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03

 オレはほんの何日か前まで、ごく普通の高校生だった。


 高校生活最後の夏休み、受験勉強もそこそこ頑張りつつ、面白おかしく満喫して過ごすはずだったのに。


 いったい、何がどうしてこんなコトに―――。


 障子から朝の太陽の光が差し込む中、客人用の布団の上、見慣れない天井をぼんやりと眺めたまま、オレは昨夜から何度も考えたことをまた考えていた。


「もうとっくに太陽は昇っているぞ。いつまでそうしている気だ」


 説教じみた文句を垂れながら視界の中に突然現れた蒼い物の怪を憤然とにらみつけ、オレはごろりと横に転がった。


「まだ昨夜のことを根に持っているのか。男のクセに、いつまでも小さいことをウジウジと……」


 舌打ちしたげなその物言いに、オレは勢いよく起き上がって抗議した。


「あれのどこが小さいコトだ、フザけんなっ!」

「フン、お前が大人しく私に協力すればいいだけの話だろう。役目が終われば解放してやる、と言っているんだ。そこまで目くじらを立てるほどのことではあるまい」


 マ、マジムカつく! コイツ!!


 しれっと答えるアオに全身の毛が逆立つような怒りを覚えながら、オレはヤツに背を向けてがしがしと自分の髪をかきむしった。


「勝手なコトばっか言いやがって! ウゼーんだよ、どっか行け! 今日はお前の顔を見たくねぇっ!」

「ガキが……」


 見下げたような溜め息をひとつこぼして、蒼い物の怪はその姿を消した。


 一人になった部屋の中、オレはどうしようもなく込み上げてくる焦燥感に苛まれながら、八方塞がりの現状に苛立ち、処理しきれない感情を持て余して、借り物の寝巻きを脱ぎ捨て、畳に叩きつけた。


 ―――ちっくしょう!


 肩で大きく息をつきながら額に手を当て、どうしようもない、無力な自分自身に、奥歯を噛みしめる。


 ―――どうしたら、いいんだよ……。








 夏の空は、今日も皮肉なほどに青く晴れ渡っている。


「氷上様、おはようございます。お出かけですか?」


 庭の掃き掃除をしていた小六が玄関から出てきたオレの姿を見かけて声をかけてきた。


「あ、まぁ……。ちょっと、気晴らしに散歩でもしてこようと思って」


 あのまま一人で部屋にいると気がおかしくなりそうだったから、あてはなかったけど、とりあえず外に出てみようと思ったんだ。


「よろしければ、村の中をご案内しましょうか?」


 思いがけない小六の申し出にオレは軽く目を見開いた。


「え? でも、仕事中なんじゃ……」

「いいんです。村長から、氷上様の滞在中は氷上様のお世話を優先してするようにと申しつけられていますから」

「そう……なんです、か」


 この村のことはほとんど分からないし、誰かにナビしてもらった方がいいかもな。


 掃除道具を急いで片付けてきた小六と連れ立って、オレは歩き出した。


「氷上様は、お背が高いですよねぇ」


 借り物の着物にわらじ姿のオレを見上げながら小六が言う。対照的に、彼の背はオレの胸辺りくらいまでしかなかった。


「おかげさまで着物がつんつるてんだ」


 そうぼやくオレを見上げ、小六は笑った。


「はは、うらやましいです」


 太陽の下で見る村は、昨夜一人で歩いていた時とはだいぶ違う印象を受けた。道を歩く人がいて、あちらこちらから生活の音がする。人の気配の流れる村は、まるで時代劇のセットの中に迷い込んだような錯覚をオレに起こさせた。


「……昨日も思ったけど、こんな山の中にあるのに、ずいぶんと大きな村なんだなぁ」

「この村は以前、『龍神の谷』への宿場町として栄えていましたから。その名残です。今は人口も減り、半分近くの建物が無人となってしまいましたが……」


 小六の語った耳慣れないキーワードに反応して、オレは首を傾げた。


「龍神の谷……?」

「巨大な滝の流れ込む険しい谷、水龍の住処(すみか)です」

「水、龍……?」

「あの頃は、水龍は水の護り神と崇められ、瑞兆の(しるし)とされていましたから……我々も日々敬い、祈りを捧げていたものです。まさか、こんなことになるとは、当時は思いもよりませんでしたから……」


 オレには何が何だか分からなかったけれど、小六は明らかにオレが何かを知っているという前提で話をしていた。


「―――あの……小六、さん」

「滅相もない、小六とお呼び下さい」

「あの―――じゃあ、小六。あのさ、悪いんだけど、今の話、もう一回詳しく聞かせてもらえないかな? オレ、蒼影牙に突然こっちに呼ばれちまって、詳しい話とか、まだ(なん)にも聞かされてないんだよ」


 口からでまかせを言うと小六は素直そうな瞳を見開いて、そうでしたか、と呟いた。


「そういえば、蒼影牙様は? 今日は朝からお二人でいらっしゃるところをお見かけしておりませんでしたが……」

「さ……さーな、アイツ気紛れだから……。多分、社にでも戻っているんじゃないか?」


 適当にごまかして、オレは話の先を促した。


「それより、教えてくれないか。この村の歴史と、水龍にまつわる話を」


 小六の口から語られたのは、次のようなものだった。








 龍神の谷―――深い緑に抱かれた、古くから霊域として崇められる巨大な滝の流れ込むその谷には、(いにしえ)より水の護り神である水龍が住まうとされ、その加護を得ようと祈りに訪れる者達が後を絶たなかったという。


 そうした中、そういう者達の為の休憩所が出来、宿が出来、やがてそれが発展して、宿場町としてのこの村が誕生したのだった。


 水龍の恩恵の下、絶え間なく訪れる旅人達で村は潤い、次第に栄えていった―――あの時、までは。


 それは、突然の出来事だった。


 彼方から飛来した地龍とこの地に住まう水龍との間で争いが起き、激しい戦闘が巻き起こったのだ。


 天が落ち、大地は裂け、この世の終わりのような光景が広がった。風は叫び、水は怒り、人智を超えた超絶的なチカラの応酬に、人々はただ震え、神に祈ることしか出来なかった。


 いつ果てるともなく繰り広げられたその死闘は、生気を失った地龍の身体が大地に叩きつけられる、という形で幕を閉じた。


 人々は水龍の勝利に喜び、再び訪れるだろう平穏な日々に胸をなで下ろしたのだが、この時既に、異変は始まっていたのだ。


 ―――この戦い以後、水龍は豹変してしまった。


 それまでは決して人の領域には踏み込まず、何かを所望することもなかった水の護り神は、使いを通して公然と贄を要求し、人々の恐怖を煽ることを楽しむようになったのだ。


 そして自らの領域が侵されることを嫌い、その力をもって、この地一帯を辺りから分断してしまった。


 水龍の(かいな)に囚われたこの村は、それから何百年もの間、気の遠くなるような月日をこの閉ざされた地と共に在り続けているのだ。








 何か、とんでもねー話だけど……これって、オレの地域で語り継がれている昔話と一致している。


 龍が実在したなんて、普通に聞いたら失笑モンだけど、オレは―――今のオレには、笑えなかった。


 ケイタの車が暴走するキッカケとなった、地鳴りのような、突風のような、爆発のような―――あの、凄まじい音。そして、車を襲った衝撃波。


 今にして思うと―――あれは、何かの咆哮のようにも聞こえなかったか?


 そして今、自分の置かれている、常軌を逸したこの状況。


 オレ的にはむしろ、そういったモノが関わっていると言われた方が納得出来る。


「氷上様?」


 考え込んでしまったオレの顔を小六が心配そうに覗き込んだ。


「あぁ、いや、悪い」


 オレは少しだけ視線を彷徨わせながら、隣に座っている彼の顔を見た。


「―――その、さ……そんなコトがあったのに、よく無事だったな、この村」

「蒼影牙様のおかげです」

「蒼影牙の?」

「はい。蒼影牙様の結界のおかげで、あの戦いの時、この村は壊滅を免れることが出来ました。今この時も、蒼影牙様はそのお力で、この村を水龍の脅威から護って下さっているんです」


 オレは蒼影牙を祀る奇妙な社の位置を思い出した。


 目には見えないが、この村を今も蒼影牙の結界が覆っているのだ。


 それにしても―――蒼影牙って、いったい何なんだ?


 蒼影牙の客人であるという立場上、まさかそれを聞くわけにもいかず、オレは言葉を選びながら遠まわしに小六に尋ねた。


「蒼影牙は……いつからこの村に?」

「龍神達の争いが起こる、少し前です。水の巫女が、何処(いずこ)からかこの村に持ち帰ったのです」

「水の巫女?」

「はい。残念ながら、もうお亡くなりになりましたが……」


 そう語った小六の素朴な顔立ちが、少しだけ翳りを帯びた。


「……まぁ、何百年も前の話なんだろ? そりゃそうだろうけどさ……」

「……いいえ、氷上様」


 小六は神妙な顔をして、真っ直ぐにオレを見た。その瞳を見たオレは何故か冷たい予感を覚えて、ドクン、と心臓が波打つのを感じた。


「龍神達の戦いの後―――外界から分断された(ひずみ)によるものなのか、水龍の仕業なのかは分かりませんが、オラ達の時間(とき)は止まってしまいました。成長はしますが、老化はしなくなってしまったんです。赤ん坊は生まれますが、二十歳(はたち)前後で成長が止まり、そこからは老化しません。元からの老人はいつまで経っても死にません。オラはこんな外見ですが、龍神達の戦いをこの目で見ました。もう、何百年も生きているんです」


 オレは、文字通り言葉を失って―――目の前の、人の良さそうな青年の顔を見つめた。


 ウソ、だろ……?


 冗談、キツいぜ……。


 冗談―――……冗談じゃ、ないんだよな……。


「―――はぁ……」


 オレは両手で顔を覆って、深く深く―――息を、吐き出した。


 マジ、キチい……。


 頭がおかしくなりそうだ。


 今のオレを取り巻く状況もかなりヒドいと思うんだけど……小六の話を聞いた後だと、それが何だかちっぽけなことにさえ思えてくる。


「じゃあ小六は、オレよりもめちゃくちゃ年上なんだな……」


 ようやくそれだけを言うと、彼はほろ苦く微笑んで頷いた。


「えぇ、まぁ……。とてもそうは見えないでしょうけれど……」


 年を取らない、ってコトは、老衰で死ねない、ってコトだよな。


 自分で命を絶ったりしない限りは、永遠にこの悪夢のような状況から抜け出せない、ってコトだよな。


「怖く……ないのか……?」


 愚問だ、とは思いつつも、尋ねずにはいられなかった。


「怖い……ですよ……」


 ぐっと拳を握りしめて、小六はそう呟いた。


「水龍は気紛れで、思い出したように生贄を所望します。例え所望していない時でも、結界の外へ出た瞬間に襲われることもあります。ずっと村の中に―――結界の中にいられればいいんでしょうけど、生きる為には食べなくてはいけません。田んぼで賄える米の量は限られていますし、家畜の数にも限りがあります。生きていく為には―――村の外へ、出ざるを得ません」


 それを聞いて初めて、オレは昨日のもてなしがどれほど贅沢なことだったのかを知った。そして、村人達の蒼影牙に対するあれほどの崇敬の意味を。


「村中が、おかしくなった時もありましたよ。今は皆、どうにか正気を保っていますけど……。いつ訪れるか分からない死の影には、どれほどの時が経っても慣れることが出来ません……。恐ろしい、です……」

「―――そうだよな……当たり前、だよな。ゴメン……」


 そんなことを聞いてしまった自分に、マジヘコむ……。デリカシーなさすぎだ……。


「サチー!」


 その時、切迫した女性の声を耳にして、うつむいていたオレ達は顔を上げた。


「サチ! サチー! どこにいるの!?」


 青ざめた表情でせわしなく周囲を見渡しながら叫んでいる、三十歳前後の女性。その女性に小六が立ち上がって声をかけた。


「おタキさん! そんなに大声を出して、どうしたんだい?」

「あっ……村長のとこの、小六さん。うちのサチを見かけなかったかい!?」

「いいや、見かけていないけど……何かあったのかい?」


 おタキと呼ばれたその女性は、瞳にうっすらと涙を浮かべてこう言った。


「家の前で、一人で遊んでいたはずなんだ。家事の合間にちょくちょく目をやるようにはしていたんだけど、ふとした隙に姿が見えなくなってしまっていて……どこを探しても、見つからないんだよ」

「本当かい? じゃあ、みんなにもお願いして、手分けして探してもらおう」

「―――あの子、最近、村のお外には何があるのって、興味津々だったから……。もし、外に出てしまっていたらどうしよう……」

「まだ、そうと決まったわけじゃないだろう? まずは、もう一度探してみよう」


 顔を覆って泣き出してしまった彼女に歩み寄りながら、小六がそう言い聞かせる。


「……そのサチって、どんな子?」


 オレがそう尋ねると小六はこちらを振り返りながらこう説明した。


「今年六歳になる女の子で、目鼻立ちはおタキさんにそっくりです。活発な子で……」

「橙色の着物を着ています。髪の毛はおかっぱで……」

「そっか。じゃあ、とりあえず探してみよう」


 オレ達はそれぞれ手分けして、そのサチという子を探すことにした。


 あんな話を聞いたばかりだ、村の外へ出てねぇといいんだけどな……。


 井戸の近くや路地裏、物陰なんかを覗きながら探し回ってみるけれど、橙色の着物を着た女の子の姿はどこにも見当たらない。


 そうこうしているうちにオレは村の外れまで来てしまった。


「こっち方面には、来てねぇのかな……」


 呟きながら辺りを見回すオレの耳に、幼女の名を呼ぶ村人達の声が村のあちらこちらから聞こえてくる。


 くそ、どこにいるんだ? 本当に村の外へ出ちまったのか?


 ―――アイツ……アオに聞けば、分かったりしねーかな……。


 得体が知れないヤツだけど、物の怪だし、人間よりは鼻が利くかもしれない。


 けれど、そのアオが今どこにいるのかもオレには分からなかった。


 少なくとも社に行けばアイツの尻尾が蒼影牙に絡んでいるはずだから、そこに行けば間違いないか。


 (きびす)を返して社へと向かいながら、オレはぶつくさと文句を垂れた。


「ったく、アオのヤロー……手間かけさせやがって」

「―――今日は私の顔を見たくないのではなかったのか?」


 背後から突然響いたその声に、オレはぎょっとして振り返った。


「ア、アオ……!? お前、何でここに……!」

「自分で呼んでおきながらその言い草……頭にくるヤツだ」


 宙に浮かんだ蒼い物の怪がムッとした表情も露わに、猫のような目を細める。


「呼んだ!? オレが……!?」

「呼んだだろう。お前の声が聞こえた」


 ぽかーんとしているオレを見て、アオは事情を察したらしい。改めてこう説明した。


「今の私とお前は、ある意味繋がっているからな。離れていても、例えお前が口に出さずに呼んだとしても、私にはお前の声が聞こえるんだ」


 その言葉の意味するところに、オレは一時(いっとき)忘れかけていた不快感を思い出して口元を歪めた。


「オレはお前の支配下に置かれちまってるからな。逃げ出そうとしようモンなら、それを察していつでも殺せるってワケだ」


 皮肉たっぷりのオレの口調に、アオを取り巻く空気が剣呑な気配を帯びる。


「ケンカを売りに私を呼び出したのか、お前は」


 あ、いけね。今はそれどころじゃないんだった。


 オレは冷静さを取り戻しつつ、多少の気まずさを覚えながら渋々とアオに事情を語った。


「……村の子供が、行方不明なんだよ。母親は、村の外に出ちまったんじゃないかって心配してる。……お前なら、何か分かるかもしれないと思ってさ」

「……そういえば、村が騒がしいな」


 蒼い炎のように揺らめく三角の耳を動かして、アオは村の方角を見やった。


「おタキっていう人の子供で、六歳になる女の子らしい。名前はサチ。何か分かるか?」

「おタキの娘……サチ。あの元気な童女か……」


 意外にも、アオは当事者のサチを知っていたようだった。


「知ってるのか?」

「社に、母親とよく訪れていた。蒼影牙の側で深い眠りについていた私にも、その元気な声は聞こえてきていた……」


 アオはそう言って耳をそばだてると、何かに集中するかのように瞳を閉じた。


「……村の中にはいないようだな。そこの小道を通り、外へ出たようだ」

「! マジか!?」

「残存する気配からして、それほど前のことではない。まだ、村の近くにいるだろう」

「このすぐ近くにいるんだな」


 そう言って小道へ駆け出したオレを見て、アオが驚いたような声を上げた。


「! おい、彪! お前が行くことはないだろう! 誰か村の者に知らせて……!」

「オレが一番近くにいるだろ! 手遅れになったらどうすんだ!」

「私は村から出れんのだぞ!」

「オレとお前はある意味繋がってんだろ! もしもの時は何とかして護れ!」

「なッ……」


 絶句するアオを背にして、オレは小道を駆け抜け村の外へと出た。


「バッ、バカがっ!」


 背後からがなるアオの声が聞こえる。


 村に入った時とは違って、ピリッとしたあの衝撃は感じなかった。


 きっと、アオと繋がっているからだ―――そう、オレは解釈した。


 あれは多分、村を護る蒼影牙の結界だったに違いない。長い間蒼影牙と共に在ったアオの支配下に置かれてしまったことで、オレはすんなりと蒼影牙の結界を抜けられるようになったのだ。……多分。


 正直、オレは村の外に出ることをそれほど怖いとは思わなかった。


 今まで散々外を歩いてこの村にたどり着いたワケだし、それにオレ的には見たこともない水龍よりも身近な存在の狼の方が断然怖かった。


 その恐怖がないワケじゃなかったけど、すぐ近くに村があると思えば心持ち安心だし、まぁ何とかなるかなって思える。


「サチー! おい、どこにいるんだー?」


 行方不明の子供の名前を呼びながら歩くオレの耳に、サラサラと水の流れる音が聞こえてきた。


 近くに川があるのか……?


 村の小道からほぼ真っ直ぐの方角だ。オレはそちらへ向かって歩き出した。


 少し歩いて行くと、すぐにささやかな小川の流れが見えてきた。


 太陽の光を反射して煌くその小川で、川べりに座った橙色の着物を着た小さな女の子が、無邪気に足をパチャパチャさせて水の感触を楽しんでいる。


「―――サチ……?」


 後ろからそう声をかけると、振り返ったおかっぱ頭のその女の子は不思議そうな顔をして、見慣れない顔のオレを見上げた。


「……お兄ちゃん、誰?」

「オレは、彪。お母さんに頼まれてサチを探しに来たんだよ」

「おっかあに?」

「そう。帰ろう、お母さん心配していたぞ」


 そう言うと、サチは川の方に向き直って、再び足をパチャパチャさせながら首を横に振った。


「やだ! まだ遊びたい」

「あのな……みんな、心配してるんだぞ」


 顔をしかめながら彼女の隣に腰を下ろすと、サチは小さな頬を膨らませて口を尖らせた。


「だって、お水がこんなふうになってるの、初めて見たんだもん。お外に出たの、初めてなんだもん」

「……六歳になるんだっけ? 生まれてからずっとあの村の中にいるんだもんな。サチがそう思うのも分かる気がするよ」


 まだ事情も良く分からない小さな子供にとって、それは多分、とても窮屈で退屈なことなのに違いない。


「……でもな、お母さん心配して泣いていたぞ」

「え……?」


 それを聞いたサチは初めて動揺を見せた。


「おっかあが……?」


 母親が泣いていると聞かされて、彼女はようやく自分が悪いことをしたという気になったらしい。


 ぐしゅ、と泣き顔になって、縋るようにオレを見つめてきた。


「お……怒られる、かなぁ……?」

「まぁ、怒られるだろうな……でもそれはお前のコト心配してるから怒るんだぜ」

「怒られるの、サチ、やだよ……」

「大丈夫だよ。今回はオレが一緒に怒られてやっから」

「ホント……?」


 えぐえぐと泣きながら見上げてくるサチに、オレはちょっと微笑みかけた。


「あぁ、ホントだ。だから帰ろう。その前に川の水で顔を洗ってから帰ろうな。スゴい顔してんぞ、お前」


 ごしごしと手で涙を拭きながらサチは頷いて、素直に川の水で顔を洗いだした。


 そんな彼女の様子を眺めながらふと川の流れに目を落としたオレは、不意に那由良のことを思い出した。


 まるで静かな清流のようだった、彼女のあの眼差し……。


 ―――那由良は……オレがもう、元の場所に戻れたと……そう、思っているんだろうな。


 まさかこんなコトになって、まだこの地にいるなんて……思ってもいないに違いない。


 今頃……彼女は何をしているんだろう?


 オレは小川の透明な水にそっと手を差し入れ、白い着物を着た少女のことを想った。


 ―――那由良……。


 その瞬間―――川の水面がその色を変え、ぼんやりとした何か異質なものをそこに浮かび上がらせて、その現象にオレは自分の目を疑った。


 え……!?


 水面に浮かび上がったそれは、どこかの風景のようだった。白いものに覆われてぼんやりとしたその景色の中に、何かが動いているのが見える。目を凝らすとそれが人であることが分かった。


 清らかな水に腰の辺りまで浸かった少女が、沐浴をしていた。水に濡れた長い黒髪が白い肌に纏わりついて、均整の取れたその肢体をぼんやりと滲んだ風景の中に映し出している。


 その顔に、見覚えがあった。


 ―――那由良!?


 そう意識した瞬間に映像の鮮明度が上がり、その人物がより大きくクローズアップされた。


 水の中の少女がふと顔を上げて、こちらを見る。


『―――彪……?』


「彪、どうしたの?」


 耳元で響いたサチの声にハッと我に返って、オレは水面から手を引き抜いた。パシャン、と音を立てて映像が途切れ、川が元の姿を取り戻していく。


「お顔、洗ったよ。帰ろうよ」

「―――あ、あぁ……。そうだ、な……」


 サチには、何も見えていなかったらしい。


 何だったんだ……今の?


 動揺を押し隠して小さな少女の手を取りながら、オレはもう一度、川の流れに視線を戻した。


 そこにはただ、心地良い音を奏でるささやかな清流があるだけだった。







 村に戻ると、村人達が総出でオレ達の帰りを待ちわびていた。


「サチー!」


 オレに手を引かれた娘の姿を見て、泣きながらおタキが駆け寄ってくる。


「おっかあ!」


 それを見たサチも両手を広げて母親の胸に飛び込んでいった。


 ひしと抱き合って娘の無事を確認した後、おタキは涙目でその手を振り上げた。


「バカ! 村の外に出ちゃいけないって、あれほど言っていただろ!」


 ビクリとして目をつぶるサチ。オレは慌てておタキの手を掴んだ。


「ま、待った! オレ、サチと一緒に怒られてやるって約束したんだ。あんたを心配させたってコイツ反省しているし、その、今回だけはぶたないでやってもらえないかな……」

「彪……」


 サチがホッとした笑顔を漏らす。


「かばってやるのは今回だけだからな」


 オレがそう釘を刺すとサチは頷いて、もう絶対に一人で村の外に出たりしないと約束した。


「氷上様……」


 おタキは涙に濡れた瞳でオレを見上げると、突然ガバッと地に額をこすりつけた。


「も……申し訳ございませんでした! 貴方様が蒼影牙様のお客人とも知らず、とんだご迷惑を……!」

「え」


 驚いて固まるオレの前で、土下座するおタキの隣に進み出てきた村長が同じように地に額をこすりつけた。


「氷上様、申し訳ございません! 蒼影牙様のお客人である貴方様に、このような危険な役目を担わせてしまいまして……! 全ては、村長であるこの私めの責任。二度とこのようなことがないよう、小六にもきつく申しつけておきますから、どうぞご勘弁を……!」

「え……ちょ、ちょっと待って下さい……」


 何だか大げさなことになってしまっている事態にオレは目を丸くして、慌てて村長達を押しとどめた。


「村の外へはオレが勝手に出ただけで……小六にもおタキさんにも、責任はありませんよ」


 あせりながら周囲に視線を走らせたオレは、不機嫌な面持ちで宙に浮かぶアオの姿を見つけ出し、蒼い妖に無理矢理同意を求めた。


「な!」

「……バカタレが」


 舌打ち混じりの溜め息を吐き出し、苦々しい顔でアオは村人達に言った。


「私の制止も聞かず、勝手に飛び出して行ったのはコイツだ。誰が悪いということもない」


 それを聞いた村人達の間から、盛大に安堵の声が広がった。


「氷上様……」


 村長の後ろでかしこまっていた小六がうっすらと涙を浮かべてオレを見上げる。


「……何か、悪かったな。オレのせいでこんな大げさなコトになっちまって……」

「いいえ……いいえ、氷上様」

「まったく人騒がせなヤツだ。これに懲りて、二度とこんな行動を取らぬようにするんだな」


 偉そうな態度で説教じみた台詞を吐くアオ。オレは表面上はそれを穏やかに受け止めながら、心の中では舌を突き出していた。


 それが伝わったらしく、アオがピクリと片頬を引きつらせる。


 オレは素知らぬふりで村人達と会話を交わしながら、内心こっそりとこう呟いていた。


 ちょっとは感謝してやるけど、こんなモンでオレが大人しくお前の思い通りになるなんて思うなよ。








 その日の夜―――汗を拭きたいから、という理由で客間に温泉の水を汲んだタライを運んでもらったオレは、それを見つめながら昼間のあの光景を思い返していた。


 小川の水面に浮かび上がった、あの不思議な映像―――あれは、確かに那由良だった……。


 彼女がオレの名前を呼ぶ声も、確かに聞こえた。


 何故あんな現象が起こったのか……思い当たるのは、アオのことしかなかった。


 オレの体内の『水』を支配下に置いたとアイツは言っていた。それがごくごく普通の人間でしかないオレに何らかの影響を与え、あの現象を引き起こしたのだとしか考えられない。


 那由良を想ったあの時、オレは川の水に触れていた。そして、沐浴していた彼女の映像が水面に映し出されたのだ。


 オレも那由良も、偶然水に触れていた。


 キーワードは……多分、『水』だ。


 オレはゴクリと息を飲んで、タライの中の水に手を差し入れ、彼女のことを想った。


 那由良……。


 たった一日だけを共に過ごした、白い着物を着た少女。もう二度と会うことはないと思っていた、人外の少女。


 なのに、彼女の映像を見た瞬間、会いたい、という想いが胸の底から込み上げてきて、その熱が爆発的に高まっていく自分をオレは感じていた。


 それは、この異常な状況下、初めて接した相手が彼女だったからなのか―――この閉ざされた世界から自分を解き放つ鍵を持つ、ただ一人の存在が彼女だからなのか。


 分からない……分からないけど。


 ただ、無性に。


 ―――会いたい。


 そう思った。


 ―――もう一度、那由良に会いたい!


 それはこれまで感じたことのない、胸が焦げつくような、切なる願い。


 けれど、どれほど強く想っても、タライの中の水に変化が現れることはなかった。


 ダメ……か……。


 オレはひとつ吐息をついて、ガックリと肩を落とした。


 那由良が水に触れていないからなのか……それとも、蒼影牙の結界の中だからなのか。


 あるいは、あの川じゃないとダメなのか?


「―――何をしている?」


 唐突に頭上から降ってきたアオの声に、オレはビクッと身体を震わせた。


「な、何だよ突然!」


 あせって振り仰いだオレを見下ろし、蒼い物の怪は探るような表情を見せた。


「何をビクついている」

「お前が突然現れるからだろ!」

「そう大声を出すほどのことではないだろう。何をムキになっている」

「別に……。何しに来たんだよ」


 仏頂面になりながらそう言うと、アオはするりと音もなく畳の上に降り立った。


「フン……まぁいい。お前の気がまだ変わらないのか、確かめに来たんだ」

「たった一日で変わるかっっ」


 即行でツッコむと、アオはうんざりした顔でオレを見上げた。


「お子様なヤツだな。考えてもみろ……お前が素直に洗いざらい話せば、私もこんな強硬手段に出なくて済んだのだぞ」

「オレだって、お前がどういうヤツなのかさえ分かれば、お前がどういう目的で、どういう事情があって蒼影牙の側にいるのか、それさえ分かれば、納得して洗いざらい話したかもしれないさ。けどな、それが分からない以上、話した後でお前がどういう行動に出るか分からない以上、話せるワケねーだろう!」


 昨日と同じ様相を呈する展開に、アオはイラッとした様子で前足を畳に叩きつけた。


「好きで記憶を失っているワケではないんだぞ、それを思い出す為の手掛かりをお前に求めていると、何回言わせれば分かるんだ!」

「だからなー!」


 ったくなー……まーた堂々巡りだ、コレ。


 心の底からげんなりしながら、オレは鼻息を荒くする蒼い物の怪に尋ねた。


「逆に、お前が自分のコトで分かっているコトって何なんだよ……」

「ふむ……見た目が非常に可愛らしく、村の中であれば瞬時に移動出来、水を操るチカラを持つが、蒼影牙からはどういうワケか離れられない、といったところだな」

「……可愛らしい、ね」


 それに―――水を操るチカラ、か……。人の体内に限らず、水であれば何でも干渉出来るってコトだろうな。


 やっぱり、小川でのあの出来事はコイツによるところが大きそうだ。


「そして―――私には、何か大切な目的があったはずなのだということ……。それには蒼影牙が関係していて、その為に永い間それを抜く者を、蒼影牙の側で待ち続けているのだということ……」


 心持ち瞳を伏せて黙したアオ。その表情には何とも言えないやるせなさが滲んでいたが、オレはあえてそれに気付かないふりをした。


 オレには、オレの事情があるんだ。同情なんかしないからな。


「……蒼影牙のコトは知っているのか? そもそも、蒼影牙……って何なんだ? 小六の話だと、水の巫女がどこからか持ってきたものだとか何とか……」

「さぁな……いつから共に在るのかも分からん刀だ。だが、アレからは不思議な波動を感じる……。村の連中にとっては護り神であり、命綱であると同時に、生き地獄に縛り続ける楔でもあると言える。皮肉な運命を負った刀だ……。だが蒼影牙は、連中の心の闇を救う救済の役を担う側面も持っている」


 オレはその意外な言葉に驚いた。


「心の闇……?」

「社にいると、毎日のように悔悟の声が聞こえてくる。己の罪に打ち震え、慙愧の念に耐えかねる、心弱き人間達のな……」

「どういう、ことだ……?」

「広義の意味で罪を犯さぬ者などいない。だが、ある一線を超えてしまった者達はいる。それを悔いるか捨て置くかはそれぞれの資質だろうが、前者の場合は、その罪の意識に耐えかねる者が多い。一人ではその闇を抱えきれず、吐露する先を求めるのだ……」


 アオはそう言って、社の方角を見やった。


「そういう者達は『神』である蒼影牙に縋り、己の罪を打ち明け、悔い、赦しを乞うた。そうすることで、己の魂を救おうとしたのだ。

護り神であり、命綱であり、地獄の楔であり、救済の役をも担う。蒼影牙は、とてつもなく重いモノを背負った、そういう刀なのだ」


 淡々とアオの口から語られたその内容は、何だかとても怖いことであるような気がした。


 この村の人々の全ての拠りどころ―――そう言っても過言ではない、一振りの刀。村人達の全てとも言えるその刀を抜いてしまう者を、アオは待ち続けているのか。


 それがどういう意味を持つのか、知っていながら―――。


「この村の人達は……昔、何か、罪を犯したっていうのか」

「言っただろう……広義の意味で罪を犯さぬ者など、いないのだと」


 諭すようなその口調にオレは何となく気圧されて、それ以上問い重ねることが出来なかった。


 那由良に会いたい―――その想いだけが、胸の中でますます募る。


『この地を守護する者』である彼女は、この地の全てを知っているんだろうか。


『生きて帰りたいんなら、余計な詮索はしない方がいいよ。知ってしまったら、後戻り出来ないこともあるんだからね』


 そう語っていた、那由良。


 オレは―――もしかしたら、今、ギリギリのところにいるのかもしれない。

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