待ち合わせ場所
意識が途切れていたのは、ほんの数分程度の時間だったはずだ。
ただ、その間の僕は全くなにも見ていなかったのではなく、現実とも夢とかつかない、奇妙な場所にいた。
舗装していない小さな道のそばに、枝振りのよい枝垂れ桜があり、誰かがそのすぐ横に立っている。今は冬なので桜は咲いていないが、大木なので多少の風避けにはなるのだろう。
なにしろ今日は折り悪く大雪で、しかも強風を伴っていたのだ。
気になるのは、この少年――メガネこそかけていないものの、僕と顔が酷似している。
今の僕は、そんな彼を俯瞰するように観察していた。
彼は僕が持っているはずもない重厚な黒いコートを着込んでいて、しきりに足踏みしていた。寒さが相当に堪えているらしい。
それでも動かないのは、おそらく誰かと待ち合わせしているからだろう。
その証拠に、彼は頻繁に道の向こうを見つめていて、しかも心配顔だった。まるで自分の顔を見ているようで気になる。それほど彼と僕は似ていた。
そのうち、僕はふいに気付いた。
あの枝垂れ桜……うちの学校の校庭にあるのと似ている……道理で、枝振りに見覚えがあるはずである。校舎の窓から見える場所にあって、僕は授業中、いつもなんとなくぼおっと見ていたものだ。
おまけに、彼が立つ遥か背後には、雪国にふさわし急勾配な屋根を持つ、どっしりとした屋敷が微かに見えた。
(そうか! 彼こそが地主の息子で、屋敷は遥か彼方に見える、あの黒い建物かっ)
なんとなく、黒森高校のある場所とかつての地主の屋敷は、正確に同位置だと思い込んでいたが、実際はそうでもないらしい。
見覚えのある枝垂れ桜の木のお陰で、僕はそうと悟った。
まあ、今と比べるとこの辺の地形は田畑ばかりが広がり、建物などろくにない。証言した人の記憶に齟齬があっても、無理はあるまい。
「サエ、もう零時を過ぎたぞっ。なにかあったのかっ」
これも今時は珍しい懐中時計を引っ張り出し、少年が呟く。
彼が本当に地主の息子だというのなら、おそらく待ち人は来ないだろう……もうその子の運命は確定しているからだ。
そこに思い至り、僕はなぜか無性に哀しくなった。
「まさか……き、気が変わったのか!?」
(そうじゃないよ……)
彼とサエと呼ばれた少女の運命に同情したせいかもしれないが、なぜか魂の奥から感情が溢れ出すようで涙が止まらなかった。
ふいに意識が浮上して目を開けた時も、僕は小さな子供のように泣いていた。
しかし……涙でぼやけた視界が少しずつ見えるようになった時、息を呑んだ。
僕は下駄箱がある昇降口を上がった廊下に倒れていて、締め切った入り口の窓に、黒々とした枝垂れ桜が見える。
そして――彼女もいた。
外ではなく、僕のすぐそばに足を崩して座っていた。
僕が恐怖で身を起こせずにいると、白い手をそっと伸ばして頬に手を当ててきた。ひんやりしていたが、ちゃんと感触があることに驚く。
「セイゾウさん……やっと間に合ったわ。待たせてごめんなさい」
「いや、ぼ、僕はセイゾウとやらじゃ――」
言いかけたところで、祖父の言葉を思い出してしまう。
霊が動く動機は常に妄執だ……理屈に合わないとか、そんな行動は無意味だとか……そういう理性が働くのは、生者だからこそなのだ。
「僕を……殺すのか?」
掠れた声で問うと、少女――サエは首を傾げ、長い髪がさらさらと流れた。
身体が薄く光っていて、とても生身の人間じゃないのはわかるが……それでも僕は、彼女の美しさに見惚れた。
逢うのはこれが最初じゃないせいか、妙に親しみさえ感じていた……もうすぐ彼女によって殺されるかもしれないのに。
「わたしが手にかけたのは……セイゾウさんのお父さんだけ」
まるで僕の心の声を聞いたような、サエの返事だった。
「でも……セイゾウさんを見つけようとして、長い長い時間をかけてしまった。似てる人にも大勢出会ったけど、全部人違いだったの……わたしと関わると迷惑をかけるだけだから、殺されないようにしただけよ」
その「迷惑をかけるだけ」ってのは、サエを殺した事件に興味を持つ者は、地主が全員始末したとかいう、大昔の事件のことか?
駄目だ、本当に話が通じない。
僕は絶望しかけたが、それでもようやく上半身を起こし、彼女と向き合った。
本人に対する恐怖が薄らいだ今なら、それくらいは。
「……僕は君に本当に同情している。ただ、まだ死ねないんだ……唯一の家族のじーちゃんを残して、死ねない。散々世話になったんだから、せめてあの人の最後を見送らせて……くれ」
急速に眠気が兆し、僕は焦った。
これは、どこかへ連れていかれる予兆じゃないかっ。
事実、僕の訴えを聞いた少女が、悲嘆に暮れたように俯いている。
「な、なあ……僕はっ」
「おやすみなさい、セイゾウさん……よい夢を」
なぜか優しい声で言われ、それを最後に僕は本当に眠り込んでしまった。