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劇は劇しき薬なり  作者: 樋井ひかげ
1/4

デビュー

はじめは、好奇心だった。

サクラ:はじめまして、サクラといいます。初めて配信します。初心者なので、まだよくわかっていませんが、よろしくお願いします。

自分以外の、何かになってみたかった。

サクラ:やぁやぁ、見ない顔だね

サクラ:この辺に来るのは初めてかい?

サクラ:あれ、お前さんはしゃべれないのか

サクラ:まぁいい、この辺の猫はおしゃべりが多いから、ちょっと珍しかっただけだよ

サクラ:ともかく、慣れない土地は落ち着かないだろうから、案内をしてやろう

サクラ:あたしは茶トラのミイ。よろしくね

慣れない演技ではあるが、国語の音読の時間は何故か好きだった彼女にとって、自分の声でストーリーが進んで行く感覚は、素直に楽しかった。

サクラ:こっちへ来な。路地裏に藪への抜け道があるから。ここはよく使うし、覚えておくといい

サクラ:こっから、ひょいっと。ほら、このくらい跳べるだろう?

サクラ:よしよし、上等。この先もいくつか登るところがあるから、ついてきな

お世辞にも上手いとは言えなかったが、その初々しさが、二人の聴衆には受けたようだった。

サクラ:ひょいっと、ひょいっと。どう? もう少しだからね

サクラ:ここから降りるよ。よいしょっと。……はい、着いた

サクラ:ここの茂みが、だいたいあたし達が暮らしてるところ。お前さんもみんなに紹介しておくし、このへんにいるといい

彼女が演じているのは、野良猫の先輩。

サクラ:ところで、お前さんは飼い猫だったのかい?

サクラ:っと、そうか。しゃべれないのか

サクラ:首輪もしてないから……野良っぽいけど……まぁいいか

サクラ:食べ物のとり方はわかるかい?

一人用の台本だったため、彼女のひとり舞台である。大きな差し障りなく、物語は進んで行く。

サクラ:普段は虫とか、カエルとか、ネズミなんかを獲って食べてるけど

サクラ:ってどうした、その顔。……ははぁん。さては普段はいいもの食ってるな?

サクラ:じゃあそんなわがままなお前さんには、あそこがおすすめだな

サクラ:ついてきな

聴衆の一人が、コメントを飛ばす。彼女の声が、えらく気に入ったらしい。

サクラ:ほい、着いたよ

サクラ:ここのコンビニの駐車場にいれば、人間たちが珍しがって寄ってくる

サクラ:そしたら、「にゃあ」って鳴いてやるのさ

サクラ:何かくれるまで、「にゃあ」「にゃあ」って言い続けるんだよ。いいね?

現実の彼女は、わかりやすい可愛さを持っているタイプの人間ではなかった。そのことを自覚していたので、あえて熱心に可愛いを作ろうとはしてこなかった。

サクラ:にゃあ、にゃあ

サクラ:にゃあ、にゃーん

そんな彼女が、自身も驚くほどに、媚びた声を出していた。

サクラ:ほら、あの人間なんか、狙い目だよ。にゃああん

恥ずかしさはまだある。しかし、読まなければ、話が進まない。

サクラ:にゃあ、にゃあん。よし、店に入った。後は出てくるのをここで待つよ

自分がこんなに可愛く声を出すことを、現実の誰が知っているのだろう。

サクラ:コンビニの店員が出てきたら、逃げるんだよ。あいつらには嫌われてるからね

実際、彼女の持ち物で、何かの物語に貸し出せるようなものは、声くらいしかなかった。

サクラ:さっきの人間が出てきたら、足元にすり寄るんだ。いいね?

サクラ:来たよ、いくよ! にゃあん

何度も、何度も、媚びた声を出してみる。聴衆の一人が、「かわいい」とコメントを飛ばしてくる。気付けば、聴衆も四人に増えていた。

サクラ:にゃあん、っておい。どうした?

サクラ:なんだ、こいつ、知り合いか?

サクラ:あっ、もしかして……お前さん、この人間に……

かくして、彼女の初めての声劇が終わった。聴衆が、数字の8を連打する。

サクラ:はい、というわけで、ありがとうございました

サクラ:初めてだったので、すっごく緊張したんですけど、聞いてくださってありがとうございました

サクラ:エヌきちさん、たくさんコメントしてくださってありがとうございます

コメントを拾って読んでいく。

サクラ:「素敵な声ですね」だなんて、本当ですか? 初めて言われました

サクラ:普段あんまりこういうのやったこと無かったんですけど

サクラ:そうですね、思ったより楽しいですね

サクラ:「にゃあがかわいい」本当ですか?

サクラ:すごく恥ずかしかったんですけど、はい。ありがとうございます

すっかり気分が良くなって、コメントとの会話をしばらく続けていた。この時には、もう、「またやろう」だなんて、思っていたのだった。

サクラ:来てくださったみなさん、ありがとうございました

サクラ:それでは、さよならー

サクラ:あれ、これどうやって終わるんだろ

彼女のお話は、ここから始まった。


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