十一話 立ち込める暗雲
今が人生で一番楽しい、そんな日々が続いて半年が経った。
わたしは一人で魔術師協会を訪れていた。目の前には、執務机にかけた魔術師長がいる。魔術師長直々にわたしだけが呼び出されたのだ。
「セシーリャ」
わたしを呼ぶ声は、いつになく重苦しさをはらんでいた。魔術師長は冷静な方だが、態度も口調もいつもは穏やかなのに。
知らない間に何かをやらかしてしまったのか……わたしの胸を不安が渦巻く。
「呼び出したのは、あなたの従士のことについてお話するためです」
「ディオンのことですか……?」
魔術師長が頷いた。
「ディオン・アンベルシアには、あなたの従士の役目を退いてもらいたいのです。そして、個人的な交流も絶って頂きたく」
「えっ……?」
「他の大魔術師たちとも協議の末に決まったことです」
一瞬、頭が真っ白になりかけたものの、わたしは首を縦には降らなかった。百歩譲って従士は辞めてもらうとしても、交流まで絶てなんて、そこまで指図されるいわれはないはずだ。
「彼に何か至らない点があるのでしょうか。でしたらすべておっしゃってください。わたしから注意をします」
ディオンが誰かに失礼なことをするはずないけれど、そう決めつけるのもよくない。
「……いいえ、彼の行動については咎めるつもりはありません」
「ディオンが、男性だからですか?」
魔術師と従士は、性別が同じであることが圧倒的に多い。異性の場合は、まず間違いなく血縁者同士だ。ただしそれには明確な規定があるわけではなく、暗黙の了解に近い。過去に、魔術師が異性の従士相手に関係を強いたり、公私混同で争いが起きたという例も聞いたことはある。しかし浮かれていないと言えば嘘にはなるけれど、わたしとディオンはきっちりしているつもりだ。外では体も心も、一定の距離を保っている。
「それも、関係はありません」
「なら、どうして」
そこでわたしは言葉を切った。ディオンを受け入れられない理由で、あと思い当たるのはもう一つしかない。だけど、どうして魔術師長がそれを……?
「あなたを通さず、勝手に彼の素性を調べたことは謝罪します。ですがあれほど高い能力や教養を備えていながら、彼のことを詳しく知る者がいない理由がどうしても理解できませんでした。……貴族の婚外子ということであれば、説明がつきます」
――どうして皆、たったそれだけのことでディオンを悪い人だと決めつけるの!
食ってかかりたくなったのをぐっとこらえた。感情的になってしまったら、圧倒的にわたしの分が悪くなる。
「魔術師長、わたしだって平民の出です。実力がある者には正当な評価を与えるのが魔術師協会のやり方ではないのですか。それはわたしたち魔術師だけでなく、従士も同じであるべきだと思います」
魔術師長にこうして意見を述べるのは初めてだ。そう簡単に、黙ってはい分かりましたとは言いたくない。
「ディオンをわたしの従士として認められない理由がただそれだけのことなのであれば、わたしも承諾致しかねます。私的な付き合いを絶つということもできません」
「セシーリャ」
魔術師長の声が少し鋭くなった。
「あなたは大魔術師。協会の顔ともいえる存在です。魔術師たちの規範であり、陛下にとって信頼できる存在でなければなりません」
わたしは魔術師長の顔を見て、はっとした。彼女は決して怒っている訳でも、わたしやディオンを責めている訳でもない。険しい顔をしているが、瞳の奥には申し訳なさが見てとれた。
この国を支える二つの柱――ひとつは王家ならびに貴族たち、もうひとつは魔術師たち。プリシラのように仲良くしてくれる貴族や、貴族でもあり魔術師でもあるランドルフのような人もいるが、わたしたち魔術師を魔性のものと呼んで忌み嫌う貴族も少なからず存在する。血筋を重んじるか、実力で判断するか、考え方も違っている。
現陛下は魔術師たちを決して軽視していないが、魔術師を疎んじる勢力がある以上、どこで何がどう転ぶか分からない。もし、大魔術師であるわたしの従士が貴族の不義の子であることが漏れれば、それは協会の隙となりうる。魔術師長や他の大魔術師たちはそれを懸念しているのだ。
「ひと月の猶予を与えます。新しい従士を見つけ、引継ぎを終えてください。それ以降、ディオン・アンベルシアとの一切の交流を禁止します」
「それを破った場合、どうなるのですか」
「……あなたに、相応の処分が下ります」
大魔術師の役職はまず間違いなく降ろされる。死ぬような任務に送られるかもしれない。
わたしの方から地位を捨てる、というのも許されないだろう。自分の意志であろうとなかろうと、従士のために大魔術師の役目を降りるという例を作ってしまったら、魔術師たちにも動揺を与えてしまう。それにより内部が乱れればそれも隙になる。実質、わたしに選択肢はない。
とても悔しい。けれど、魔術師たちの世界を壊すことはできない。
「……承知致しました」
そう返事するしかなかった。
「希望するのであれば、こちらから従士候補を紹介することもできますが」
「……いいえ、結構です」
わたしの従士はディオン以外考えられない。緊張する会議も、始まる前にディオンがこっそり手を握ってくれるから、終わった後にうんと甘やかしてくれるから頑張れる。
どんなに優秀な人が後に来ても、ディオンと比べてしまうだろう。そんな失礼なことはしたくない。
わたしは無言で一礼し、部屋を出た。
本当ならディオンが待つ家に早く帰りたいはずなのに、わたしの足は鉛のように重かった。