4〈イリス〉
「もし殿下に心から愛する人ができた時は婚約は解消しましょう。私は殿下の邪魔などしません」
顔合わせから数日、ウィルフレッド殿下はお見舞いと称してわざわざ家まで来てくださった。
花束を持って「大事に至らず良かった」とおっしゃる殿下に胸が痛んだ私はおもわずそう声に出した。
殿下は突然のことに驚いたようで固まってしまった。
「…私は婚約者であるあなたと愛し合いたいと思っている」
頬を染めて絞り出すように言った殿下を見て息が止まった。
信じていいのだろうか?
ウィルは私を愛してくれるの?…悪役令嬢である私を。
「そのようなこと。恐れ多いことです」
「なぜだ?これは王家と公爵家との間で決まった婚約ではあるが私はできれば唯一の伴侶とは支え合い愛を分かち合いたいと思う。結婚すれば身分は同じはずだ」
真っ直ぐと思いを伝えてくれる殿下を信じたい。信じられない。相反する気持ちがせめぎ合っていた。
何も言えず黙った私を殿下は寂しそうに見ていた。
殿下が帰った後、侍女にお茶を入れ直してもらい一息つく。
そもそもこの婚約は我が公爵家の事情が大きく関わっている。
私の伯母は陛下の婚約者候補の筆頭だった。だが陛下と隣国の王女との結婚が決まった時、伯母はなんとその王女を害そうとしたのだ。悪役令嬢家系だ。
その計画は未然に防がれ、隣国にその情報がいかぬよう王女の計らいもあって伯母も公爵家も表立って裁かれることはなかったが、その信頼は地に落ちた。祖父は隠居。伯母も領地から出ることは2度とない。父が当主になったが王城での発言力もなくなり今は名ばかりの公爵になってしまった。
しかし陛下は祖父や父、そして方法は間違ったが伯母の王家への忠誠心を疑いはしなかった。そして10年以上たった今父の力で前のようにとはいかないが少しずつ信頼回復している途中だ。
そして側室の御子であるウィルフレッド殿下が婿に入る。一夫一妻が基本のこの国で側室の子という珍しい立場の殿下と公爵家への陛下の信頼の証。そして伯母の罪で歪んでしまったパワーバランスを整える作用も果たすだろう。
そこまで考えて、殿下は本当にこの結婚に納得してるのだろうかと先ほどの殿下の様子すら疑ってしまう。
貴族の結婚なんて愛なんて関係ない。
ウィルは愛を求めてるようだった。いつかその気持ちがヒロインに向くの?
私は貴族の娘として役目を果たそう。愛など求めず役割をしっかり果たす。そう決めたらざわついた気持ちが落ち着くような気がした。
×××
それから年月が経ち来年には学園に入学する年になった。
私は家での勉学の他に王家と結婚をする者として王城での勉学もあり日々忙しい毎日を送っている。
ウィルフレッド殿下は変わられてしまった。
平和なこの国で騎士の真似事をしているらしいのだ。この国では王族が騎士になることなんてない。王族は守られる対象であるべきだし、ゲームではそんな設定なかった。攻略対象であるウィルの設定が変わったことが良いことなのか悪いことなのかわからないけれどわたしをひどく不安にさせた。
そして殿下は度々会うたびに話をしよう。などと誘って来る。
嬉しくないわけではないけど、素直にそう言うことはできなかった。
いざ私が「もっと王子らしく勉学に重きを置くべきでは?」「この国の王子として戦いではなく国民の生活のためになることを考えて行動するべきでは?」などと諌めても悲しい顔をして首を横に振る。
「私の考えを聞いてほしい。場所をかえてふたりで話そう」
私はそれを断った。今でさえときめいてしまうのに二人きりになどなったらその想いを止められない。殿下の誘いを断るなんてしてはいけないはずなのに、私はもう既に何度も断っている。
殿下は怒ることもなく「では、また時間のある時に」と私の我儘を許してくれる。
優しい言葉をかけてくれる殿下に「私などに優しくせずとも立場はわきまえています」そういうと美しく成長された顔を幼い頃のように歪めて悲しげになる。
この仄暗い喜びはなんと表現すればいいんだろう。自分は何がしたいんだろう。
自分の気持ちさえままならない。殿下を支えることが妻になるはずの私の役目なのにうまくやれない自分を悔しく思った。