魔王、シングルマザーの予感が生じる
家に上がると玄関から奥に伸びた廊下があり、近い順番で左手に、そして次に右手、最後突き当たりに扉があった。
新築だからおそらくお風呂とトイレは付いているだろう。今時風呂なしトイレなしの新築アパートはあるのだろうか?
通されたのは突き当たりの扉だ。扉の向こうはリビングで、入ってすぐ左手にキッチンがあり所狭しと調味料や食器など並べられていた。リビングはおそらく十畳程あるだろう。一人で住むには広すぎた。壁にはいろんな植物や本が並んでいる。全てが現実世界の本だった。経済や、哲学、小説などたくさんあった。
「お茶しかない、ですけど……」
「いいよー! コーヒー私苦手だし!」
「ずうずうしいなぁお前……」
「いいんですよ……」
おいおい魔王さんそんなことでいいんですか?
かちゃかちゃと鳴らしながら持ってきたのは豪華そうな陶器のティーポットと縁に金の装飾が施された紅茶を入れるためだけに作られたかの様なティーカップだった。
「高級そうな輝きを感じる……」
「あっちにあった食器です」
「あっち?」
えぇ、と舞麻が言う。
そしてティーポットから出てきたのはお茶と言い難いものだった。
紅茶のような匂いではあるが、緑茶やほうじ茶とは程遠い色をしている。
例えるなら青紫色のアジサイの様な色だ。
「あー、これあっちのお茶でしょ! 結構高いやつ! 魔王ちゃんすごいじゃん! というかこのティーセット……こっちで売ると車一台買えるよ?」
「いっ……!?」
「彼等は、人間の真似をして……と言っていましたが、人間達の……文化を知るためには、必要な事でしたし……」
「……」
どうぞ。と俺に渡してきた。
青紫色のお茶が、目の前にある。食欲減退しそうな色だ。
基本的に人間というのは暖色を好むタイプでな? 橙色、黄色、赤色がいいと言われてるのだぞ?
しかし目の前にあるのは青系統。
そして異世界のお茶である。
「……」
「あれ? 兄ぃ飲まないの?」
飲めない! 怖いじゃん!
そんな視線を彼方に送ると一度渡されたお茶を見たあと口にした。
「毒味をしたよ」と俺にしたのだろう。しかしな妹よ。やっぱ怖いものは怖いんだよ。
首を何度か横に振るう。すると彼方の目が鋭く光った気がした。
妹の目も怖い。なんていう目をするんだ、君は。
生唾を飲み、恐る恐る口にした。
やはりこの世のものとは言えない風味とか味が舌を包み込んだ。
ミントの様な爽やかさというか、スパイスが効いたお茶は決して不味いという様なものじゃない。むしろ喉を潤す様に通っていったお茶に感動を覚えた。
俺は矢継ぎ早にお茶を口に含んでいき、すぐに飲み干した。
「お口に……合いませんでした、か?」
「いやいや、美味しいよ。すっごい」
不思議な力に引き込まれる様な感動に語彙が失った。
おかわりはまだあるので。と言いながら椅子に座る。
俺と彼方は隣同士で座っており、そのテーブルを挟んで向こう側に舞麻が座っている。
「でも元気そうでよかったよ」
「ご心配……おかけしました」
茶を飲み干すとげっぷをした彼方が口を開いた。
汚ねぇぞ。お前。
「魔王ちゃんでも風邪引くんだね。スキル的にならないと思ったんだけど」
しれっと訳の分からない事を言う妹に俺は目を細めた。
「彼方、スキル的にとはなんだ?」
こちら側でもわかるように言ってくれ。
彼方はしばらく考えていると、舞麻が口を開いた。
「あっちでは、基本的にスキルと……呼ばれるものが、あります。身体的、技術的と……様々な力が心身に、宿るんです」
「そうそう! ……で私が今言ったのは免疫抵抗のスキルを取ってないのかなという意味で言ったのよ!」
……全然わからん。
二人は顔を見合わせると、あーでもないこーでもないと話し合う。
その途切れ途切れで聞こえてくる言葉を拾いわかるように噛み砕いた後、二人に声をかけた。
「簡単にいうなら、舞麻と彼方には現実世界の住人が持っていないものを持っている的な?」
「まぁ、簡単に言うとそうだね。私が使っている記憶改竄と経歴詐称とかは精神魔法とか技術系に分類されているよ」
「……なるほどね」
全然わからん。
「ちなみに彼方、お前は基本的に何を取得してるとか言える?」
「ざっくり言うと、体術系統、精神系統、武術武器系統、魔術系統、錬金系統、属性魔法系統ほとんど取得しているよ。ざっと二百かなー?」
「取得しすぎだろ」
「だって、色んなもの手にとってどんなものか知りたいじゃない? 自分に合うものを選んで使ってたよ」
俺でもわかるチート具合。
ゲームだと、敵の行動を予測できるとか、弱点が見えるとか、攻撃が強くなるとか、そう言うのだろ?
あのゲームだと、せいぜい五つか六つが限度だったはず。
それをほぼ全て取得している様なものだろう?
「そりゃ、魔王が勝てないわけだ」
「えへへー、ほとんど【勇者】の所為だよ」
「勇者ねぇ?」
勇者の成せる技とか言いたいのだろう。
だけどそれは俺、一般人からすれば【化け物】というのだが。
ちらりと舞麻の方を見る。
「舞麻もだいたいそんな感じなのか?」
「彼方ほどでは……ありませんが、それなりには……主に魔術系統、錬金系統のスキルを習得しています」
数えるなら七十くらいです。と彼女は答える。
魔王様の方が良心的ですネ。
玄関の扉が開く音が聞こえた。
「魔王様ー。ただいま帰りましたー!」
可愛らしい声が舞麻を呼ぶ。
舞麻はあわわと慌てた様な顔をして立ち上がるがもう遅い。トテトテと足音を鳴らしながらやってきたのは一本のツノが生えた子どもが三人だ。左から右にかけて身長が小さくなっていく。
おそらく左の子が一番年上なのだろう。
服をちゃんときておらず、ボロボロの腰巻の様なものを身につけている。そして肌が人の肌色とは違い血の様に赤かった。
「魔王様ー。約束通りツノツキカエル五匹、グリーンリザード二匹、ヨルハトリ三羽狩ってきましたー……ってやや! 人間さんがいる!」
そういったのは左の子。
「人間さん……というか勇者だ! 勇者がいるよ!」
そういったのが真ん中の子。
「おしまいだー、ここにきたのがバレちゃったー。なんまいだー」
やけに日本昔ばなしに出てきそうな言葉を話すのが右の子だった。
それぞれがおしまいだーとか阿鼻叫喚……泣いてはいないが、悲嘆しており、それをどうにかして纏めようとしている舞麻。
俺は特に驚きもせず顎を撫で、閃いた様にポンっと音を鳴らした。
「あっと、その……」
「……シングルマザーだったのか!?」
「違います! まだ生娘ですから!」
あ、はい。
◇
「えー! 魔王様と勇者は仲良いのー!?」
「魔王様と勇者はお友達?」
「この人は勇者のお兄さん? 勇者のお兄さんは勇者?」
それぞれが俺たちに興味津々で話しかけてくる。というより質問攻めだ。
とりあえずこの魔物たちの事を把握しようと舞麻を見る。
「この子達は小鬼で、魔物の中で下位の種族でして……」
「使い魔みたいなやつか?」
「有り体でいうなら」
「勇者のお兄さんは強いの?」
キラキラとした目を俺に向けてくる小鬼トリオに俺は気圧された。
わー、一気に賑やかになったなー。
「というか小鬼三人もいていいのか?」
彼方に問いかけるとはて? なんの話? と俺を見てくる。
なんでそんな悠長なんだよ!
「これも彼方の許可したやつなんだよな?」
「うん。魔王ちゃん一人だと寂しいかなと思って」
寂しいと言っても現在日本に移住してるの五人だよね?
購買で働く悪魔と、家で召使いの小鬼トリオ。そして魔王。
十分多すぎると思うんだけどなぁ。
しかし勇者のスペックを思い出すだけですぐに納得する。
この状況でも勇者一人で事が済む事態なのだと。
チラリと舞麻の方を見ると、彼方を恐れて彼女の後ろに隠れた小鬼トリオがこちらを覗いていた。
「この子達は、害はない……です。甘いものが好きであげれば、悪さをしないから……」
必死な舞麻に俺は戸惑う。
「いや、別に何かしようと思ってないし、彼方もその考えだろう?」
「うん。魔王ちゃんがちゃんと見てるなら全然問題ないよ」
アバウトだなー。俺の妹は……。
「魔王様、オレ達はここにいていいのー?」
「魔王様、オレ達強制送還されないのー?」
「勇者にフルボッコされないー?」
お前らどこからそんな言葉を覚えたんだよ。
一度彼方を見ると、頷くしかしない。小鬼達は俺に聞いてくる。
一度ため息をついた。
「しないしない。舞麻のお世話よろしくな」
やったー! と喜ぶ小鬼トリオ。
子どもって無邪気だなぁ、とくすぐったい気持ちになった。
「魔王様ー。エモノどうします?」
「前に教えた通り……捌いて、残ったものは……食べて、いいよ」
「りょーかいしましたー! 魔王様ー!」
「骨骨バリバリ骨バリバリー!」
「オレ、ツノツキカエルさばくー!」
小鬼トリオがリビングからいなくなった後、舞麻に問いかける。
「エモノって?」
「購買で出す食材です。購買の食材は全て異世界産ですよ」
……
……
……
え? なんだって?




