勇者、兄の寝込みを襲う。
ズシリと重たいモノが体に襲いかかった。
猫が上の踏み台から飛び降りたような、大型犬に踏み抜かれたようなずっしりとした重みにうぐっと迫り上がる空気を噴き出す。
「お、もい……!」
もちろん俺の家では猫や犬を飼っていない。いるのは両親と少し前に帰ってきた妹だ。
目を開けると案の定妹が馬乗りで僕の上に乗っている。主人を目覚めさせる役目をストライキした時計をちらりと見ると、時間はまだ八時にもなっていない。遮光カーテンで朝日は拝めてはいないが朝なのは明らかだ。
その俺の上に跨っている妹は、よそ見をしてから俺が目を覚ましたのに気づいたかのような顔を向けてきた。
「あ、おはよう兄ぃ」
あ、ってなんだお前。あ、って!
寝起きを起こされて機嫌が悪い俺は思わず拳を振るったが、さすが勇者素早い身のこなしでごく最小のスウェーで避けた。どこかのブライアンホークか。お前は。いっそのこと俺の上から退いて欲しいのだが。
「お前何してんだよ。俺の上に乗って何をしようとしたんだよ」
その質問に数秒考えたあと、彼方は右手で笑いを堪えるように口を隠した。
「何ってナニしようと思ってるの?」
しねぇよ。どけ。クソ野郎が。
にゃははー。と笑うと顔を近づけてくる。サラサラとした髪からほんのりと俺と同じシャンプーの香りがするが、ドキッとするわけがない。俺と同じシャンプーでドキッとするのはきっと異性で血縁関係じゃない人だ。
「本当は窓を開けようと思ってね! 換気だよ換気! だけどあまりにもスヤスヤと寝ているのがあまりにも気に入らなくて、思わずニードロップしちゃった!」
即死レベルのプロレス技じゃありませんかねぇ? ニードロップって何ですか。俺を殺す気ですか?
「私も昔そうだったんだよ。少しでも寝坊したらハルト爺にギロチンカッター食らわされていたんだ」
「おい、そのハルト爺とやらを今すぐこちらに連れてこい、俺の妹になんて事してやがる」
前言撤回、そのハルト爺とやらぶっ殺す。俺の妹に攻撃しやがって!
「まぁ、でもいつも返り討ちにしてたけどね! なんせ私は勇者だから!」
「あー、そうですか……」
ハルト爺もハルト爺で勇者に向かって何で攻撃してんだ。てか勇者って何なんだ。今日一番の謎だ。
「でも兄ぃが私を心配してくれるなんて……私は嬉しいよ! 私まだ処女なのよ?」
「そんなこと聞いてねぇし! なにに手をかけているのはどういうことですかね!」
「んー、カナタチャンナニイッテルカンカンナイ」
「ちょ、ほんとやめろ!」
右手がさりげなく俺の社会の窓に手をかけてるの知ってるんだからな! 早くどけよ!
「兄ぃはおかしいよ! こんな超絶怒涛の美少女妹が起こしにきてあげるのにドキドキもしないのは兄ぃとして失格だよ!」
「うるせぇ! お前と一緒に過ごして何年になると思ってやがる! お前の体なんか小学校低学年までずっと見てきたんだからな!」
それより変なルビを振るんじゃねぇ。美少女妹をびもうとなんて読んだ覚えはないぞ!?
「え、兄ぃはロリコンだったの?」
脳血管が切れる音がした。もちろん俺のだ。
「あははー、さすがの妹ちゃんである私もびっくりだなー。まさか兄ぃは小学校の頃の私を思い出すなんてー。もしかして兄ぃはむっつりスケベなのかな?」
「彼方ぁー?」
「まぁ、そういうのは置いといてね? そろそろ起きないといけないから換気でもして起こしてあげようと思ったのさ!」
「ふざけんないま何月だと思ってやがる」
今は六月。梅雨の時期になり、じっとりとした不快指数爆上がりの時期だ。
そんな時期に窓を開けて気分転換させようとする妹は何者なのか? 妹以外ありえなかった。畜生め。
俺の上から降りると両手を後ろで組んでニコニコと笑いかけてくる。
「ママがご飯食べてってさ。皿が片付けれないじゃないって言ってたよ」
「あー、そっか」
母さんが困っているならしょうがない。悲しいことに夢乃家は女尊男卑。親父と俺は弱者、つまり母さんのいうことは絶対なのだ。
俺は起き上がり、じめっとした暑さによって汗が染み込んだシャツを脱ぎ捨てる。後でと思って置いておくとまた母さんに叱責を喰らいかねないから後で下に行くついでに洗濯機の中に突っ込んでおこう。
普段着に着替える。通気性のいいシャツに、ポロシャツをきて、ジーパンを履いた。
なお、彼方は俺のベッドに座っていた。何でこいつ俺の着替え見てるんだよ。
「ところで今日日曜日だよ。学校休みだよ!」
足を水泳のバタ足のごとく振り回した。涼しい。
「悪いけど、やることがあるからお前に構ってる暇がない」
尚、嘘ではない。ちゃんと目覚ましアラームをセットしていた理由はそこにある。しかしその目覚ましアラームはストライキ……いや、そこの悪魔のせいで若干寝過ごしていたのだった。
しかしまだ急ぐような時間ではない。早く出ればいいだけのことだ。
「ええー! 日曜日だよ!? 学生の全てに約束された休日だよ! サンデーバケーションだよ!」
両手を開き猛抗議をする妹。
「その造語は間違ってる。いうならサンデーホリデーだ」
頭が悪いのかこいつは。
俺はその指摘をした後、脱いだ服を纏めて脇に抱えた後妹を置いて部屋を出た。
◇
母さんと妹との会話をぼんやりと聞いていた。
「ママ、お皿洗いしておいたよ」
「あら、ありがとう。助かるわ」
「えへへー」
皿洗いをして、食器片付ける風景を懐かしさを感じた。
三年前を思い出す。まだ小学校を卒業して間もない妹が届かない棚の食器をしまおうと悪戦苦闘していたのを、たしか届かないところの食器は俺が全部片付けていたっけ。いや、彼方が片付けを手伝い始める以前は俺がやっていた気がする。
「……ズレるなぁ」
勇者である妹は記憶改竄と経歴詐称の力があると言っていた。妹がいなかった時間は全て妹がいた時間はと書き換えられている。
「私の記憶改竄と経歴詐称の力は社会国家に及ぼすレベルに値するよ」
とさらっと人一人社会的に消すことができると発言する我が妹。怖い。
これは偽りなのだろうか、こうやって母さんと一緒に仲良く家事をしているのは偽りなのだろうか。三年前に妹はいなくなり、母さんはそれで悲しんでいた。
もしかしたらいま目の前にいる女性は俺の妹、夢乃彼方ではないかもしれない。
たとえ彼女が【本物】でも【偽物】でも俺は受け入れられるのだろうか。そしてもし受け入れなければ……俺も記憶改竄と経歴詐称に影響されてしまうのかもしれない。
「あ、お兄ちゃん。なんかやることがあるって言ってたけど、なにやる予定だったの?」
思い出したかのように彼方が俺に聞いてきた。顔を上げると時間はもうすぐ九時になろうとしていた。
「……あ、そうだった!」
俺は飛び上がるように立ち上がると、財布と携帯、そしてショルダーバッグを手にして家を出た。
「行ってきます!」
「いってらっしゃーい」
妹が手をぷらぷらと振りながら見送った。




