長いまつげに隠されて冬真の感情がよく読み取れない。恥ずかしいのか悲しいのか。俺にはわからない。
…てかちょっと待てよ?さらっと言ったけどコイツ…
「松坂先輩いとこだったの!?それ言えよ!!!」
「?あれ、言ってなかったけ?」
冬真がきょとんと首をかしげる。まったくかわいくない。イライラする。
「言ってねえわ!!」
「ご、ごめん…」
「勝手にそこで話進めんな。俺にも丁寧に説明しろ。」
「ご、ごめんってばぁ」
秋介はまだ話を掴めていないようでイライラしているが、俺的には一番もやもやしてた松坂先輩と冬真の関係について知ることが出来たので気分がだいぶ軽くなった。離れ離れになった兄弟とか、腹違いの兄弟とかそういった複雑な関係じゃなかったことに安堵する。これでやっと俺は冬真に変な気を使わなくてよくなったのだ。
「冬真にしかわかんないとこまでは俺が話すよ、こいつ言葉足らずだし。」
「ん、どっちでも良いから早く」
「…購買行く道わかるか?テニスコートの横の通路通るんだけど、そこで冬真が急に固まって動かなくなったんだよ」
「は?」
わかるよ、は?だよな。でもそれ以外の説明が俺にはできないんだ、ごめんな。
「それで、とりあえず俺が冬真を抱えて購買まで運んだんだわ」
「…お前もお前で意味わかんないのな」
秋介がそう言った瞬間、冬真が立ち上がって俺を指さす。
「そうだよねー!?僕が固まったからって抱えて運ぶの意味分かんないよねー!?」
「意味わかんないとは心外だな…。……まあそれはどうでも良くてだな、購買についたら冬真が松坂先輩に声かけられたんだよ」
俺はなぜか顔を真っ赤にして怒っている冬真を無視して話を続ける。
「松坂って、生徒会のヤツ?会計の背高い男だろ?」
「そーだよ〜兄ちゃんは身長180超えてんだからね〜」
「え、いいな。乾、そいつバスケ部なの?」
「えー違うと思う。今は部活入ってないっぽかったし」
「んだよつまんねーの」
「…こほん、それで松坂先輩が冬真と一応俺の分も弁当買ってくれてて弁当分けてもらったんだよな。そしたら急に冬真が松坂先輩から逃げるようにして教室に帰ってきたんだよ。」
「弁当もらってすぐ逃げてきたのか?弁当ドロボーじゃん」
「ちがうしっ!!!俺は…」
冬真が顔を真っ赤にして怒ったあと、恥ずかしそうに口ごもる。
「冬真、どうして逃げてきたのか俺達に教えてくれ。俺、お前のせいで初対面の食べ物くれた先輩と禄に会話もせずに退散する羽目になったんだぞ?」
「うっ…。あんまり話したくないんだけどなあ…」
「ごちゃごちゃ言わずにとっとと話せよ」
「うぅぅ…わかったよぉ…。」
冬真が一度深く深呼吸してから口を開く。
「…兄ちゃんとは昔、恋愛関係でちょっと揉めてね。それで今日、購買に行く途中で女子をお姫様抱っこしてる兄ちゃんと目が合っちゃって。なんか気まずかったってだけ!!!それだけだから!!!これ以上は言えない!!」
冬真は顔を真っ赤にしながら口の前で小さくバツマークを作る。
いとこのお兄ちゃんと恋愛関係で揉めることなどあるのだろうか。俺と俺のいとこの年が離れすぎているから想像しずらいだけで普通はそんなものなのだろうか。
秋介がさっきまで悪かった姿勢を元に戻し、飯の続きを食い始める。
「なんかしょうもね。それだけで固まって柊に運ばれる事になったわけ?」
「それだけって言わないでよ!僕にとっては超気まずかったの!!!」
「…なんか俺も安心したわ。飯食お」
「もー春輝まで!!僕が話したくなかったこと話させたんだから良いリアクション取ってよねー!?」
そんな事言われても困る。冬真にとっては大切なことかもしれない。けれど俺はそんなしょうもない理由のせいでめんどくさいことに巻き込まれて大変だったのだ。冬真を心配して気に病んだ自分が馬鹿みたいに思えてくるじゃないか。
顔を真っ赤にして怒っている冬真を横目にしながら俺と秋介は黙々と飯を食う。松坂先輩が買ってきてくれた唐揚げ弁当はとても美味しくて、冬真を無駄に心配した分のエネルギーがみるみるうちに補給されていく。シュークリームも生地がふわふわで中のカスタードが濃厚でとても美味しかった。さすが私立の購買。
「ごちそうさまでした。」
「お前食うの早くね」
「松坂先輩のセレクトが良かった。この弁当うまいわ、次買ってみ」
「まじ、買おっかな」
そんな会話をしながら俺は食べ終わった弁当のゴミを教室の前のほうにあるゴミ箱に捨てる。再び俺が自分の席に座ったとき、秋介の手が俺の口元に添えられた。
「え、な、なに…?」
「ちょ、動くなって。……はい取れた」
秋介の親指にはカスタードクリームがついている。どうやら俺の口元についていたカスタードクリームを取ってくれたらしい。そして秋介は流れるようにその親指を自分の口に入れる。
「ん、うまい。」
「お、おう。カスタード取ってくれてありがとう…?」
「ん」
…男子校ではこういうノリ当たり前だったけど、共学出身でもこういう事するんだな。文化の違いが少ないのは嬉しいんだけど…びっくりした
すると今までずっと黙っていた冬真が俺達の間に割り込むようにして身を乗り出して言った
「ちょーっとぉー?僕を置いて二人でいちゃいちゃするのはだめなんじゃないのー??」
「あ?てめえがずっと顔真っ赤にして黙ってるだけだろ。てかいちゃいちゃしてねえし。」
「それは…そうだけど!!!いちゃいちゃはしてるじゃん!!」
「うっとーしー。やりたいならやればいいじゃん」
「わかった!!!春輝!今からカスタードつけるから取って!」
冬真は「名案!」とでも言いたげな顔で馬鹿なことを言ってきた。
「えぇ、秋介と冬真でやりなよ。俺は別に自発的にカスタード取ってもらったわけじゃねえし…」
「いやだよ!!だって永野に頼むよりも、春輝に頼んだ方がやってくれる確率高いもん!それに…」
「はいはい…やるから早くして…」
「…柊、押しに弱すぎだろ」
「半分はお前のせいだからな」
俺は静かに秋介を睨む。しかし秋介はそんな俺の視線など全く気にせずに飯の続きを食う。
冬真はにこにこ顔でわざとカスタードクリームを口につけている。こういうのはついちゃったものを取ってもらうから面白いのであってわざとやるものではないと思う。だけど俺は冬真の不機嫌をやっと直すことができるチャンスを手放す発言はしない。俺はそこまでお馬鹿ではないのだ。
「ん!とって〜」
口元にカスタードをつけた冬真が目をつぶってこちらを向く。何度見てもこいつのまつげは長い。長いまつげは冬真のかわいい雰囲気をより引き立たせている。
冬真が「はやく~」と言い出したので、俺はやれやれと冬真の口元に手を伸ばした。俺の手が冬真に触れる前に、俺の手ではない手が冬真の口元に触れた。その手の親指が冬真の口元についたカスタードクリームを拭う。
俺はその手の主を見る。そこには親指を加えてニヤッと笑っている秋介がいた。
「乾〜美味かったぞ〜」
秋介の言葉に反応した冬真が目を開く。冬真は目をまんまるにして、親指を加えている秋介と冬真に手を伸ばしている俺を交互に見る。するとみるみるうちに冬真の顔は赤く染まっていった。
「な…!!!永野!!!!このっ!!!!」
冬真が顔を真っ赤にして秋介をポコポコと殴る。秋介はめんどくさそうに自分の飯の残りを食い始めた。
さすがにずっと冬真に殴られ続けるのはうざったかったのか、秋介はニヤニヤと嫌な笑み浮かべて冬真を挑発する。
「乾、怒りすぎ。別にいいじゃん、カスタード取んの俺でも良かったんだろ?柊じゃなくて。」
「秋介…これは怒ってるんじゃなくて照れてるんだと思うぞ?」
秋介は冬真エアプすぎる。この殴りは怒りの殴りではなく照れの殴りに決まっているのだ馬鹿野郎。
「ちがうしっ!!!!もーーーー」
冬真は秋介を殴るのをやめ、机に顔を埋めてしまった。
ようやく良くなりそうだった冬真の機嫌を再度損ねさせた秋介を俺は軽く睨む。秋介は全く悪びれた様子を見せずにずっとニヤニヤしているだけだ。気持ち悪い。
「おい、乾。原田がイス返してほしそうにしてんぞ。」
「うぇ!?あ、ごめん原田さん!イスありがとう!!」
「全然いいよ〜。でも急ぎなよ?もう授業五分前だから先生来ると思うし。」
原田さんが席に戻ってきたことによって俺達もそれぞれの席に戻っていく。原田さんの忠告通り、俺達が席に戻った約三十秒後には教室に先生が来た。
「それでは五限目の委員会・係決めを始めます。起立」
◇
「これで六限目を終わります。礼。このあと速やかにホームルームを始めます。五分後には全員着席しているように。」
五限目は委員会・係決め、六限目は来月中旬にある体育大会についての説明だった。俺は特にやりたい委員会や係がなかったのでなんの役職にもつかなかった。委員会などに入ると部活をすることができる放課後の時間が無駄に削られてしまいそうだったからだ。
「なー柊ー、俺あの先生嫌いなんだけど。」
「堂々と悪口言うのやめてくんない?俺を巻き込むな」
「でもさーあれはおかしくね?」
秋介は委員会決めのときに立候補者が全くいなかった選挙管理委員に先生からの推薦で無理やりさせられたのだ。正直かわいそうだったが煩いコイツを抑え込むために真面目そうな委員会に所属させるというのはわりとナイスな判断だと思う。なので俺は先生のことを嫌いになるどころか好きになった。
「選挙管理委員、頑張れよ。てか、選挙なんか半年くらい後なんだからラッキーじゃん。」
「いやなんかさー、相方の佐々木?が言ってたんだけど、今からもう選挙の準備始めるらしいぜ?だるすぎまじで」
「ほーん、お前にはそんくらい真面目な委員会がちょうどいいと思うぞ」
「んでだよ」
不機嫌な秋介を横目に俺は帰りの準備をする。秋介や冬真が俺と仮入部行く約束を忘れた時用に持って来ていた陸上用のスパイクを見てため息を付く。コイツをこの学校で使えるようになるまで最低でも二日は待たなくてはいけない。なんで俺はわざわざ共学の高校に来たのにまた男に振り回されているんだと悲しくなる。冬真も秋介も誰とでも仲良くなれるはずなのになぜわざわざ俺の近くにやってくるのだろう。仲がいいとは言い切れない俺たち三人で集まるよりも、もっと自分に合った友達を見つけられるはずだ。まあ仲良く(?)してくれるだけありがたいのだが
「さっきからため息はいたと思ったら、ぼそぼそぼそぼそ陸上がなんだの、俺と乾がなんだのって言いやがって。聞いてて気分わりーんだけど」
「…誰のせいなのかね」
俺はノンデリ日本代表に秋介を推薦しようと心の中で決め、ホームルームを受けるために着席する。俺が着席した直後、職員室に資料を取りに行っていたらしい担任が戻ってきた。
「早く着席してください。ホームルームを始めます。」
先生の言葉に従いクラスメイトが次々と着席していく。俺に嚙みついてきていた秋介もおとなしく、されど態度は悪く自分の席に座る。
ホームルームで担任は今日から仮入部期間だという話をした。仮入部期間は一週間以上あるからじっくりやりたいことを見つけなさい、高校生活を後悔しないように選びなさい、先輩たちはみんな優しいから安心しなさい。そんな話だ。担任の話を聞きながらクラスメイトは周りの人間とこそこそ「どこの部活行く?」などと話し合っている。その会話の中から時々聞こえる「陸上部」という単語が俺の憂鬱を加速させる。
…まあ俺があいつらの仮入部に付き合うって決めたから別にいいんだけど。
頬杖を突きながら担任の話を聞き流しているといつの間にかホームルームが終わっていた。
「おい柊、早く着替えに行くぞ」
せっかちノンデリ日本代表の秋介が俺のカバンの取っ手を掴んで引っ張ってくる。俺はしかたなく歩き出す。冬真がぴょこぴょこと後ろからついてくる。
「ねーねー永野、バスケってむずかしい?」
小さなカバンを顔の前で抱えている冬真が秋介の隣に来てそんな質問をする。
秋介は少しの間空を見つめ、言葉を発す。
「今日、陸部行く。」
「へ?」
情けない声が聞こえた。それは俺の口から発せられたものだった。
…こいつ今陸部行くって言ったか!?なんで急に!?
秋介の顔を見る。なにを考えているのかわからないぽけーーーっとした顔をしてずっと空を見つめている。
「なんで急に陸部行くことにしたのー?僕は別にいいけどー」
冬真が興味なさそうに秋介に問いを投げかける。俺と秋介の目が合う。秋介はぽけーーーっとした顔を崩して少しにこりと微笑んだ。
「この学校だったらバスケ部より陸部のほうがモテんのかなって思ったから。それだけ。」
秋介はぶっきらぼうにそう答え、歩を早める。いつも通り意味のわからない理由を口に出す秋介。冬真はさほど興味がなかったのか「ふーん」と適当に答えて、秋介についていく。
未だに秋介の言葉を飲み込めず戸惑っている俺は、先を歩く二人を後ろからぼんやり見つめることしかできなかった。
陸部に行ける嬉しさと、あのノンデリ日本代表の秋介が自分の意見をぱっと変えたという事実に対する驚きが俺の中で大きすぎてパニックだ。
「春輝〜!!はやくきてきてー!置いてっちゃうよ!」
冬真が右手をおおきく振りながら俺を呼ぶ。