プロローグ
消えた妹の話をしよう。
妹の名前は夢乃彼方。身長が百五十センチほどで、女なのに男勝りの名前がついた変なやつだ。実際男みたいなやつでなにかと鬱陶しい奴だったと思う。
小さい時は、お兄ちゃんとわんわん泣きながら俺に抱っこを強請ってきたのが今でも思い出す。
性格は四文字熟語でいうなら天真爛漫。困った奴がいるなら助けたり、相談を聞いたりとする『勇者』みたいな奴だった。
そんなバカみたいな、悪いことを知らない犬みたいな、手放したらなにもできなくて飢え死にしそうな自慢の妹を……。
家族が妹の存在を忘れ去ろうとしていた。
今から三年ほど前、妹が公園に行って友達と遊んでくると言ってそのまま何処かに行ってしまった。
防犯カメラにもうつっておらず、公園にいた子どもたちも彼方を見ていないと口を揃えた。
親父と母さんは泣いた。マスコミにも私たちの娘を返してください。と大々的に流した。
しかしなんの情報も得られず、時間だけが刻一刻と過ぎて行く。そして幾許かの時間を過ぎた時に母さんが口にした。
「彼方なんていなかった」
それは事実上の妹を諦めることだった。もちろん親父も俺もそれに対して反論する。しかし母さんの心は深刻だった。
「私には娘なんかいない! いたのはあなただけよ!」
「……っ!」
胸が苦しめられた。これ以上なくこんな苦しい思いをしたのは生まれて初めてだった。
そしていつしか親父も妹の話をすることもなくなり……。
妹がいたんだと、両親に訴え続けていた俺もいつしか妹は帰ってこないと思うようになっていった。
◇
置いていった家族のことを思い出した。
いつも私を大事にしていた、たった一人の兄。口が悪く、よく喧嘩したりしていたが、私が泣いていた時とか、ペットが亡くなって悲しんでいた時はずっと一緒に隣にいてくれた私の大好きな人。
兄は元気でいるだろうか。病気もなく健康で過ごしているだろうか。恋人の一人や二人作ったのだろうか……ふと胸のあたりで嫉妬が渦巻いた。
あ、あとパパとママは心配していないだろうか。ついでのように思ったけど二人とも兄同様に大好きである。間違いはない。
「おい、カナタ!」
「あ、うん!」
「早くこっちに来んかい! こっちは手一杯なんだ!」
「ごめん!ハルト爺!」
ハルト爺の目の前にいたのは巨大なトカゲ。エメラルド色の鱗で、黄金の瞳を持つ炎を吐くリザードだ。ゲームでいうレベルで言えば五十代。最終ダンジョンにでも出てきそうな奴だ。
「爺は余分だ! 俺はまだ五十九才だ!」
「あらー。五十九だったのですー? 私てっきり六十代だと思っていましたー」
斜め後ろでクスクスと笑う女性、エミューダがハルト爺を小馬鹿にしている。
「うるせぇ! 一つ違うだけというけどその一つは三百六十五日という長い年月があってだな! それよりもまずこっちを手伝うくらいしろよ! このクソババア!」
ハルト爺はエミューダに向かってクソババアというけど、エミューダにとっては彼の言葉は子どもが投げかける言葉に近いらしい。
まだ十四の私にはよくわからないことだった。
あ、でも、たしかに十四の時点で年下の子供におばちゃんと言われたら怒るかもしれない。うん。きっと怒るよ。
「カナター? ちょっとは意識をこっちに向けてくださーい」
「エミューダごめん!」
自問自答しているうちにハルト爺が押されていた。エミューダが対火炎の魔法をかけているからほぼ無傷でいる。さすが人類最強の魔法使いだ。しかしハルト爺の方面で力負けはしているのは一目瞭然だった。エミューダもエミューダで、対火炎耐性の魔法をかけ続けているようで攻撃魔法に転じる隙がないようだった。
腰に携えた剣を引き抜く。引き抜かれた白銀の剣は自ら発光するかのように光り輝いた。
その剣は何百年も前に人ならざる者、神が作り上げたと言う業物である。その名も『聖剣』。名前は知らない。そうだな。今は『無銘』と言っておく。
エメラルドリザードの目の前に立つと、私の闘志に押されたのかハルト爺への攻撃をやめ、後ずさった。
加速をする必要はなかった。一歩脱力するように前へ倒れ、そして一気に踏み抜く。その動作で十分だった。エメラルドリザードの鱗をバターのように切り裂き、顔から尻尾まで全てを両断する。
一斬必殺、それが聖剣に許された力だ。
「そう全ては魔王を倒すために。私はここにいるんだ……」
『無銘』を納めながら。私は私に言い聞かせた。
◇
それは苛烈を極める戦争だった。
人類が私たちの領域に入り進行してくる。それを迎え撃つ。
基本的に私たち魔族は狩りを生計にしている。人を殺め、物資を奪うことを生業としている。
つまり私たちは狩る側であって狩られる側ではない。しかしそういう仕返しが来ることはわかっていた。
敵は圧倒的で次々と倒されていく同胞達。炎で焼かれ、雷に打たれ、斬撃で斬り伏せられる。
それに対して恐怖はなかった。恐れることもなかった。
これまでの歴代の魔王達の伝承を読んでいたから。全て悪は滅ぼされ、正義が勝ち、そして世界は平和へと至らしめる。
つまり魔王とは悪の権化であり、善と悪がある話で滅ぼされるべき存在だと私は自覚していた。全力で構築し、全身全霊で行った政治も全てこの世界平和のための足がかりにしかならないのだ。
「ふはは! よくぞ、よくぞここまできた! 沢山の命を踏みにじり、死体の山を築き我の元までよくぞたどり着いた!」
私は両手を開き、勇者たちを迎え入れる。祝福だ。歓迎しよう。そして死を覚悟しよう。
私の最期の時間だ。
勇者一行は攻撃を仕掛け、私は必死に抵抗する。迫り来る攻撃、防ぐ魔法。ほとばしる魔力。
「魔王様! 助太刀を!」
「くるな!」
これ以上同胞の血を見たくない。だから私は戦った。これ以上なにも起こさないために、これ以上の血を流さないように。
もちろん、勝てる見込みは一切ない。
勇者の一撃が、私の障壁を打ち破ると同時に私の力の大元である魔力も失った。もう打つ手立てがない。詰んでいた。
「くっ、殺せ! そして世界の平和を手にし、安寧の時を歩むがいい! しかし私は何度でも蘇る! 何度でも、何度でも! 貴様達人間を滅ぼすことを目論んでおるのだ! それを夢忘れるな!」
様式美に呪いの言葉を発しておこう。そしてこの言葉を人類に刻みずっと平和でいられるのならば私は……。
「……私そんなつもりないよ?」
「……は?」
兜を取り、現れたのは少女だった。不思議そうな顔をして私を見つめている。
まっすぐ私を見ていた。
「お、恐れないのか! 私は魔王であるぞ!」
「魔王って知ってるよ。でも、こんな綺麗な髪を持ってて、こんな輝いた瞳を持ってて、こんなに美人なのに殺しちゃうなんて勇者の私が許さないわ!」
なにを言っているんだ。この人は。
さっきまで戦っていた者とは大違いだった。
「ごめんね。魔王様! 私はあなたを倒すつもりで来てないのよ!」
「え、でも」
同胞達は……。
「あくまで様式美だよ?」
ニッコリと満遍の笑みを私に向けてきた勇者。
「勇者の計らいで、魔物は必要最低限で誰も殺めていないのですよー?」
そんなバカな。
あの大群を、最短距離で、最低限の被害で、最低限の力でねじ伏せたのか。
様式美というには程遠すぎる。
「それでいいんですよねー? カナタ」
「うん。ありがとうね。エミューダ」
その二人の会話に魔王は変な顔をしていた。
勇者が剣をしまい、籠手を取り手を差し出したが手が汗で濡れていた。そして慌てるように手を拭い、再度手を出してきた。
「魔王が魔王でいられないところ、教えてあげる! ついでにいい人教えてあげるから、私と一緒においで!」
それは甘い話なのだろうか?
魔王は一度その手を見た。嘘だと思っていた。なぜなら悪の権化だから。悪は滅びるべき存在だから。
いつしか裏切られ、いつしか憎まれ、いつしか私は……。
しかし手を取ってしまったのだ。
なぜかはわからない。ただ、その時の魔王は縋ってしまったのだ。
魔王でいなくていいという世界を。