勇者、三年ぶりに家に帰る。
携帯の呑気な目覚ましアラームが聞こえた。
ピチチと囀る小鳥に木の葉が風に撫でられるように擦れる音が聞こえる。鬱蒼と生い茂る、自然の一部を切り抜いたかのような音が混じると、目覚ましアラームの音が消えた。
……こんな目覚ましアラームって設定したっけ。
もう起きる時間なのか。夢など見れず息ができない、ただただ真っ暗な海の底に座り込んでいた俺は夢の中で目を開ける。
ゆっくりと立ち上がり海底を蹴る。
深い海から蹴る勢いで浮かび上がる途中で息を吐いた。息が泡となって俺と一緒に浮かび上がった。
「兄ぃ、起きて! 朝だよ!」
俺の名前を呼ばれながら体を揺すられていた。
深い眠りから目を覚ましたのにいきなり体を揺すられてる気分はもう最悪だ。
「兄ぃ! 起きないと私の熱いベーゼをしちゃうよ! いいならそのまま寝てていいからね? スノーホワイトとか、オーロラ姫はチッスで目覚めるんだから……仕方ないよね! じゃあ、んちゅー……」
「やめんかい」
目を開けず俺の口にシャッターの如く手を差し込んだ。むちゅーと言わんばかりの吸引力が手のひらを襲う。れろれろ。気持ち悪い。
「ぷへっ、ならさっさと起きてよ! ママが呼んでるんだから!」
「あぁ、わかった。彼方……え、カナタ?」
ぼやけていててよくわからなかった。いま誰の名前を呼んだ? かなた……かなた、かなた、かなたかなたかなた……。
「彼方!?」
「うん。世界で一人だけの夢乃紡の妹ちゃん、彼方ちゃんだよっ!」
カーテンを思いっきり開かれた。一日の始まりである日差しに俺の目は眩ませた。
目が慣れると妹の名を自分のものだと言い張る者が現れた。
髪はダークブラウンに右分けのポニーテール……。昔に見たことある髪型だ。そして、俺と同じ黒い瞳で、昔と変わらない貧乳。
「兄ぃ、ただいま!」
妹が帰ってきていた。
◇
その場で固まった。えぇ、固まりましたとも。
「え、夢だろ……だって彼方は……」
三年前に神隠しにあったんだ。
俺たちがいくら探しても出てこなかったあの妹がいま目の前にいる。
彼方は後ろで手を組み覗き込むように俺を見た。
「死んだと思っていたんだ」
「そりゃそうだろ! どこ行っていたんだよ。ずっと探していたんだぞ!?」
その発言に彼方は少し口を開いたあと、口角が下がる。それを隠そうと両手で顔を覆い、深呼吸をひとつしたあと、震える笑顔を作り「ごめんね」とそれ以上何もはなさなかった。
「……ちょっとここじゃ話せないから、あとでもいい? その時になったら、全部話すから」
今はご飯食べよう、と彼方が促した。彼方の後ろ姿を見つめている。信じられない、ありえない。
下に降りると母さんがいつもと違う様子でいた。その姿を見てすぐにわかる。彼方が帰ってきたから嬉しかったんだろう。
「母さん! 彼方が帰ってきているけど」
「え? なに言ってるの? 彼方はずっといたじゃない」
「え、……」
母さんの疲れ切った顔がなかった。
いや、これはいつもと違う様子じゃない。これが本来のいつもの様子なのだと理解した。
「変な夢でも見たの?」
「……いや、なんでない」
「何言ってるのさ、兄ぃは! こんな超絶怒涛の美人を妹じゃないというなら私は何者なのよさ」
真横で明るい感じに俺に話しかけてくる妹にいらだった。さっきまで変な感覚がなくなり、やっぱこいつ俺の妹だとすぐにわかる。
「たしかに胸がないのは妹だなっ!?」
何も言わず、真横にいた我が妹は左足で鋭いターンをする。フローリングに穴が空くほどの勢いだ、そしてその鋭いターンに上乗せされた鋭い右フックが腹部を貫いた。ほんの一瞬すぎて体が反応していない。
鳩尾に入ったその一撃に俺は体を折り曲げ膝をついた。
おい、母上よ。娘を怒れよ。
でもこの攻撃昔から受けてたの思い出した。妹だと思いたくないけどこいつ紛れもなく俺の妹だった。
「兄ぃ、私よく聞こえなかったからもう一度聞いていいかな? 今胸がないって聞こえたけど?」
笑顔だ。まんべんの笑顔だ。怖いんですけど。お兄ちゃん怖いんですけど。
息を整えてから声をだした。
「イエ、ナニモイッテオリマセン。超絶怒涛ノ美人デシタ……」
声が震えていた。
よろしいと満足げになった妹はリビングへと向かう。
その妹の後ろ姿を眺め、こんな暴力的な力を持つ奴は妹で間違いではないかとおもった。