一話 氷晶の女神セシーリャ
フロレンシア王国は、大陸随一の魔法大国である。
数多くの魔術師がおり、王国の安寧のため、世の理を解き明かすため、互いに切磋琢磨しながら修練を重ねている。
わたし、セシーリャ・エインゼールもその一人。それもまた、特別に能力を評価された「大魔術師」に数えられている。
「……以上が、北の森に関する報告です」
話を締めくくったわたしは、静かに目の前を見渡した。今いるのは広い会議室。円卓についているのは、わたしを入れて十人の大魔術師と、全てを取りまとめる役割を持った魔術師長だ。
「ご苦労様です、セシーリャ」
魔術師長が穏やかに声をかけてくれた。髪はほとんど白く、もう老年に差し掛かる頃だが、背筋も伸びていてはきはきと話す女性だ。
「かつてあの場所は荒れていましたが、あなたが守り人となってからは驚くほど安定していますね」
「お褒め頂きありがとうございます。魔術師長」
わたしはその場で軽く礼をした。
質問はありませんか、と彼女が他の魔術師たちに問う。すると一人が手を挙げた。髭をたくわえた壮年の大魔術師、アルノルドだ。
「先日、北の森の近くで魔物、『這う影』の群れが出没する騒動があったが、その影響はあらわれていないのか?」
「ええ。それにつきましても問題はありません。その事件の後に二週間ほど、一日に二回見回りを行い、残党も悪い影響もないことを確認しています」
わたしが答えると、アルノルドは頷きそれ以上何も言わなかった。
「ありがとう、セシーリャ」
魔術師長にお座りなさい、と合図をされ、わたしは椅子に腰を下ろした。
「では次、ランドルフ・バルザード。南の森について報告をお願いします」
そうして、大魔術師たちの会議の時間は過ぎていった。
***
「はぁぁぁぁぁぁぁ……つかれた……」
場所は変わり、今わたしがいるのは、上質でお洒落な絨毯が敷かれたそう広くない客間の一室。ベルベットが張られた椅子が、わたしの体を受け止めてくれている。
がっくりと頭を垂れるわたしの目の前には、綺麗な花模様の陶器のソーサーとカップが置かれている。注がれた紅茶は、ハーブの匂いを漂わせていた。
「もう、会議なんて何回も出ているじゃない」
わたしの向かいで困ったように笑っているのは、友人の貴族、プリシラ・フォンティーカ。わたしと同じ二十五歳だが、七年前に結婚して伯爵夫人となり、五歳になる子供までいる。
彼女は彼女で忙しい日々を送っているけれど、わたしが用事で近くまで来た際は、時間を作って一緒にお茶をしてくれる。とてもありがたい存在だ。
王国のいたるところには、「魔力」に満ちた場所が点在している。この魔力と、それを操る力に長けた魔術師たちのおかげで、フロレンシア王国はとても平和で豊かな国だ。わたしは大魔術師としてそのうちの一つ、「北の森」の守護を任されていて、魔力に誘われてやってきた魔物を退治したり、魔力の質に異変がないかなどを日々調査している。今日は王都の魔術師協会にて、大魔術師たちが各々の守る場所について報告を行う会議が開かれる日だった。
「全然慣れない……今日は質問が来ちゃったし……答えられたけど……」
うめくように言うわたしに、プリシラはどうぞ、とテーブルの上の、お皿に盛られたクッキーを勧めてくれた。一つ手にとり、口に運ぶ。
「うぅ……おいしい……ありがとう」
もそもそと食べるわたしを見て、プリシラは今度は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふ、『氷晶の女神さま』を餌付けできるのはいい気分だわ」
魔術師としての素質を見出され、本格的な修練を積み始めたのは十八年前。わたしなりに頑張ってきて、とうとう三年前に大魔術師に迎え入れられた。自慢ではないけれど異例の若さでの就任だった。
わたしの腰まである薄青の髪とラベンダー色の目は神秘的な印象を相手に与えるらしく、さらに氷を操る魔法が得意なこともあって、ついには「氷晶の女神」などという大層な二つ名をつけられてしまい今に至る。
「その名前で呼ばないでってば……」
実際のわたしは女神なんてものとはほど遠い。会議や他の魔術師の前で見せる落ち着いた様子だって、懸命に装っている姿だ。昔から人見知りが激しく、他人との関わりを必要最低限にしかしてこなかった。そのため、いつの間にかわたしは常に冷静沈着な人間だと思われてしまっていたが、本当は小心者で何かあるとすぐ顔に出てしまう。今日は何事もなく会議を終えられたが、あれやこれやと質問が飛んでこようものなら内心大慌てになる。
それを知っているのは、今のところプリシラだけだ。だから素の状態で色々と話をしたくて、つい彼女のもとに転がり込んでしまう。
「……そんなに取り繕うのはやめて、ありのままのセシーリャでいればいいと思うけれど。素直で好きよ。あなたのこと」
プリシラは優しく言ってくれるが、今更本性を出すことなんてとてもできない。魔術師たちが求めているのは、落ち着きがあって頼りになる大魔術師のセシーリャだ。氷晶の女神という名前だって敬意をもってつけられたものだし、それを裏切るのは本意ではない。
「ありがとうプリシラ。そんなこと言ってくれるのあなたくらいだわ」
カップの中の紅茶に映る自分の顔を見ながら、わたしは小さくため息をついた。