15〈イリス〉
その日いらした殿下はいつものように表情はなかったが纏う空気が重かった。
「少し来てくれないか」
その言葉に否ということはできなかった。それ位殿下に違和感を感じた。なんだろう。怖い。
アメリアへの注意をユリエラに頼んだのがいけなかったのだろうか。
ふたりきりになると、殿下が申し訳なそうな顔をして私をみた。
「イリス嬢、君の元にも届いているだろうか。実は私がアメリア・メイスという1人の令嬢と過ごしているのを見咎める者がいたんだ」
「はい。知っています」
それは私だ。でもそれを言うのは憚られた。アメリアは殿下の想い人。今は怒った様子はないが何が殿下の逆鱗に触れるかわからない。
「そうか。すまなかった。軽率な私の行動で君を煩わせただろう。彼女とは友人以上の関係はなかったが、アメリア嬢と個人的に過ごすことはもうしない」
私は何も言うことができなかった。何を言えばいいのかわからなかった。
殿下はまだ私を尊重してくれてるらしい。どういうことなんだろう。動揺してこの状況を理解できなくて押し黙ることしかできない私に殿下は困ったように笑って一枚の紙を差し出した。
「君と私の間にはまだ信頼にたるものがないだろう。これは私の予定表の写しなんだがこれをみてイリス嬢の時間のあう時を書いて手紙とともに送り返して欲しい。その日に改めて話をしよう。これは決して他の人には見せないように」
やっとの思いで遠慮がちに受け取る。
「どうして?私にこんなことをしてくださるの?このような殿下の予定を教えてくださるなんて」
「私が声をかける時はいつも間が悪いだろう?…隠さず言うのが正しいかわからぬがアメリア嬢が助言くれたんだ。君は予定を崩されるのが嫌いなのではないかと。本当は私が気付けばよかった話だったんだが、このような予定の決め方はどうだろうか」
殿下は私の言葉を待っているようだったが、無言の時が続く。そこへキーンがやって来て殿下に耳打ちをした。
「私はいつもあなたを傷つけてしまうようだ。今回のことは本当にすまなかった。今日はこれで失礼するよ。…手紙待っているから」
殿下が帰っていくのをぼんやりと見ていた。
殿下は私とまだ信頼関係を作ろうとしてる?王族の予定なんてよほどの関係性でなければ渡すわけない。そうまるで婚約者そのものだ。不貞を謝るなんてまるで私に許されたいみたい。
私は心にぞわぞわと迫る不快感の正体を掴めないでいた。それが何に対するものかもわからない。気持ちが悪い。嫌だ。どうしたらいいのかわからない。混乱する頭の中で殿下の言葉を反芻する。
「なんでアメリアが私の性格知ってるの?」
ひとつの疑問に行き着くとそれが全てな気がした。
殿下を信じていいのかわからない。期待するのが怖い。
アメリアが殿下を慕っていることなんて一目見てわかった。あんなに楽しそうな殿下だって見たことなかった。
「もしかして、彼女も転生者なの?」
ありえないと思いつつ一度口に出したらそれが正解のような気がした。
彼女に会おうそうしたらこの不快感の理由が彼女だって納得できる。
殿下が好きなのに私がうまくいくように助言するなんて何か狙いがあるのかも。
殿下がくれた予定表をみると私の何倍も忙しいのがすぐわかった。その文字の羅列で真っ黒な予定表を見ていると心を締め付けるような泣きたいような不快感が増した。
私は間違っているのかもしれない。私がすべきことは彼女に会いにいくことじゃない気がする。
そう思ったのは一瞬で、彼女に会って確かめたい。その気持ちは止められなかった。
×××
あの東屋で現実の彼女と初めて対面した。
やっぱり彼女はヒロインだった。『ヒロイン』にふさわしい人間。それが彼女だ。
ならば私は何者なんだろう。悪役令嬢になりたくないともがく私は。
初めは悔しかった。彼女こそ殿下をわかっているというような言葉に、後に続く必死に諦めようとしていた私の行動を全否定するその言葉に苛立った。彼女と殿下が結ばれるとわかっていた私の思いはこの世界の誰にも理解されることはないんだろう。
殿下は彼女と結ばれる。根底でずっとそう思っていた私はいざ殿下にも彼女にもそれを否定されたらどうしたらいいのかわからない。殿下と婚約破棄しない世界。彼女が私から何も奪わない世界。そんなもの知らない。
彼女の殿下を好きな気持ちもそれでも殿下の為に身を引く決意も痛いくらいに伝わって来た。
その一心に殿下を想う彼女の健気な気持ちに文字通り私は逃げ出した。




