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劇は劇しき薬なり  作者: 樋井ひかげ
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エヌきち:いやぁ、お疲れさまでした!

サクラ:お疲れさまでした!

エヌきち:なんか、サクラさん前より上手くなってませんか?

サクラ:そんなことないですよ! 慣れてきただけです

エヌきち:にしてもすごく楽しかったです! テンポ感もばっちりでしたし

サクラ:そうですね、掛け合いとか、上手くできるかなって思ってたんですけど、エヌきちさんとお話ししてる感じでやってたら、いい感じにできちゃいました

エヌきち:この女の子の純粋な感じも、サクラさんにピッタリでしたね

サクラ:そうですか? ありがとうございます。でもエヌきちさんもすっごく自然で、やっててすごいなーって思ってました

彼女とエヌきちは、また是非やりましょう、と言い交わして、その日の配信を終えた。


日常に帰ると、どうしようもない現実が彼女を待っていた。

サクラ:あっ。はい、……えーっと、わかりません

普段の自分は、こんなにぼそぼそと話しているんだな。

サクラ:いや、はい。……忘れました

身体を持った自分は、本当にどうしようもない人間だ。

サクラ:すみません……

急ぎ足のサラリーマンにカバンをぶつけられた帰り道、彼女は「早く家に帰って声劇がしたい」と繰り返し心の中で唱えていた。

サクラ:ちょっと待ちな! ここはあたしが通さないよ?

このアイコンになれば、何にだってなれた。

サクラ:あんたが今までやってきたこと、あたしが絶対に許さない。覚悟しな!

いつもの自分では言えそうにもないことが、台本を介せば、口から飛び出てくる。

サクラ:あとで泣くことも出来なくしてあげる……!

役に身を投じませ、快楽を得ていた。

サクラ:あーっはっはっは!! 一気にいくよ!!

劇は、何より優れた、精神薬だった。

サクラ:ほら! ほら! そんなんじゃ甘いよ!!

その薬は、日に日に用量が増してくる。

サクラ:ねぇ、あたしの事、好き?

このアイコンになれば、自分じゃない何かになれる。

サクラ:あたし、怖いの

慕ってくれるフォロワーもいる。

エヌきち:怖いなら、そばにいるから。ね

サクラ:でも、怖い、怖いよ

エヌきち:だったら、……、これで、怖くない?

サクラ:ん……、だめ。もう一回

緊張と高揚が混ざり合い、とてつもない快楽となり、脊髄を走り抜ける。

サクラ:もう一回……

正常な思考など、どこにもない。これは自分ではないのだから。

サクラ:お願い、もう一回

このアイコンになれば、自分じゃなくていいのだから。

サクラ:えへへ、大好き


エヌきち:今日のお話は、ちょっとドキドキする場面が多かったですね

サクラ:そうですね、めちゃくちゃ緊張しました……、でも、楽しかったです

エヌきち:ああいう青春を、僕も送ってきてたらなぁ、なんて思っちゃいました

サクラ:あはは、そういうの、なかったんですか?

エヌきち:いやぁ、もう全然。からっきしでしたよ

サクラ:エヌきちさんモテそうなイメージあるんですけど

エヌきち:いやいやいや! もう全然です。ずっと本ばっかり読んでましたし

サクラ:そうなんですか?

エヌきち:もうちょっとマシな青春時代を送ってたら、こういうのも上手くできたのかもしれないなぁ

サクラ:私も、こういうのは全然ですよ?

エヌきち:え、そうなんですか。とっても上手に演じられてたので、てっきり

サクラ:そういう風に見えました?

エヌきち:やっぱり、自分の中にあるものしか出せないじゃないですか。経験とか、想像とか

サクラ:なるほど……

エヌきち:自分の引き出しの中にその経験があれば、そこから借りてくることはできるけど、無ければ想像で賄うしかない、というか

サクラ:エヌきちさんは私より多分大人でしょうから、沢山経験があるんでしょうね

エヌきち:大した経験もないですけどね、まぁ、サクラさんよりかは、少し長く生きてるかもしれないです

サクラ:でも、うらやましいです。私、もっと演じられるようになりたいです

エヌきち:まだサクラさんは若いから、これからいっぱいいろんなことを経験しますよ。焦らなくても大丈夫です

エヌきち:それに、想像力でカバーすることも出来ますし。僕は本とか映画が好きだったから、そういうのから勉強したりしましたよ

サクラ:ふふ、ありがとうございます。上手くなれるように、勉強してみます

エヌきち:今でも十分上手ですけどね。ほら、コメント見てくださいよ。サクラさんへのコメントばっかり

サクラ:わぁ、ありがとうございます。自分なりに頑張ってみたんですが、響いてたなら嬉しいです

彼女は、重要な示唆を得た。

そして、さらなる欲が生まれた。

こんなんじゃ、だめだ。

もっと。

もっと上手に。

サクラ:……自分の中にないものは、出せないよね

このアイコンのために。

もっと上手に演じなくちゃ。

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