【1】
少年は跳びはねて起きた。
それは中学校に間に合わないというよりも、不可思議な理由から生まれた行動である。こんな体験は今までにはなかった。体験こそ最高の教師である、と、つい先日、学校の先生から聞かされたばかりであったが、まさかこんな形で、その意味合いが成就するとは、思いもよらなかった。とりあえず今起きた出来事をがむしゃらに、ノートに綴った。額からは汗が太陽に煌めく、みなものように浮き出ていて、パジャマはいたずらに捩れていた。
それからしばらくの間、二階の窓辺から望める数軒の住宅と、朝日によって静かに輝いている空と流れゆく雲を、茫然と眺めていた。見覚えのあるスーツ姿のご近所さんが、道を通り過ぎて、ここかしこに鳥達の囀ずりが聞こえてくる。まる1日分、日が過ぎてしまったのではないかと錯覚も起こしたが、ベットサイドに置いてあるデジタル時計を見て安心した。
今朝起きたこの出来事を、頭のなかで整理する必要はあったが、制服に着替えて、スマホを右ポケットに入れて、朝食の匂いがする、一階のリビングまで、そそくさと駆け降りた。
「ワタル、おはようー!」
「お母さん、おはよう」
「ごはん出来てるわよ!」
「うん、ありがとう」
そこには、いつもの朝食が並べてあった。すでに姉は席に着いて、食事をしており、父親はテレビをつけっぱなしで新聞を読んでいる。
ワタルはいつもより不可思議な焦燥感にかられて、朝食を口にかけこませた。早く、学校の友達に話をしたかったのだ。
早々に支度を済ませてから、少年は自宅を飛び出して、最寄り駅まで、自転車をひたすら漕いだ。朝の静謐な風は、まるで少年の背中を撫でているようだった。
*
「なんと言ったらいいのか…、中学生にはちょっと難しいよね」
「そうだよね…、けど、ヒロキには話しておきたかったんだ。ヒロキもあるよね、こういう夢」
「いや、僕にはそんな生々しい夢はこの生涯で一度もなかったよ!だってさあ、コロシアムみたいなところにいて、魔女みたいな人が急に現れてさ、炎のかぼちゃを僕の頭上に落下させたことが、生涯で一番印象深い夢だよ」
ワタルはヒロキの真摯な表情と内容の滑稽さ、今朝の事をヒロキに伝えられたことによる安堵感が混じり合って、よけいに面白くなり、腹を抱えて笑った。
「はははっははっ!それはそれで面白い!ははははっ、ははっ」
「ちょっと、笑いすぎじゃないか?ワタル」
「ははっ、ごめんごめん。はははっ」
「そんなに面白いこと言ったかな…」
すると、きりっぱなしボブについ先日してきたばかりのユカが二人の騒がしさに連れられて、話しかけてきた。
「なにを、そんなに楽しそうにしてるの?来週からテストが始まるっていうのに。そんなに笑っていたら、せっかく覚えた英単語の一つ、二つが飛んでいっちゃうわよ」
「だってさあ、ヒロキってば、おかしなことを言うもんだから」
「何よ、おかしなことって!それってテストより大事なわけ」
ヒロキは少し目をすがめて、また、真摯な表情で、ユカに告げた。
「テストの点数よりも大事なことって、この広い世界にはあると思うんだ」
ユカは何か、この二人の背後には不思議な力が働いているのを感じとり、珍しく反論する気も湧かなかったが、とりあえず、この場を収めようとつとめた。窓から望める校庭を一度、じっくりと眺めてから、二人に告げた。
「確かに、そうかも知れないわ。けれども、浮かれ過ぎちゃならないことも事実よ。さあ、昨日やったところの復習でもしましょう」
それから数分後にはチャイムが鳴り響き、生徒達の自由闊達な黄色の声はだんだんと鎮まっていった。廊下からは、担任の教師の足音が鳴り響き、近づいてくる。