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五話 悩める快適生活

「セシーリャ、木苺のタルトが焼きあがったんだが、休憩にしないか?」

「セシーリャ、外出用の外套(がいとう)の端が少しほつれていたから直しておいた」

「セシーリャ、先ほど片付けをしていたらこれを見つけた。失くしたと言っていた本ではないか?」


 ……何から何まで、完璧すぎる。

 ディオンを従士として迎えてひと月が経とうとしている。最初は一体どうなることかと冷や冷やしていたけれど、彼は恐ろしいほどに有能な人だった。

 家事はもちろんのこと、魔術師の仕事内容についても基本的なことは一週間ほどで覚え、わたしの予定もしっかり管理してくれる。わたしが何か言う前に、先回りして欲しいものを用意してくれることがほとんどだ。たまに何かお願いしても嫌な顔ひとつしない。

 今までの生活はなんだったのかと思うほどの快適な日々をわたしは手に入れていた。余計なことは考えなくてよくなったので、以前より更に魔法の修練や仕事に集中できるようになっている。

 彼があまりにも甲斐甲斐しいので、何か裏があるのでは……とも思ったけれど、今のところ寝首をかかれることも、物を盗られた形跡もない。

 それにしても、ディオンは何者なのだろうか。わたしより三つ上の二十八歳、そこそこ裕福な家の出身であるということ以外は分からない。さすがに、人間じゃないというわけではなさそうだけれど……。

 彼の働きぶりには文句のつけようがないが、わたしは新たな問題に直面していた。今までは家が唯一、大魔術師、氷晶の女神セシーリャの名を忘れてのんびりできる場所だったのに、ディオンがいることでわたしは家でも仮面を被る羽目になってしまっているのだ。

 彼が用意してくれる美味しい料理の数々に、何度も顔を(ほころ)ばせそうになって踏みとどまっている。(美味しいとはちゃんと伝えているけど)

 快適だけど、ある意味で窮屈な生活。一体なぜ、彼を従士として受け入れてしまったのか……今更出て行ってくれというのも忍びないし、彼に助けられているのも事実だ。

 あともう一つ、少し気になることがある。気のせい……だと思うのだけれど、わたしがディオンを呼ぶと、彼は心なしかすごく嬉しそうな顔をするのだ。でも、名前を呼ばれただけで喜ぶ理由もよく分からない。

 わたしは居間でお茶を飲みながら、台所に立って洗い物をするディオンの背中を見つめた。……ちょっと試してみよう。


「ディオン?」

「どうした?」


 手をとめて、彼がくるりとわたしの方へ体を向ける。作業を途中で遮られたら面倒に思いそうなものなのに、やっぱりその表情は――どこか楽しそうだった。


「あ、ええっと……」


 呼んだだけ、というのはあんまりなので、わたしは急いで話題を探した。


「次の魔術師協会への訪問予定はいつだったかしら」

「三日後だ。修練生たちの指導を半日行う手はずになっている」

「そ、そうだったわね。ありがとう」


 本当に、完璧すぎる……。


***


 翌日、わたしは執務室で机に向かい、書類にペンを走らせていた。ディオンが来る前は綺麗な状態であることの方が珍しい部屋だったけれど、今は彼のおかげですっきり整頓されている。机に向かうのはもともとあまり苦ではないけれど、周りが綺麗だと更にやる気が増す。

 机の上の本をとろうと顔を上げた時、何かが本の上にぽとりと落ちてきた。


「ん?」


 わたしの苦手な蜘蛛だった。しかも、少し大きめ。


「きゃーーーーっ!」


 驚いたわたしは叫んで体勢を崩し、不覚にも椅子から落ちてしまった。部屋にどん、と音が響いた。


「いたた……」


 身を起こそうとしていると、階段を駆け上がる足音が聞こえた。かなり急いでいる。


――あ、どうしよう、聞かれちゃった。


 部屋の扉が勢いよく開かれる。


「セシーリャ、何があった!」


 現れたディオンは床に座り込むわたしを見て、青ざめた表情で駆け寄り肩に手を置いた。


「どうしたんだ、大丈夫か?」

「あ、え、あの……」


 何にもないとごまかすにはあまりにも苦しいけれど、蜘蛛に驚いて椅子から落ちた、とは恥ずかしくて言えない……。


「具合が悪いのか、医者を……」

「ま、待って! 大丈夫よ!」


 それは困る。観念して白状することにした。


「いきなり、目の前に蜘蛛が落ちてきて……驚いただけ」


 さすがに呆れられるか苦言を呈されるかだと思ったけれど、ディオンは息をつき、


「そうか。何事もなくて良かった」


 先ほどまでの焦った様子から一変、心底安心したような表情に変わった。そして手を伸ばし、ふわりとわたしの体を持ち上げて横抱きにした。


「ひゃっ!」


 驚いたのもつかの間、優しく椅子に座らされ、彼はわたしの横に膝をついた。


「どこか打っていないか? 痛いところは?」

「ありがとう、本当に大丈夫。……心配かけてごめんなさい。情けないわ。たかが蜘蛛くらいで」

「はは、苦手なものくらい誰にでもある。あなたが無事ならそれでいい」


 どうしてこんなに優しいのだろう。戸惑うわたしにディオンは微笑みかけてくれた。


「そうだ、せっかくだから少し休憩にしよう。紅茶に砂糖は二つでいいか?」

「……ええ、そうね。お願いできる?」

「すぐに用意する」


 そう言って、彼は颯爽と部屋を出て行った。

 ……一方のわたしは、さっき抱き上げられた時に彼の顔がすごく近くにあったのを不意に思い出して、変にドキドキしてしまっていた。


***


 それから日が経ち、わたしはディオンを伴って魔術師協会を訪れていた。用事を済ませ、帰ろうと廊下を歩いていると、前からやって来る人の姿があった。


「よう、女神サマ。元気そうだな」


 ランドルフだ。後ろには、いつものように従士が控えている。


「ほー、噂にゃ聞いてたが……驚いたぜ。従士は必要ない、ってぬかしてたお前がまさか……なぁ」


 品定めをするように、ランドルフがディオンをしげしげと眺める。


「ディオン、彼はランドルフ。わたしと同じ大魔術師よ」

「気軽にランドルフ様、と呼んでくれていいぜ」


 冗談めかした言葉に、ディオンは眉ひとつ動かさなかった。


「……よろしく」


 どうしたのだろう。やけに素っ気ない。先日、プリシラに引き合わせたときはとても丁寧に挨拶していたのに。


「ディオン、なかなか使えそうな奴だな。俺んとこ来ねえ? 侯爵家の使用人の枠なら空いてるぜ。従士やるより待遇も良いぞ」

「残念だが、俺はセシーリャの従士だ」

「……あっそ」


 ランドルフはわたしとディオンの顔を交互に見て、口の端を吊り上げてにやりと笑った。


「ふーん……ま、頑張れよ」


 じゃあな、と言ってひらひらと手を振りながら、彼は去っていく。従士のエラルドがわたしたちに軽く頭を下げ、その後を追った。

 その姿が見えなくなってから、わたしは口を開いた。


「彼、ああ見えて実力はあって……」


 そう言いながらディオンの顔を見たわたしは、思わず言葉を切った。


――すごい怖い顔してる!


 いつも穏やかな表情を崩さないディオンが、別人が乗り移ったみたいに険しい顔をしてランドルフが去った方を睨んでいた。何が気に障ったのだろう……。


「彼は、いつもあなたにあんな態度をとるのか?」


 わたしの方を見ないまま、ディオンが問うてきた。

 もしかしたら、わたしがランドルフに虐められていると思ったのかもしれない。だとしたら余計な心配はかけたくない。実際に違うし。


「そうね、でも本当に傷つくことを言ってきたり、嫌がらせをされるわけではないわ」

「……そうか」


 それでもディオンの表情は変わらなかった。彼は真面目だから、ランドルフのような飄々(ひょうひょう)とした人は鼻につくのかしら。……それなら気持ちは分からなくもない。

 それから家に着く頃にはいつものディオンに戻った。

 ……彼は優しい人には違いないけれど、時々、考えていることがよく分からない。

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