追跡のウォースピリット
3
冷凍睡眠室――。
キリカたちが去ってから数十分後。
静寂に支配された部屋の中に異変が起きた。
黒く微かに紫がかった霧のようなものが、至る所に渦巻き始めたのだ。ごく小規模な竜巻を連想させるそれは、徐々に回転を速くしていき、やがて風を切り裂くような籠った音を響かせた。
空気を振動させ、部屋全体を覆いだし、隅々までいきわたった黒紫の霧は、ある一定の密度に達すると同時に、一気に消え去った。
そして部屋に現れたのは、一人の男と数十体の機械だった。男は黒いライダースーツを身に纏い、黒のフルフェイスヘルメットを被っている。その周りにいる機械たちは、背中を大きく前方に曲げた格好をしていて、見た目はまるで猿のようだった。しかし、鉄でできた骨格と血管のような配線がむき出しで組み合わさっており、紛れもない人工物だということが見て取れる。また、それとは別のデザインをした機械も出現しており、それぞれ鳥と狼をモチーフにしているようだった。
二足歩行の猿、四足歩行の狼、空を飛ぶ鳥。それぞれの体長は、猿が約一メートル、狼が約三メートル、鳥が約五十センチメートルほどだった。それらは実際の生き物同様に顔面が形作られており、その口から獣特有の低い唸り声を出していた。
男はそういった状況の中心から、まもなく歩きはじめる。
ゆっくり歩を進めながら、傍らにある冷凍睡眠用のカプセルを一つずつチェックしていく。
すると、睡眠希望期間三十年以上の人間たちの区画で、ひとつだけ状態表示が『覚醒済』になっているものがあった。名前の表記は『矢武崎結衣』。
男は小首を傾げながら、近くにあるほかのカプセルに目を向ける。状態表示はいずれも『睡眠中』であった。
おかしさを感じながらも、ひとまず彼はすべてのカプセルをひとつひとつ確認しながら歩いていった。
最長の睡眠希望期間は六十六年。もれなく三十年以上のカプセルは、『矢武崎結衣』を除いて、すべてが『睡眠中』だった。
これはどういうことか――。
決まっている。この人間を勝手に解凍させてここから連れ出した者がいる。
男は部屋の出入口に目を向けた。出入口の扉は開いていた。それは完全に、『矢武崎結衣』がここから出ていったことを示している。
さて、問題はいつ出ていったか、だが。
関係ない。もしついさっきの出来事ならば、この建物内にまだいるはずだ。一応探して、いなかったらそれまでのことだ。正直に報告して報酬をもらえばいい。
男は身体から黒紫の霧を発生させた。その体積はすぐに自分自身の身体を覆うほどになり、さらに増えていって、部屋の半分を占めるまでになった。そしてその霧は、屋内の機械たちの一体一体にまとわりついていき、彼らの身体に定着していった。
そう、報酬は妥協しない。提示されたすべてを受け取る。なにせ今回の依頼は『冷凍睡眠室にいる人間の抹殺』だからだ。それを冷凍睡眠室からシェルター内にまで、範囲を拡大してやるのだから、ちょっとしたサービスという解釈もあり得るだろう。
男は、霧を纏っている機械たちに頭の中で命令した。半分には、『睡眠中』の人間の排除を。もう半分には『矢武崎結衣』(このシェルター内にいる人間)の捜索を。
男が顎で出入口を指すと同時に、機械たちは一斉に動き始めた。捜索を命令した機械たちは勢いよく、部屋を出ていき、残った機械たちはそれぞれ、近くにあるカプセルに張り付き、数体がかりで透明なガラスを破壊する。それから中の『睡眠中』の人間を床に引きずり出して、各々の自慢の鉄牙で、肉食動物のように、仮死状態の肉を漁っていく。
人間たちはどす黒い血を噴出しながら、何回か陸に打ち上げられた魚のようにびくんびくんと跳ね上がって、幾度か痙攣しながら機械たちに食われていった。
だが、食われると言っても相手は機械である。消化する機能など搭載されていないし、ましてや胃袋なんてものも存在しない。だから必然的に食された肉や臓物などは床に無造作に散乱する。
機械である彼らは、それぞれの原型となっている動物の捕食行為を真似しているにすぎないのだ。
男はその様子を見て、汚いな、と思うだけであった。