違和感の正体
実際僕は、そのまま寝てしまうつもりだった。
どうやって知り得たのか知らないが、そこまでわかって、なお学校内へ行こうというなら、それはもう自己責任だろう。
僕は前に新垣を止めたのです、誰に責められるいわれもないはずだ。
……そう思ったのに。
数分後、僕は見えない衝動にかられ、結局は身支度して家を出た。
表に止めてあった自転車に飛び乗り、五分で着く学校へと走る。そう、うちから学校までは自転車で急げば指呼の距離なのだ。
遠ければ、諦めもついたろうに……。
ただ一つの慰めは、スマホで聞く限りは吹き荒ぶ風の音がしてたのに、実際に外へ出ると、全くの無風状態だったことだ。
寒いのは仕方ないが、風が止んでくれて助かったというところだろう。
学校へ向かう間も、何度か止まってスマホで新垣を呼び出したのだが、なぜか通じない。『電波の届かない場所に~』というお定まりの案内が聞こえるだけだ。
「切りやがったのか、あいつ!」
……自転車を再び漕ぎ出しながら、僕は思わず悪態をついた。
余談だが、この件とは関わりないが、僕は以前、祖父と幽霊について話したことがある。ちょうど、その手のテレビ番組をやっている時で、画面を見ながら、祖父がぽつっと言ったのだ。
「幽霊ってのは、妄執で動くから、話が通じねーんだわな」と。
「え、見たことあるの?」
僕はその時そう尋ねたが、祖父は肩をすくめた
「わしのことは置いてだ――その手の幽霊話なら、たくさん知っている。あいつら(幽霊のことらしい)例外なく、恨み辛みや心残りの何かのせいでこの世にしがみついているから、まともな話が通じないってことよ」
「ああ、なるほど……言われてみれば、幽霊と雑談した話って、聞かないねぇ」
まあ、それだけの会話だが、今この瞬間、僕はあの時のことを思い出していた。
言われてみれば、僕が見た白装束の女の子だって、とても話が通じるような感じじゃなかった。自分なりの目的はあるんだろうが、意志の疎通なんか不可能な気がする。
「話も通じない相手と遭遇したくないぞっ」
愚痴りながら校門前に到着した僕は、暗闇に沈む、不気味な校舎を眺めた。
本当に、夜に見る校舎は想像以上に気味が悪い。木造の頼りない校舎が、ともすれば巨大な黒い墓標のようにも見える。
おまけに先に入ったはずの新垣は、どこにいるのかさっぱりわからない。
懐中電灯くらい、持ってきてないのか?
もちろん僕はディパックの中に入れてきたが、それを持って突入する前に、もう一度新垣に電話することにした。
探しに入るのは、どうも腰が引けて無理そうだ。
時間だって、既に零時二十分……怪異が起こるとされる時間まで、もうすぐなのだ。
幸い、今度は電話が通じた!
『おー、こんな時間にどうした?』
脳天気な声に、僕は思わずスマホに喚いた。
「どうしたじゃないぞっ! おまえ、校舎に行くはずじゃなかったのかよっ」
『あ、ああ、それな』
さすがに新垣の声が後ろめたくなった――が。
『それについちゃ、宮子を拝み倒して、ナシにしてもらった。やっぱりほら、恐いだろ? おまえだって、俺を止めたくらいだし、納得してくれるよな?』
「……は? いやおまえさっき俺に電話してきて」
驚きで痺れた頭で、俺は新垣をさらに問い詰めようとした。
なぜか手が震え始めている。
この噛み合わない会話に、僕は歯が鳴るほど怯えていた。
なにかしら、異常なことに巻き込まれているという実感があったからだ。
おまけに、ふいにスマホにラジオの混信みたいなやかましい音が割って入り、僕は慌ててスマホを持ち直した。
「に、新垣っ。おい、聞こえてるかっ」
『…………ああ、大丈夫だ』
時間はかかったが、また鮮明な声がして、僕はほっと息を吐いた。
ただ、繋がると同時に、部屋でこいつと話した時の違和感がまた蘇った……この声、どこかおかしくないか?
どこと指摘できないけれど、今さっき聞いた脳天気な新垣の声とは、どこか決定的な差があるのだ。
「き、聞こえてるならいいけど……て、おまえ本当に新垣だよな? さっき部屋で電話で話したよな?」
念のために訊き返したのは、もちろん怖じ気付いていたからだ。
「そう、俺だよ?」
僕の背後で、あらぬ声がした。
「ひっ」
思わず僕はそこでスマホを落とした。
どのみち、スマホなんか関係ない……今の声は、間違いなく「僕の後ろから」聞こえたのだから。
そして……この刹那、僕が部屋で新垣の声に感じた違和感を、完璧に理解した。
というより、今は頭の中の霧が晴れたかのごとく、鮮明に「思い出した」。
……あの時、僕が話した声は明らかに「女の子」の声だった……新垣とは似ても似つかない。
普段なら間違えるはずもないのに、部屋で電話してた間、僕はどういうわけか、相手の声を新垣だと思い込んでいただけだ。
図書館の時と同じく、背後で誰かの気配を強烈に感じる……もはや、その息づかいまで。
飛んで逃げたいところだが、足が動かない。
振り向けないまま、僕の肩に手が置かれた……かろうじて顔を向けてみれば、どう見てもか細く、真っ白な少女の手である。
新垣の手では有り得ない。
「……宮子との約束もあるし、零時半になる前に、俺は校舎内へ行く。じゃあな」
今は完全に少女の声にしか聞こえないが。
ついさっき、部屋でスマホを介して話した時そのままの口調で囁き声がして……僕はそのまま意識を失った。