異世界だもんねそりゃそういう事もありますわよおのれ!
基本的に優しい世界。
エルフェミア・ヴィ・アレンシュトール公爵令嬢は王子の婚約者だった。
今はまだ立太子していないけれど、それでも彼が将来の王になるのは確実だと言われており、エルフェミアはつまり将来のお妃様であった。
エルフェミアはそれこそ精力的に学び、社交に臨み、王子との交流も全力だった。
勤勉であり、身分を笠に着て下々の者を虐げるような事もなく、清く正しく美しく、をまさしく体現したかのような淑女の鑑。それが、エルフェミアである。
エルフェミアがそれだけ頑張るのにはワケがあった。
彼女が前世で読んでいた小説と全く同じ世界で、エルフェミアはその話の中では最終的に悪役令嬢として王子に婚約破棄を突きつけられ、断罪されて舞台から姿を消す。
そんな、ヒロインのための踏み台であったからだ。
悪役令嬢になるつもりはエルフェミアにはなかった。
物語の修正力とか強制力があるかどうか、断言はできなかったけれど、それでもエルフェミアは周囲との人間関係に上手く立ち回り、自分についての悪い噂が出回らないよう細心の注意を払って、王子との仲も良好にして、と努力し続けた結果、原作では周囲から性格がきついとか、厳しすぎるといった事を言われていたが実際には穏やかで、それでいて必要な時には厳しくできるという評価になった。ただ優しいだけでは頼りなく、しかし厳しいばかりでは周囲の人間が委縮する。だからこそ、状況に応じて飴と鞭を使い分けられることができるというのは、必要かつ重要な評価だった。
原作ではその性格のきつさや優秀さを鼻にかける部分が目立つこともあって、王子との仲は微妙であった。
原作のエルフェミアは優秀である事を王子にアピールするべくひけらかしていた部分もあったが、それが王子にとっては気に食わなかったのである。
優秀なのはわかるけれど、何もそんな風にやらなくても……と思われるような、時として言わなくていいような事を言ってしまうなんてのもあって、王子からすると余計な一言のせいでカチンとくるような事があまりにも多かったのである。
それについては前世で小説を読んでいた自分も、ちょっとウザいよなぁ、と思う部分があったのでとても気を付けた。
結果として、王子との仲は原作と異なり良好。
元々不仲な部分もあったからこそ、王子はヒロインと恋に落ちるような事になってしまったのもあったが、エルフェミアとの仲が良好であるなら他の女を将来の自分の妻に、と挿げ替えるような考えを持つ必要がない。
不仲な挙句、ふとした瞬間に余計な一言で敵を作るようなエルフェミアの言動に嫌気がさしていたのもあったからこそ、エルフェミアと同じくらいの身分で、将来の王妃に相応しいとされたヒロインが選ばれたのだから。
原作のヒロインは最初、身分の低い貴族の娘であった。
けれど実はアレンシュトール公爵家とは対をなすもう一つの公爵家の娘なのだ。
ヒロインが生まれた当時、様々な諸事情によって彼女が巻き込まれないように、とした結果で、ヒロイン自身も出生の秘密を知ってからは身分の差という王子との恋の障害が消えたのもあり加速度的に仲が深まるものの。
ただそれは、王子の婚約者であるエルフェミアがとても嫌な女であることが前提だ。
国のためと言いながらその実己の欲望を満たす事しか考えていないのではないか? と思われるような言動をする悪役令嬢から、国と王子を救うためにヒロインもまた戦う決意をするのである。
そして最終的に悪役令嬢がやらかしていた数々の失態をあげて、更に公爵令嬢であったヒロインを害そうとした事も加味され断罪される。
ヒロインは、悪役令嬢が改心してくれさえすれば、別に自分が王子と結ばれずとも……と思っていたが、しかし高すぎるプライドからか己を顧みて反省することもない悪役令嬢に引導を渡す事を決め――結果、ヒロインは王子と結ばれる事になるのだ。
なので、そういった悪役令嬢としての部分がなければエルフェミアが断罪されて婚約破棄を突きつけられることもない。
――そのはずだった。
「すまないエルフェミア。婚約の解消が決まってしまった」
「そんな……!?」
婚約破棄は突きつけられなかったけれど、婚約解消が決定されてしまった、という王子の言葉にエルフェミアは思わず悲痛な声を上げてしまった。
何故。
一体どうして。
悪役令嬢にならなくても、やっぱり王子と結ばれるのはヒロインだとでもいうの……!?
そう思いながらも、エルフェミアはぐっと唇を噛みしめて王子の言葉を待った。
婚約の解消は、王子の一存で決められたわけではない。
国王と王妃、そしてエルフェミアの両親。婚約を結んだときの関係者が話し合い、そして解消を決めた。
「それで……では、殿下の次の婚約者は一体誰に……?」
やはりあのヒロインなのだろうか。ヒロインなんだろうな。
そう思いながらも確認のために問えば、王子の口から出てきたのはヒロインの名ではなかった。
「え……?」
思わずヒロインの名を口にして、彼女ではないのですか? と聞けば、彼女は低位貴族だろうと返された。
どうやら王子はヒロインが実は公爵家の娘であることを未だ知らないらしい。
それ以前に、マトモに交流をするような事もなかったからなんで彼女の名前が出たのか、と言わんばかりに王子の表情は訝しげである。
婚約が解消されたという事実に、その時点でエルフェミアは何も言えなかった。
だってもう解消は決定事項で、既に解消されてしまったのだから。
解消される前ならともかく、されてから文句を言ったところで今更である。
そうしてそのままエルフェミアは自宅へと戻り、母親に誘われるがままに旅行へ行く事となった。
旅行、というか、バカンスというべきか。
ともあれ、今までたくさん頑張ってきた娘に、ここぞとばかりに羽を伸ばしなさいというもので。
――婚約解消。
エルフェミアに大きな瑕疵があったわけではない。
だが、それでも。
婚約を結んだ者たちは話し合いに話し合いを重ね、彼女を王妃にするのは……となったのだ。
別にエルフェミアが劣っていたとか、そういうわけではない。
むしろ優秀であった。
能力的な部分だけを見れば、安心して任せる事ができただろう、と思っている。
けれど。
国王も王妃も、エルフェミアを案じていた。
王子だって彼女の事を心配していた。
そして、エルフェミアの両親も。
そういった、婚約を結んだ時にいた者たち以外でも。
実のところ密かに彼女の事を案じていた者たちは大勢いたのである。
それはエルフェミアの友人であったり、屋敷で働く使用人であったり。
はたまた城で顔を合わせる事のある者たちだってそうだ。
皆、彼女の事を案じていた。
決して、エルフェミアが王妃に相応しくないだなんて思っていなかったのだ。
彼女が王妃になれば、きっと素晴らしい王妃となっただろう。
だが、その輝かしい未来を、彼らは諦めたのだ。
だってこのままでは、彼女は死んでしまうかもしれなかったのだから。
エルフェミアは周囲から好かれていた。
派閥の関係上足を引っ張り合うような相手でも、彼女の事を心配していたのだ。
派閥とか、家柄とか。そういったしがらみによって表立って仲良くできない相手も確かにいたのだけれど。
でも、そういった面倒な事があってもなお、うまく立ち回って周囲の縁を結んできたエルフェミアは、本当に驚くくらい周囲に好かれていたのである。
顔を合わせればいがみ合い対立している家の者たちも、エルフェミアがとりなしてくれた時だけは「まぁ? 彼女の顔を立てて今回はね?」なんて言い訳みたいな事を言いつつ協力することだってあった。
細やかな部分にも目をむけて、周囲に気を配る彼女に助けられた者は大勢いる。
だからこそ、誰も彼女に死んでほしいだなんて思っていなかったのだ。
そしてそれが、婚約の解消に繋がる事となる。
エルフェミアはまさかそんな事になるだなんて、まったく予想していなかったのだけれど。
(一体どうしてこんな事に)
母に誘われキラキラとエメラルドのような輝きを放つビーチにて、パラソルの下、ビーチチェアに横たわりエルフェミアは差し出された飲み物を口にしながらもそう考えていた。
太陽のもとですくすく育った果実はぎゅっと甘さが凝縮されて、けれど適度に酸味があって甘いだけではない。そんな果実を絞って作られたジュースは、疲れた身体に大層染み渡った。
悪役令嬢にならないように、精一杯立ち回った。
周囲から嫌われて、いなくなっても悲しむ人なんていなくて、むしろいなくなってくれて喜ばれるような悪役令嬢にならないように、エルフェミアはたくさん頑張った。
その甲斐あって全部上手くいっているはずだった。
どこで間違えたんだろう……? と首を傾げたところで、これっぽっちもわからない。
原作の婚約破棄と断罪を回避したいがためにわき目も降らず駆け抜けてきたけれど。
婚約は破棄こそされなかったが解消である。
いや、断罪がないだけマシなのかしら……?
なんて思いながらも、差し出されたフルーツをつまむ。
よく冷やされた果実は口にした途端ビタミンたっぷり! と言いたくなるくらいに甘さと酸っぱさをエルフェミアの中で炸裂させた。
今までたくさん仕事をしてきたようなものなので、お役御免になっちゃったし……と考える事すら億劫になりつつもぼーっと海を眺めて、思い出したようにジュースや果物を口へ運ぶ。
そうこうしているうちに、周囲ではしゃぐような声が聞こえてきた。
あぁ、思えば、あんなふうにはしゃいで遊ぶなんて事、生まれ変わってからほとんどしてないわね……なんて思いながら、画面の向こう側でも見ているような気分で周囲でバカンスを楽しんでいるらしき人たちを見る。
周囲に気を配っていたものの、自分が不要だと思っていた噂話だとか、そういった情報は無意識のうちにシャットダウンしていたのね……と今更のように気付く。
断罪されないように、周囲の噂に耳を傾けなかったわけではないけれど、自分に関係なさそうな、関係あっても害にはならないだろうというような情報は早々に頭の隅っこに追いやっていた。
そうじゃないと、情報を処理するのも一苦労だったから。
だが今はもう、そういうのを気にしなくてもいい。
ただ聞こえてくる楽しそうな声や、カモメやウミネコの声を、なんとはなしに聞いていたって何も問題はないのだ。
今の今まで社畜だってそこまでしないよ、と言わんばかりに働いていたからこそ、今の彼女は何も考えず周囲の物音に耳を傾けていたのである。
「えーっ、それじゃあエルフェミア様は療養のために婚約を解消なされたの?」
(ん?)
ふと聞こえてきたそんな声に、自分の名前があったことで。
エルフェミアの意識はほとんど反射的にそちらへ向いていた。
「陛下やエルフェミア様のご家族の意向もあったみたいよ。それに何より、殿下も」
「わかるー、私だってその場にいたらそうするもの」
「そうよね、あんな素敵な女性が早死にするなんて思いたくないもの。せめてゆっくり休んで、一日でも早く元気になってほしいわ」
噂の声の主は、エルフェミアと同年齢くらいの女性たちだった。
とはいえ、貴族ではなさそうだ。
露出高めの水着ではあるものの、しかし下品ではない。一人は手に新聞紙らしきものを持っていたし、もう片方も何やら雑誌のようなものを持っていた。
会話しつつも移動していったので声はどんどんエルフェミアから遠ざかっていったけれど。
(え、私健康ですけど?)
なんで療養とか早死にとかそんな事になっているの?
解せぬ、とばかりにエルフェミアは眉を寄せた。
先程会話していた女性たちは貴族ではなくとも、平民の中でも中流から上流階級に近い者たちなのだろう。前世の仕事ができる女性と似た雰囲気をしていた。
ちなみに声が聞こえる範囲にいたエルフェミアに関して、あの女性たちは気付いていないようだ。
……まぁ、普段人前に出るような、いかにも、といった服装でもなかったのだから気付かれなくてもおかしくはない。
髪型だって普段はドレスに合うようにしていたし、メイクだって……
それが今ではとてもラフなものなので、畏まった場のエルフェミアと今のエルフェミアが同一人物であることに気づけ、というのは……身内や親しい友人あたりならともかく、赤の他人には少々無茶が過ぎるだろう。
本人がいるというのに相手は気付かず悪口を言っていた、とかそういう状況よりはマシなのだけれど、それにしたってだ。
本人至ってピンピンしてるのに、なんでそんな事に……? となるのも仕方のない事で。
だからこそ、その疑問を放置したままにしてはおけぬ、とエルフェミアはどうしてそんな事になったのかを調べる事にした。
――結果。
真実はあっさりとエルフェミアの知るところとなった。
そして膝から崩れ落ちた。
蓋を開けてみれば、誰かの陰謀だとかそういう話ですらなかった。
ただ、エルフェミアの価値観と、この世界の――いや、この国の価値観との違いというやつで。
前世、エルフェミアが暮らしていた国では美白こそ正義と言われていた。
実際温暖化の影響で夏は馬鹿みたいに暑すぎるし、紫外線はきついので何のケアもしていないとあっという間に日に焼けるというのもあって前世のエルフェミアはそれはもう美白に力を入れていた。
そうでなくとも前世の彼女の体質的に、日に焼けたら肌が黒くなっていくとかではなく赤くなってひりひりするし、あまりにも酷くなると水膨れになったりして、まぁ要するに火傷である。
それもあったからこそ、日焼け止めを始めとした紫外線対策は万全だった。
夏だけではない。
冬は冬で雪が降るのだが、その降り積もった雪に太陽の光が反射して雪焼け、なんて事もあったのである。
一年中紫外線対策を怠るわけにはいかなかった。
シミやそばかすができる、くらいなら可愛いものだ。だが、赤くなってヒリヒリ痛んだり、水膨れができたりすると自力のケアだけでは追い付かず病院のお世話にならなければならなかった。
ある意味で、前世のエルフェミアにとって美白であり続けるのは、肌の健康を保つことと同義だったのである。
前世のエルフェミアはそうやって生きてきて、そうして死んだ。
その価値観を含めた前世の記憶が蘇った結果、彼女は当たり前のようにここでも美白であろうと努めたのである。
ところがだ。
この国では美白と言うのは不健康の代名詞であった。
周辺他国からもこの国は南国のリゾート地のような扱いを受けている部分がある。
温暖な気候は一年中続き、自国の人間なら冬は流石にちょっとばかり着込むかもしれなくとも、他の国から来た人間は冬でも暖かいと薄着で過ごす事もある。
夏の暑い時期、特に海周辺はバカンスとしての人気スポットで、大勢の人がやってきて賑わうのだ。
まぁ、ビーチ全体が、というわけでもなく、大勢でわいわいやってるところもあれば、静かに楽しむところもある。ビーチの区画ごとにそういった違いがあれど、まぁ賑わっているのは確かだった。
平民は仕事の際に外で肌がこんがりと焼け、貴族たちは休暇を楽しむ際に日の光をたっぷりと浴びる。
結果としてこの国の民たちのほとんどが、こんがりとやけた小麦色の肌であった。
中には色の白い者もいるけれど、そういった者というのは大抵病弱であまり外に出ない身、という認識である。
エルフェミアのように美白に命懸け、というわけでもなく、普通に室内で過ごす事が多すぎて日焼けする事がないのだ。
その中で、エルフェミアは圧倒的な美白を保っていた。
精力的に外でも活動しているのに、肌は常に真っ白。
たとえばそれが、日焼けしたくないからとスキンケアに力を入れている事を周囲が知っているなら良かった。けれどエルフェミアは美白を保つための努力を、周囲に悟られないようにしていたのだ。
前世でも努力というのはこれみよがしに人前だけでやるものではない、という考えであったのが裏目に出た。
どうせなら自分はあまり肌を焼きたくないのです、と最初から宣言して美白していると知らせておけばあぁそうなのね、で受け流されたかもしれないのに。
家族にも使用人にもあえて美白に努めていると言わず、スキンケアに関しては前世の知識を用いてしていたのもあって、確かにエルフェミアの肌はきめ細かいものではあるのだ。
だがそれは余計に、病弱そうに見える事に拍車をかけてしまった。
あれだけ外に出て公務をしているのに、常に白い肌。
それは貴族は勿論平民たちの目から見ても、エルフェミア様は病弱なのにあんなに頑張って外に出て……という風にしか見られていなかったのである。しかも外に出る時日傘を用いていたのは、エルフェミアにとっては紫外線対策でしかなかったのだけれど、周囲の目からは病弱だからこそ、日の光にあたるだけでも辛いのかも……という風に受け取られていたのである。
エルフェミア本人に日傘について聞けば、紫外線対策ですとあっさり答えが返ってきたかもしれない。
けれども、この国では日傘というのは病弱な者がそれでも外に出る際、なるべく強い日の光に照らされて具合を更に悪くしないために使う事もある、という……メジャーと言う程でもないがマイナーと言い切るほどでもない医療アイテム的存在だった。
それがこの国での常識だったので、そんな常識をわざわざエルフェミア本人に聞いて、彼女が病弱であることを遠回しに責められているというような思いをさせるのは……と周囲も一応気を使った結果、誰も何も聞かなかった。
また、エルフェミアも周囲がそういった紫外線対策をしている様子はなかった事は知っていたが、スキンケアについて聞かれる前にこちらからこれみよがしに語るのもな……下手にでしゃばって嫌な人、みたいに思われて悪役令嬢ルートにいったらヤだし……と彼女自身も自分からその手の話題を口にすることはなかった。
お互いがお互いに気を使った結果見事にすれ違っている。
それ故に、エルフェミアはこの国では色白であることはあまり良いこととされていない、という事実に気付くことがなかったのである。
いや気づけよ、と思われるかもしれない。
けれども、今の今までエルフェミアの中では原作のような悪役令嬢になって婚約破棄からの断罪ルートを回避しなければ……! という思いが強すぎて、むしろそれが最優先事項であったからこそ、周囲の皆がお肌を小麦色にしているという事実など些細なものだと思っていたのだ。
まぁこれだけ強い日差しだものね、とかエルフェミアだって常々思っていた。
思った程こんがり焼けてない女性もいたし、女性に関して言えばまぁ健康的な色合いだったしエルフェミアが疑問に思う程がっつりこんがり、というタイプはそこまでいなかったのである。
男性に関してはもうちょっと焼けている者も多かったけれど、貴族の令息たちであっても護身として武術を学んだり馬術や砂漠を行く際駱駝に乗ったりもするので、男性はもれなく大抵健康的な肌の色合いだった。
男性の中にも色白な者はいたのだけれど、そういった相手とエルフェミアが関わる機会はこれっぽっちもなかったので。
彼女の中では皆日に焼けるの気にならないのかしら……とちょっとは思ったけれど、あえて話題にして聞くほどでもなかったのだ。聞いていれば、彼女の前世の価値観とこの国の通常の価値観の差について、その違いに気づけたかもしれないのに。
そうしてその結果、エルフェミア本人は健康で元気いっぱいなのにも関わらず、周囲はそれを無理をして頑張っている、という風に捉えてしまったのである。バカみたいなすれ違いであった。
エルフェミアは悪役令嬢にならないように周囲の人間関係を良好にするぞ! あと王子と婚約破棄されないようお仕事もいっぱい頑張ろう! とか前向きに頑張っていただけなのに、エルフェミアに前世の記憶があるなんて言われていないしそれらしき言動をしたわけでもないため、周囲から見たエルフェミアは――
生き急いでいるようにしか見えなかったのである。
自分が生きている間に王子の負担を少しでも減らそうだとか。
新しいお相手ができた時、混乱してその隙を狙われたりしないようにだとか。
エルフェミア本人は主に己の保身で悪役令嬢回避のために頑張っていただけなのに、周囲から見た彼女は生きているうちに国のため、そして王子のためにと精一杯の献身をしているようにしか見えなかったのだ。
悪役令嬢にならないために周囲の人間関係に気を配りまくっていたのもまた拍車をかけた。
他国からのちょっかいにもびくともしないよう、国内の結束を盤石のものにしようという風に受け取られたのだ。
たった一人の少女のそんな頑張りは。
彼女の事を好意的に見る者たちからすれば、もういいから休んでぇ……! となるもので。
どうでもいい相手ならともかく、自分にとって好ましいと思う相手が死ぬまでの残り僅かな時間を精一杯みんなのためにと使って、自分の事は二の次、みたいにされていれば。
好きな相手であるならば、せめて長生きしてほしい。
そう思う者が多かった。
特に国王夫妻などは、あんなに病弱な娘があれほど必死に……彼女一人に負担をかけさせるわけにいくものかと執務により励み、王子だって婚約者の少女がそうまでしているのだ。無理はしないで、と言ったところで聞き入れてもらえなさそうだし、そんなに自分は頼りにならない……? いや、彼女がいなくなった後、自分が悲しんで何もできない期間があっても、その余裕を稼ごうと……? と勘違いした結果、彼もまた公務を張り切った。
それに触発されて城で働く者たちも今まで以上に勤勉に職務をこなし、結果として何かびっくりするくらい色々な政策がはかどった。はかどってしまったのだ。
知らぬ間になんだか国がいい方向に転がってしまったとは露ほどにも思っていないエルフェミアは、ではその隙にあれもこれも片付けてしまいましょう、と更なる仕事に手を付け始め――
結果としてこれ以上彼女に仕事をさせてはならない、と周囲は悟った。
このままでは彼女は死ぬまで働き続けてしまうかもしれない。
彼女が王妃となる日がくるのなら、それは大変喜ばしいものだけれど。
でも、その前に命を落とすかもしれないのだ。
これだけ努力し王家のために尽くしてくれる少女を、早死にさせるなど……
身分が上の者たちだけではない。
平民たちからの人気も高かったエルフェミアは、たとえ王妃になれずとも長生きしてくれるならその方がいい、とまで言われるようになっていて。
多分その場にこの世界の神様とやらがいたならば、いや彼女の寿命はまだまだ先だしあと何十年も元気に生きるぞ、と言っただろうけれど。
生憎とその場に神様はいなかったし、神託を受け取る者もいなかったので。
エルフェミアの命は風前の灯火だと国中の人間に思われていたのである。
結果として、彼女にはのんびり療養に努めてほしい、となり。
婚約は解消。これから先はゆっくりと好きなことをして生活してねとなったのである。
ただ、色白であることを保とうとしただけなのに。
婚約を解消された後の両親や周囲の人間のやけに生温かい眼差しに、一体何事だろうかと思っていたけれど。
真相を知ってエルフェミアは崩れ落ちるしかなかった。
だって。
だって今更言えるだろうか。
自分、めっちゃ健康で単純に美白を維持していただけです、なんて。
いや、言ってもいいとは思うけど。
でも、そこまで勘違いさせるようなことになっちゃったのは確かで。
しかももう婚約は解消されてしまっている。
もっと早くに言っていたら……と思う自分だっているし、であれば他にそう思う誰かもいるかもしれない。
騙すつもりはこれっぽっちもなかったけれど。
でも結果的に国中を騙したみたいになってしまってるわけで。
そんなわけでめっちゃ健康だから婚約解消とかなかった事にならない? なんて言われたところで、既に王子の新たな婚約者は決まってしまっているし、彼女はエルフェミアの意志を継いでみたいな感じでとてもやる気に満ちている。
言えるか、そんな中で。
ちょっとした行き違いとか勘違いでした~。で、また婚約者に戻してもらえるとはとてもじゃないが思えない。仮に、戻ったとしてもだ。王子の新しい婚約者に選ばれた彼女はそうなればまた他の婚約者を、となるわけで。エルフェミアが周囲の人間関係にとても気を配りまくって現状派閥間の争いとかそういうのも減ったとはいえ。
荒れる。
どう考えても荒れる。
そんなつもりはなくとも、国中をペテンにかけた、とか言われるかもしれない。
いや、なんだかんだ皆優しいからそうならないとも思いたいけど。
だが、まぁ仮に自分がそちら側の立場であったならどうだろう、と考える。
(普通に紛らわしいとか思うし、お騒がせにも程があるって思うわね)
仮に皆になぁんだそうだったのね~、で許されたとして。
(下手すると、なんか中二病患ってたみたいな認識になったりしない……?)
あえて病弱っぽく装ってた、とか思われる可能性は普通にある。別に装ったおぼえなんてないけど。
考えれば考えるだけ。
最終的にみんながやたらなまあたたか~い眼差しでもって自分の事を困ったちゃんみたいに見るんじゃないだろうか。
そう思えてしまって。
(真相を、言えるわけないわ……)
大体どうして美白を維持しようとしていたのか、とか問われても前世の時と同じノリで、とか言えるはずもないし、しかも前世は紫外線に弱い肌だったけど、思えば今世のエルフェミアの肌は別にそういったものでもない。両親を見る限り、多少日に焼けたらその分小麦色に近くなって、赤くなって痛むような事はなさそうだ。
美白に憧れて、とかそれっぽく言おうにもこの国じゃそれは病弱であることの証みたいなものなので、そうなると中二病あるあるな病弱系美少女を演じようとしていたみたいに思われる可能性が出てしまう。
大体本気で自分の事を心配していた相手に、実はなんともありませんでした、はそれはそれで……なんていうか、こう、申し訳ない気がしてくる。今の今まで本気でその事実に気付けなかったから余計にいたたまれない。
考えれば考える程、真相を明かす勇気は――
エルフェミアにはなかったのである。
(悪役令嬢じゃなくなった、から当初の目的は果たされた。
そのかわり、余命いくばくもない病弱な女……みたいな印象が国全体に根付いてしまったわけだけど。
お母様がバカンスに、って言ってたのも生きてる間に少しだけでもせめて……とかいう感じかもしれない)
ふと思い出す。
あの頃はとにかく悪役令嬢から脱却したいためにがむしゃらに突っ走っていたけれど。
思えば友人となった令嬢たちにだって小旅行にでもいかないか? とか誘われていたことはあるのだ。
遊んでる暇とかありませんし行くなら視察になってしまう、と思ってやんわりと角が立たないように断ったけれど。だってどこで何があって悪役令嬢フラグが立つかわかったものじゃなかったし。旅先でついうっかり羽を伸ばした結果、それを悪しざまに受け取られて……とか、そういう最悪の想像だってしてしまったものだから。
お出かけはほとんどしなかったけど、かわりに観劇とか、お茶会とか、そういうおとなしめな催しには参加していた。……今思えばそれも余計に病弱だという認識に拍車をかけたのかもしれない。
何せこの国、夏場は海辺が人気だけど、前世みたいな大型プール施設みたいなものもあるので。
割と一年中そういったアウトドア派が遊びに行きそうなものが主流であるが故に。
インドア派だったエルフェミアは余計に深窓の令嬢扱いだったのかもしれない。
エルフェミアに現状残されている道はそう多くはない。
一つ、このままずっと病弱そうな女を演じ切る。
病弱そうであって、別に病弱ではないのでそのうち案外彼女丈夫なのかな、とかそういう方向に落ち着いてくれないかなと密かに思っているが、病弱そうなのに案外図太いのね、とか言われると正直ちょっと傷つきそうな気がしている。
一つ、今からコツコツと肌を焼いて、健康的な小麦色を目指す。
正直これが一番無難だと思われる。
時間をかけて健康を取り戻した、とかそういう風に周囲も見てくれるだろうし。
この国で生きていくならこの案がいいかもしれない。
美白に情熱かけてた前世の価値観を捨てるまでにちょっと時間がかかるかもしれないけれど。
一つ、いっそ肌が白いのが当たり前の北の方の国に移住する。
肌を焼かなくて済む、という点でこの案はありそうだが、しかしよく考えると両親が賛成してくれるかが謎だ。一つ二つ程度隣の国ならまだしも、大分北の国となると、どうしてそこに、と聞かれるだろうし、それをしっかりと説得できるだけの材料は今エルフェミアの手元には存在していない。
あと正直なところ、前世ならともかく今のエルフェミアが北国で生活できるかどうかが疑問である。寒さ耐性があるかもわからない。
考えて考えて悩んだ末に出した結論は……
まぁ、無難に療養生活してますよ、というのを装いつつ少しずつ肌を焼く事だった。
王子との婚約が解消されたからとて、新しい婚約者を……とはならないので。
生き急いでいるとか思われてるし、そう遠くない未来に死ぬかもしれないと思われてる相手に、じゃあ次の結婚相手を……とはならないので。
悪役令嬢フラグはぶった切ることができたものの。
行かず後家フラグが立つとはエルフェミアにも思っていなかったのである。
彼女がこの後健康そうな小麦色の肌を手に入れて、死にそうだったのが回復したと思われた上で、無事結婚できるかどうかはさておき。
両親がなんだかんだエルフェミアに甘いので、健康を取り戻したと思われれば結婚相手はどうにかなるだろうし、仮に結婚せず独身を貫くと言ったところで多分許される気がしている。
まぁ、なんにせよ。
今後のエルフェミア次第である。
こういうちょっと話し合えば簡単に解決するけどあまりにも常識的すぎてわざわざ話す必要あるか? みたいな感じですれ違う案件って時々あるよね、的なノリでできたのがこちらになります。
次回短編予告
正直自分でも何書いたんだかよくわかってない転生ものの話。