勇者、兄を鍛える
「なー、彼方さんよ」
「なんだい、にいやんや」
パァン。と景気のいい音が響く。グローブをつけている俺の手にジリジリとした痛みが貫いた。
グローブを開くとぽろりとソフトボールが重力に逆らわず落ちる。そのボールを右手で受け取ると後ろへと伸ばした。
体全体を弓のようにしならせ、投石機のようなイメージを浮かべながら息を抜く。右腕をしならせ彼方に向かってボールを投げる。
彼方はボールをグローブで取るが、彼方のボールを受け止めた俺のグローブのような音は出ない。ぱすんっとネットに当たったような音だった。
「これいつまでやるんだい」
「にいさんや、ずっとだよ」
「あははー、冗談ですかい。彼方さんや」
うふふー、と彼方は微笑んだ。
「爺さんや、さっき言ったでしょ」
「ふざけんなよ!? それは聞いてないぞ!」
和やかムードで会話を終了しようとしていた彼方に思わず怒鳴る。
朝からずっとキャッチボール。上がりかけていた太陽は日差しが強くなり、露出している肌がジリジリと焼けていた。
まぁ、要するに暑い。死ぬ。左腕で額に溜まった汗を拭ったが滝の様にすぐに流れる。
「そもそもの話、スキル習得のために来てるんだから、そろそろ教えてくれてもいいじゃないか! ずっとキャッチボールとか教える気全くないだろう!」
「え、教えてるよー。むしろ教えてもらっていないと思っている兄ぃの方がひどいと思いまーす」
朝からずっと彼方とキャッチボールをして体を動かしスキルの習得についてぎゃーぎゃー喚いていると、スマホの着信音が突然鳴り響いた。
着信音を聞く限りでは電話ではなく、ポケットに入っている俺のスマホからではなかった。
「ん? 誰だろ?」
「こんな時間……と言ってももう十時か……」
ポケットからスマホを取り出し電源をつけると十時になっている。
まぁ彼方と口喧嘩をしながらやっていたからそうなるのも仕方ないのだろう。
「ちょっとまってね」
「あいよ」
彼方が中断を宣言するとスマホを確認し始めた。
俺はその間に深呼吸をし、空を見上げる。
夏の空特有の澄んだ青空に綿菓子のような雲がふわふわと浮いている。そこから視線を右手に移すと、土やボールを握り続け投げ込んでいたためか、爪には土が入っており、人差し指と中指の皮が少しめくれていた。
「……ふぅ、まぁずっと投げていたらそうなるよな……」
背中や肩の辺りもやや重たいし……。
今日はここまでかなぁと乳酸が溜まった右肩をポンポンと叩き凝りをほぐそうと試みる。しかし痛いだけだった。
そしてスマホを見終わった彼方が俺に声をかけた。
「兄ぃー、なんか魔王ちゃんが三十分後くらいにご飯食べに行きませんか? って連絡が来たんだけどー!」
「舞麻が?」
珍しい……いやなに考えているんだ。と思った。
つい先日、彼方と煽り合いをしていたじゃないか。あと宣戦布告もしたよな。
「どうしたんだろうね? 魔王ちゃんから誘うことなかったのに」
「なにかの心境の変化……とか?」
もしかしたら賭け事を中止したいとか……。いやそんなことはないだろう。
考えを張り巡らせていると、はっ!? と彼方が衝撃を受けたような顔をした。
「まさかネトラレ……」
「はいはい漫画の読みすぎなので黙って」
「あう」
妹の頭にめがけて軽く手刀を落とした。
◇
「お、魔王ちゃんみっけ! ヤッホー! 魔王ちゃんおはよう!」
「勇者だ!」
「勇者だ、殺される!」
「つむぐだー」
昼になる頃、駅に向かった俺と彼方は舞麻と合流する。
舞麻をすぐに見つけた彼方は大きく手を振ると、対する彼女は恥ずかしそうに手を振る。
そして舞麻の周りには以前会った子鬼トリオがおり、俺と彼方に敵意やら歓迎やら色んな感情を向けていた。
主に勇者には敵意で俺には歓迎か。
「兄ぃずるくない?」
「何が?」
頬を膨らませながら俺に抗議をしてくる。
おそらく子鬼トリオに敵意を向けられたことについてだろうか。
「だって兄ぃって私の味方だよね? 私の家族なら私の味方でもあるよね?」
「その理論はどうなんだ?」
「敵の敵は味方と同じように、味方の味方は敵なんじゃないかなと」
「つまり俺も彼方と同じ敵側の人間だと?」
うんうん。と頷く彼方。
どこかのゲームではラスボスは父親だったりしてるが、その家族が敵だということはないだろう。
だから知らんふりをした。いや心の中でほくそ笑んだ。
「世の中は残酷だ」
「うわ、まだ大人でもない兄ぃが何か言ってる」
「そういうお前だってまだ大人でもないだろ」
「ふふーん! これでも私はあっちの世界では大人なんだなー!」
驚いた顔をして彼方を見つめた。
「まさかお前……」
「えっ?」
「えっ」
「紡さんもおはよう、ございます……どうか、されたのですか?」
俺たちがワイワイ話してるところに舞麻が近寄ってきていた。彼女の手は子鬼トリオと手をつないでいる。
一見三つ子を連れている姉のようだ。
ちなみにその子鬼トリオは伸びた髪は切りそろえられており、肌はまだ若干赤みがかかっていたが……まぁ若い子は溌剌としていて血色がいいと思えばそう見えるだろうか?
そして以前の野蛮な服装ではなく、小学校の子供達が着ているようなティーシャツに短パンと年相応の服装だった。
そしてシャツのプリントには、左の小鬼から一、二、三。と印刷されている。一が一番大きくて、三が小さい小鬼だ。
おそらく見分けがつきやすいように……だろうか。
その小鬼トリオが舞麻から離れると俺の足に抱きついてくる。
「お、おう、なんでもない。というか今日小鬼トリオがいるとは思わなかったんだけど……」
「つむぐ元気ー?」
「疲れてる顔してるー」
「大丈夫ー?」
小鬼トリオの角は髪の毛で隠れていた。
上目遣いでじっと見てくる三人に不覚にも可愛いと思ってしまう。
「あぁ、元気元気。朝から妹とキャッチボールするくらいな。お前達……も元気そうだな。建物が壊れて以来か?」
でもあの時は眠っていたような……。
すると小鬼トリオの表情が炭酸の様に弾けた。
「とってもびっくりした!」
「目を覚ましたら魔王様の家が破壊されていて、魔王様がいなかったから!」
「目を覚ましてー! 魔王様探していたらー突然家が治ってびっくりしたー!」
「ははは……」
小鬼トリオや、もう少し落ち着いて話そうぜ。あと俺は聖徳太子じゃないから別々で話してくれ。
でもたしかにびっくりするだろうな……。
目が覚めたら家が壊れていて、突然直るんだから……。
「どうしてこいつらが……?」
「実はこの子たちが紡さん達に会って話したいことがある。と言っていたので……お呼びしました」
小鬼トリオが? 俺に?
三人をみるとそれぞれがアイコンタクトをしており、そして何かを決意したかの様な顔をして俺を見た。
そして三人が頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「勇者もどきから守ってくれて!」
「魔王様も助けてくれて!」
「なるほどね」
まず、ゼクスはもどきではなく見習いと訂正しておこう。
そして三人は助けてもらったお礼を言いたかった。
しかし俺は舞麻に三人を見捨てろと言ったからそんなこと言われる筋合いがないと俺はおもっていた。
一応だが、舞麻からは小鬼トリオは無事だというのは聞いていた。しかし前述のこともあり、小鬼トリオに合わせる顔がなかった。
だから目の前で俺に感謝をするこいつらにどう返していいのかわからなかった。
「いいや、俺は……」
本当のことを話そうとした時に俺の背中に弾ける様な音と衝撃が襲いかかる。
「いっ!」
「何卑屈になってるの? 兄ぃ」
背中を叩いたのは彼方だ。
俺は何を……と言いかける。すると彼方は腕を組みため息をもらす。
「感謝の言葉くらいありがたく受け止めなきゃ。ありがとうと言った相手を否定している様じゃない」
「……」
ありがとうと言われたら受け止める……か。
彼方らしい言葉だなと思った。
勇者らしい……彼方が勇者である理由の一つなんだろう。
もう一度小鬼たちを見るとその目は純粋な子どもの瞳。
魔族や、人間など生命達が持つ感情を含ませた瞳が俺を見つめていた。
少し視線を落とした後、鼻の下を二度と擦った。
「……どういたしまして」
俺は恥ずかしそうに答えた。




