冷凍保存
罅だらけの巨大ディスプレイに、まるで模型のような立体の地図が表示された。
「マップを手に入れマシタ」ニムが言った。
消費弾薬数――百。
破壊目標数――九十九。
キリカはゴーグルに表示された結果を見て、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
右の扉近くに、弾丸を受けながらも、なお移動を続けようとする一体のK9の姿があった。
「ニム、携帯捕縛機」
キリカの言葉を受け、ニムの背中から、四角形の黒い台座に手のひらサイズの半球が乗った物体が出て来た。
キリカはその物体をハンドガンの銃先に取り付けた。ハンドガンの上に『EMP』という青文字が浮かび上がる。
彼女はそれを、仕留めそこなったK9に向けて放った。半球は目標にくっつくと、赤く輝いた。瞬く間にK9は活動を停止させられた。
「いつも思うんだが」キリカが口を開く。「この弾道補正システム、プログラムに不備がないか? いつやっても最後の一体を仕留めそこなうんだが」
「不備はありマセン。それは使用者の射撃を補助する役目を担っているに過ぎマセン。試作段階での自律機械による使用では平均で八十〇・二%の命中率デス。誇るべき数値デス」
「人間が使った場合の命中率は?」
「七十七・八%から九十九・八%で推移しマス。ヒトの場合は経験からくる無意識的直感が働きマス。広い範囲での数値を浮動することになりマス」
「なるほど。勘をたよりに撃つことも必要というわけだ」
何でも機械任せにしてはいけない、か。
キリカはゴーグルを小突くと、仕留めそこねた敵の近くに歩み寄り、それを抱えた。
「これも貴重な遺物の一つだ。持って帰る」
ニムの背中に押し込むように入れていく。貴重な遺物は、入り口ギリギリの大きさではあったものの、何とか収納することができた。
結果として、コレクションが増えたのは良かったというべきか。しかし、名も知らぬ侵入者のせいで余計な手間がかかったという事実は到底許すことなどできない。
もし会ったら一発ぶん殴ってやるとキリカは心に決めた。
「よし、じゃあ冷凍睡眠室に行くぞ。場所をマークしてくれ」
マップ情報を手に入れたニムから、目的地までの道順がゴーグルに送られてきた。地面に線が引かれ、それは冷凍睡眠室に続いていた。
「K9と円盤型偵察機が徘徊するルート情報も手に入れマシタ。これにより、近くにいる警備用ロボットの存在を感知することができマス。速やかな排除、あるいは回避が可能デス」
「了解」
キリカとニムは管理ルームを出て、線を頼りに進んでいった。
ニムの言う通り、曲がり角の先や壁の向こうにいる、通常視認できない敵がゴーグル越しに赤い影として表示された。キリカは回避できそうなものは回避し、やむを得ない場合は、こちらに気づかれる前に迅速に始末していった。
やがて、管理ルームの入り口と同じ形をした銀色の扉が現れた。キリカはIDカードを使って扉を開ける。
部屋の中には、人一人がちょうど入れそうな灰色のカプセルが地面に横たわるように何個も設置されており、奥の方に向けて四列横隊を形作っていた。
キリカとニムは手分けしてそのカプセルを一つずつ確認していった。
カプセルは上面の中央が透明なガラスで作られており、内部を覗くことのできる構造になっていた。中には何もなない。
カプセルの横に設置された小さな液晶に、次のように文字が表示されている。
氏名――古賀真理
性別――女。
年齢――四十五歳。
睡眠希望期間――五年。
状態――覚醒済。
冷凍睡眠は次のようなフローで成り立っていた。依頼者は眠った後、希望する期間分眠りつづけ、期間が終了すると同時に、カプセルは自動で鼻孔へ吸入している冷却材の流れを停止し、睡眠者を覚醒させる。また、何か想定外の事態が発生した場合(システムの維持が困難な自然災害や人災など)、期間内であれ、誰か外部の者が解凍処理を行うことも同意書の中に明記されていた。
ただ、約三%の確率で失敗を引き起こしてしまい、不慮の事故という形で睡眠者の命を奪ってしまう危険性をはらんでいて、安全性が百パーセント確立された技術ではなかった。だがたとえそうだとしても、利用するだけの価値と理由があった。
これは違う、とキリカは次のカプセルを確認しに行った。彼女が探している人間の名前と年齢ではなかった。
それからしばらくの間、冷凍睡眠を望んだ者たちの覚醒済という末路を何度も目の当たりにすることとなった。軽微な確率で配られる死亡届を受け取った不運な当選者はいまのところ存在しなかった。しかし、それが不幸だと断言するのは早計である。
現在確認中の区画にあるカプセルの睡眠希望期間は、五から十年の間で決定されていた。ここに眠った者たちは皆、戦前にカプセルに入った人間たちだ。その年数で戦争が終わり、以前の住みよい環境が再興されると踏んでいたんだろうが、残念ながらその読みは外れた。戦争の過酷さから逃れて生きようとした彼らの考えはもろくも砕け散ったのだ。覚醒し、カプセルから出た後の世界は、予想とは全く違うさぞ悲惨なものだったことだろう。穏やかに死ねた方がまだましだったのかもしれない。
キリカはぼんやりとそんなことを考えた。
すると直後、確認作業を続ける彼女におかしな現実が直面した。
睡眠希望期間が二十年を越えた人間たちが眠っている区画に、足を踏み入れた時である。彼らの状態表示に、尽く、『死亡』という二文字が刻まれていたのだ。
カプセルの中には、布のような素材でできた白色の袋が置かれており、十中八九人間が入っていた。
はて、とキリカは思った。なぜ、死亡率は約3%のはずなのに睡眠希望期間二十年以上の者たちは皆、百パーセントの確率で死んでいるのだろうか。
そしてこの瞬間、今回の依頼内容を聞いてから、かねてより不思議に思っていたこと、すなわち、なぜ、このシェルターからの撤退時に、現在自分たちが探している当該人物は、解凍されて一緒に連れていってもらえなかったのか、という点について、その疑問の文脈が、『現在自分たちが探している当該人物』から『ここに眠っている人間たち』に置き変わった。
問いに対する答えを思いめぐらせながら歩を進めると、今度は三十年以上の睡眠希望期間で、状態がまだ『睡眠中』の眠り人に次々と出くわすこととなった。
キリカは思考を置いておいて、ひとまず安心した。死亡届を受け取った人間の行列は、とりあえずここで途切れている。願わくば、このまま目的の場所まで死者が現れないといいのだが。
と、同時に彼女にひとつの推理が浮かんだ。死亡状態になっているのは睡眠希望期間が二十年台の人間たちだけで、三十年以上の者たちは未だ眠り続けている。ということは、恐らくこのシェルターが放棄されてから、約十年の月日が経過していて、シェルターの撤退時に冷凍睡眠中だった人間たちは解凍処理されなかったのだ。
もしかして、睡眠希望期間内に外部から解凍処理されなければ蘇ることができなかった……?
何か、通常の冷凍睡眠のフローとは根本的に違うものをキリカは感じた。
そしてそのことは当然ここにいた人たち、少なくとも職員は知っていたはずだ。ならばなぜ知っていながら、死を待つだけの人たちを解凍しなかったのか?
答えは今回の任務が物語っている。すべては依頼主が持つ後ろめたさ、負の過去。詳しい事情は聞かなかったが、大体そんなことが起因してるのだろう。
つまり、このシェルターはただの避難場所としてだけではなく、何か別の役割を担っていたのだ。そしてそれは、胸の奥にしまっておきたい秘密、振り返りたくもない思い出なのだろう。
そういった事情による非人権的都合が、未解凍の人間たちを置き去りにし、本来3%ほどであるはずの死亡確率を絶対に回避できないものにしたのだ。
――まあ、あまり自分には関係のないことだが。
キリカはそう思いながら、目当ての人間を探した。
いくばくもなく、その時は訪れる。
「居た」
キリカは呟き、小さな画面を注視した。
氏名――矢武崎結衣。
性別――女。
年齢――十六歳。
睡眠希望期間――五十年。
状態――睡眠中。
キリカはすぐにニムを呼んだ。
ニムは手のひらからジャックを出し、管理ルームと同じようにカプセル内部のシステムに侵入した。「これから解凍作業に入りマス。プロトコル19に従い、作業時の干渉を禁じマス」
はいよ、とキリカは答え、あたりを見渡した。おびただしい数のカプセル群が、ただ静かにそこにあった。
彼女は一つ大きな息をはき、ゴーグルを外して、少しだけストレッチをした。3%の確率で死……。彼女は祈った。
少しして、「完了しマシタ」というニムの声が聞こえた。
「成功デス」
よし。とりあえず第一段階はクリアした。
キリカは安堵の息を漏らした。ここまで来ておいて、もし失敗だったら、労力が無駄に費やされたに過ぎない結果になるところであった。遺物をいくつも見つけられたことに関しては、実りのある収穫だったと言えなくもないが、決死の思いと天秤にかけるまでもなく、均衡を保つほどの満足感に達し得ないことは明らかだった。
が、一応は天秤に乗せる準備が整ったというべきか。ただ、本番はこれからだ。キリカはなすべきことを頭の中で反復した。
矢武崎結衣をここから連れ出し、保護する。そして依頼人に合わせる。そのためにはこの都市を脱出しないといけない。
キリカは開いたカプセルに置かれた、白い袋のジッパーを引いた。
色白の肌に黒色のショートボブ。瞼を閉じている矢武崎結衣と対面した。