プロローグ〈アメリア〉
私の母はそれは美しくて儚げな人だった。
「可愛いアメリア。生まれてきてくれてりがとう」
そういって微笑む母の笑顔と撫でてくれた折れそうな位細い腕をよく覚えている。
私が10歳になるころ母は病に侵され、仕事をクビになった。
家にはまだお金があったがもう少ない。そしてそれを知られては泥棒がくるかもしれない。私は母が働いていた食堂に頼み込み下働きとして微々たるお金を受け取ることができるようにした。
食堂の店主は私を客前には絶対出さない。まだ私が幼かったのもあるだろうがこの街で私たち親子を受け入れてくれる人は店主以外にはいないから。店主は面倒くさそうにしながらもよそ者の私たちを受け入れてくれた数少ない人だった。
その日は秋だというのにとても暑かった。仕事終わり余ったスープを貰えたので母に食べてもらおうと家へと急いでいた。
「貴族の愛人になろうとして子供と一緒に放り出された愚かな女」
「自分の美しさを過信した挙句病気でその美しさも失う可哀想な女」
私の母を嘲笑う声。こんなものにはもう慣れっこだった。
母は美しいし愚かじゃないことは自分が一番わかっているから。
貴族の愛人。その意味はわからなかったけどろくでもない言葉なんだろうと思って母に聞くことはしていなかった。
その後に続く馬鹿にしたような声が私の心に絡みついて締め付けた。
「こうなってしまってはあのガキを産んだ事後悔しているだろうな。子供ができなきゃその綺麗なお顔であのガキの親父のご機嫌とれてたんじゃないか?」
まさか。どうしよう。本当だったらどうしよう。
家に帰り泣きながら母に謝った。母が寝込むのもそばに父がいないのも全部私のせいだと。私が生まれたせいで母を苦しめていたのを知らなかったのだと。
母は困ったように微笑んで「違うのよ。話さなくてごめんなさいね」と謝った。
母が言うに私の父はこの領の隣の領を治める男爵であるらしい。その男爵家の執事が遠縁であったことから使用人として働くことになった。その男爵は亡き男爵夫人を愛していて、後妻をとることも長男が生まれていることを理由に退け続けいた。母とも雇い主と使用人、その線を越えることもなく月日は流れた。だかただ一度男爵が母を求めてきた時母は受け入れたのだという。
多分私は母の言うことの半分も理解はできていなかっただろう。
「だんしゃくを好きだったの?」問う私に母は「今思えばね」と笑って答えた。
その時私が母のお腹に宿った。それを知った男爵のお母様、私のお祖母様は激怒し男爵がいない間に母に手切れ金を渡しこの領から離れなければ子供もろともお前を殺し執事も罰を与えると母に言い募った。母はその金を受け取り男爵家を出てこの地へたどり着いたのだという。
「前男爵夫人の怒りは当然ね。彼のことを受け止められる存在になりたかった。私としてはただそれだけだったけど、周りからみれば後妻や愛人になりたいってそういう野心に受け取られてしまうものだったのね」
「後悔してる?」
「いいえ全く。あなたが生まれてきてくれたもの」
そういって母は私の頭を優しく撫でた。
「可愛いアメリア。生まれてきてくれてありがとう」
私はうれしくなって急いで店主からもらったスープを温め母と食べた。
母はそれから段々と話すこともできなくなった。私はこの頃の事をぼんやりとしか覚えてない。店主の困ったような顔と母のどんどん弱っていく顔が交互に思い出される。ちゃんと仕事はいっていたみたいだ。
景色が透き通るくらいに寒い冬の日、この世界に母はいなくなった。