【2】
「ねぇ、ユカも聞いてくれよ!今朝みた夢がどうしても気になってさぁ」
歩いていく視線の先には、街路樹の木の葉が風に揺れていて、ときおり、なんらかの紋様や顔のように見えた。三つの影法師が重なったり、離れたり、大きくなったりしている。
「朝、ヒロキと盛り上がってたものね!どんな夢だったの?」
今年で14歳になるユカは、これまでにないワタルの胸の高鳴りを感じとり、その瞳の無辜なる輝きに、吸い込まれるようだった。
「そう…、白い光に包まれているきれいな草原に僕はいたんだ。とても大きくて、澄んでいて、気持ちよかった!気づけば、僕は宙に浮いていたんだ。その夢の中で僕は自由自在に動くことが出来た。しかも、不思議なことに、現実の何倍よりも感覚が鋭くなっているんだよ」
ヒロキは再び、夢の真相について想いを馳せながら、ワタルの声に耳を傾けた。何故だか、三人だけで話しをしているのに、どこか遠くにも響いているように感じた。
「それから、しばらくその草原で、一人じゃれていたり、戯れていると、ある方向から虹色の光がやってきたんだ。とても綺麗だった…。僕は、なにか大きな存在に導かれているように、その光の方へとひたすら飛んでいったんだ」
三人は学校の近くにある小さな公園に辿り着いた。青いブランコと小さな滑り台、小さなジャングルジム、砂場、ベンチが三人の瞳にぼんやりと映る。
「それからしばらく飛んでいくと、驚いたことに、大きな大きな虹色の山が見えてきたんだ!」
「ふ~ん、大きな大きな虹色の山かぁ…」
「とにかく大きくて、上の方は雲で隠れていたんだよね?」
「うん。これを神秘と言わずに何を神秘というのだろう…、そう思った。とにかく、全身に鳥肌が立っていて、大きな感動に包まれたんだよ!」
ユカはここまで聞いているうちに、すっかりその草原に行ってしまったような気分になった。心地よい風は一体どこから吹いて、どこへと帰っていくのだろう。
「そこで感動のあまりに立ち尽くしていると、突然、赤い小さな妖精のような存在が僕の目の前に現れて、語りかけてきたんだ!」
「地上にいながら…、天上の安らぎをえるんだよ…」(赤い妖精)
「不思議な感覚にとらわれているうちに、自身の意識が走馬灯のようになって、この現実世界に帰ってきたんだよ…。どう思う、ユカ!天上の安らぎって、なんだろう?あの赤い妖精と虹色の山…、大きな草原、一体なんだったんだろう?」
ユカはその話を聴いて妙な気持ちになった。ワタルからは、こんな話を聞いたことが一度もなかったので、少し心配な気持ちになった反面、その妖精が言った言葉やワタルの不思議な夢がユカの心のずっと、ずっと、奥の方へと転がり込んでいって、響き渡っていったのだから。
ユカは夕焼けに染まりつつある雲の群れを一度目で追いかけてから、深呼吸をし、興奮気味のワタルに静かに語りかけた。
「私には夢を解く才能が無いから、あまりよく分からないんだけど…、これだけは言えることだと思うの。その夢がこの現実世界のワタルや私達にも、大きな影響を与えているという、事実よ!」
ワタルはユカの静かな説得力に胸を打たれて、心からユカのかけてくれた言葉に賛同した。
「本当にそうだね!ユカ!」
ふいに髪を軽く右手で毟るワタルにユカは続けて言った。
「いつか、いつか解明できると良いわね…。そうだ、赤い妖精が言ってくれた、なんだっけ、天上の安らぎ?について、三人で、語りあおうよ!前途洋々たる若者達よ!」
ヒロキは笑いが込み上げ、吹き出しそうになりながら、また、自身の想像性に願いをかけて、続けて言った。
「そうだね、語り合おう!前途洋々たる若者達よ!」
「なによ、これ…、でもちゃんと家に帰ったら予習と復習をしないとダメだからねっ!」
「はははっ」
こうして三人は日が暮れるまで、心ゆくまで、語り明かした。そこにあった馴染みのある風景は、いつもより、少し、輝いてみえた。
*
ワタルは生まれて初めて本をむさぼるように読んだ。自宅にある書斎や学校の図書室などから、夢の解明に繋がるような本を探し求めた。世界各国の宗教、神話や叙事詩、ファンタジー、SFなどに一通り目を通そうとした。その中には興味をそそられるものや先人が後世に伝えた知恵、幾つかの訓話などもあって、確かにワタルの力や糧になっていった。
中でも旧約聖書のヨセフの夢解きのシーンなどが印象に残った。ワタルは思った。もしも、このヨセフが現代に生きているとしたならば、この僕にどんな言葉をかけてくれるのであろうと。しかも彼は、兄弟から虐めにあい、身を売られ、奴隷にまでなるが、ファラオの夢を見事紐解いたことにより、国の飢饉をも救い、期せずして自らの地位も確立、虐められていた兄弟をも赦し、涙の再会を果たした。人間味を感じさせる鼓動やドラマもあって、心から感嘆した。
また、ギリシャ神話によれば人間が神と共に暮らし、争いごともない、調和と平安に満ち溢れていた「黄金時代」と呼ばれた時代があったことを知り、驚きを隠せなかった。それに重ねて、ドイツロマン主義時代を生きたノヴァーリスという詩人が残した言葉にワタルは心を奪われた。
「この世界に邪悪は存在しない。全てはふたたび黄金時代へと、近づいている」ーノヴァーリス
ワタルは世界中に散らばっている本を一つずつ読みはじめて、感じたことがあった。宗教宗派や文化、言語や風土が違えども、やはりこの地球上に生きた同じ人間なのであって、その性質や歴史の変遷はどれもこれも似通っているところがあって、大きな一つの体系を成し、大きな一つの命が流れているんだな、と。そう思った途端に、歴史上の人物や世界中の人々に対して、自身の中でも妙な親近感が湧いてきた。以前よりも、本に登場する人物やテレビ上で映っている世界が、確実に、狭くなった。
だが、いっこうに、肝心となる、ワタルの夢について具体的に書かれている本には巡り会えなかった。しかし、すでに少年は一種の恍惚状態に入っており、一冊一冊を通して感じとれる、人や自然やその歴史、事物の中に眠る奥深さや発見、心の宇宙、神秘、人類やこの世界がもつ可能性に心を踊らせながら、取り組むことを続けた。
それから少年は日々の日常の出来事を通して、本から得た知識や一語一句をすり合わせるようになり、 心身に修得させるように励んだ。また、学んだものをヒロキやユカに反芻するように語り、その時、その時を共有し、友からの刺激も受けながら、発想や着想、体験を豊かにしていった。