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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最後の味は照りマヨチキンピザ(コーン入り)

 夏のうだるような暑さ。

 その暑さから逃れるようにして、教室へと入り込む。


 授業開始五分前。

 俺はいつのものように汗を垂れ流し、息を切らしながら、後ろ側にある席へと座った。挨拶はない。乾いた風だけが自分を迎え入れてくれる。


 あいつは……まだいないのか。

 窓際の隅に席がある唯一の友人、カクレはまだクラスに来ていなかった。

 どうせあいつのことだ。考えはわかっている。自分と同じようにギリギリの時間に学校へ来て、面倒事に巻き込まれないようにしているのだろう。


 面倒事というのは例えば――あれだ。

 カクレの席とは反対側に位置する、扉に最も近い席。

 そこでは日常的にイジメが行われていた。視線を密かに送れば(なぶ)られる姿。耳を澄ませば机が軋む音。

 それと、悲鳴。「やめて」「どうして」という声が上がるたびに、歓喜に歪む声々が聞こえた。


 止めるものはいない。

 自分たちにとってはこれが日常。くだらない世界。

 黒板に――黒板の上に無理矢理はめ込んだモニターから光が溢れた。

 そこから先生の声が聞こえる。名前はわからない。その先生は朗々(ろうろう)と生徒の名前を読み上げていく。

 俺も名前を呼ばれたあと適当に返事をして、イヤホンをつける。


 音はなにも聞こえなくなった。




 午前授業の日は良い。

 くだらない世界の中でも、更にくだらない場所から短時間で逃げられる。

 まぁ……そもそも、土曜日に学校へ来ること自体面倒なのだが。


 高校は週五日制の場所にしてやる。

 そう決意を固めて、イヤホンを外し席を立ち上がり、家に帰ろうとする。

 だが、それを阻止する輩がいた。


「へっへへ……これから街行かないか? 午前中で授業終わったし……」


 木下(きのした) (いん)

 低身長低体重、そして黒髪で片目を隠している。

 陰キャラ中の陰キャラ。ベストオブ陰キャラ。あまりに目立たなすぎて、逆にイジメの対象にはならない幸運なやつ。

 ちなみに俺はこいつに次いで陰キャラベストツーに入ると自覚している。一位と二位の差は、名前の差だ。(いん)はないだろ(いん)は……。

 こいつの名前に同情した俺が隠にカクレというあだ名を付与したのはあまりにも有名な話。


 もちろんウソだ。

 初対面で隠って名前見て素直にインって読めるやついる?


「というか、午前中で授業が終わったら迅速に家に帰るもんだろ。バーロー」


 俺は軽口を叩く。

 こんな軽口を叩けるのはコイツくらいだったりする。悲しすぎる現実。

 あと、人の名前を散々馬鹿にしている自分だが、あまり他人のことを言えない名前なのは機密度トリプルA級の秘密だ。


「み、みるむ。どうしてもダメか……? 買いたいものあるんだが」

「一人で買いに行けばいいだろ。それとしれっと機密情報をバラすな」


 ぽこっとカクレの頭を叩く。


「り、理不尽だ……」


 みるむ。

 それが俺の名前。


 正確に言うと土肥(どひ) 三留夢(みるむ)

 土肥と書いてどひと読む。そこは素直にどいにしとけや、と幼心に思ったことがある。まぁ、それ以上に酷いのは下の名前だ。なんだよ、三留夢って。学校で三留するのを夢見てるみたいじゃねーか。酷すぎる。名づけ親である父親とは疎遠なせいで、この名前の意図は不明だ。きっとなんか真面目な理由があると信じたい。……ないだろうなぁ。


 知らぬが仏。

 だれか名前の意味に気づいても、俺には教えるなよ。


「ダブル照り焼きバーガーを買いたくて、だけど一人で店に行っても気づかれな」

「ちっ。照り焼きの話なら先にそう言えよな(お前を一人で行かせるわけないだろ!!)」

「おっおお、ごめん。でも一緒に行ってくれるってことでいいんだよな!?」


 カクレの大きな声。

 その声で三十人近くいるクラスメイトの視線が集中した。

 慌ててカクレの口を塞ぎ注意をする。


「おいばかっ。そんな声を出したら目立つだろうが」

「もごっ……もごご」


 こいつも、あの連中もなにを言っているのかわからない。

 でも、あの連中――虐める側の人間は、俺たちから興味を失ってくれたようだ。


 ほっと一息を付きながら口元から手を離す。


「す、すまん。つい興奮して」

「まったく。陰キャとしての自覚を持てよな」


 俺は文句をこぼしながら教室を出る。

 カクレは後ろを歩きながらぼそっと呟いた。


「陰キャってなんだ……?」




 灰色にくすんだ空。

 百億人以上の汚れた息を受け止め続けた、空の成れの果て。

 ダブル照り焼きバーガーを頬張りながら尋ねる。


「なぁ青空って見たことあるか」

「えっ、北極になんて行ったことないぞ。テレビでは見たことあるけど」

 

 隣を歩くカクレに首で同意する。

 俺だって青空を見たことはない。だってのに、今日の天気予報は晴天。この汚れ切った空も天気予報士から見たら、晴れ渡る青空らしい。

 

「照り焼き系を食べてる時のみるむは、や、優しそうな目してるよな。背筋もピンとしてるし……」

「そうか? 気のせいだろ。つうか、俺を普段どう見てるかよーくわかった」


 バーガーの袋を丸める。

 甘辛いベットベトなソースが絡みついたものだ。

 それをカクレの上着目掛けて投げつける。間抜けな声を聞いて満足した自分は、地面に落ちたバーガー袋を回収する。

 

 ノーモア、ポイ捨て。

 当たり前の行動こそ、青空を取り戻す大きな一歩だ!

 ないか。昔はよく環境改善を勧めるニュースもあったが、今じゃめっきりだ。きっともう色々諦めたに違いない。


 ……


 まぁ、一度くらい青空を見てみたいけどな……。

 仮にこの願いが叶うのなら、俺は神様がいることを信じるだろう。


「松本さんは今日の投票、済まされました?」

「ええ。でもウチの猫が勝手に押しちゃったから、どっちに入れたかは分からないの」

「あらま。だけど投票しただけでも偉いじゃない! 私なんてまだよ」

 

 主婦たちがボヤけば、男子が叫ぶ。


「今日のは殺すか迷うなぁ」

「速報とか議論を見てる限りは”Worthless(価値なし)派”が主流みたいけどね。顔も悪いし」

「そっか! じゃあ殺すか!」


 街行く人々は笑い合う。

 あぁ、そうだ。神はいるのだった。

 

 灰色の雲よりもずっと近い位置。

 そこから、俺たちを見ている――裁いている。


 一定の間隔で無数に並ぶ空中投影型のモニター。そのモニターの冒頭には黒々とした文字でこう書かれていた。

 


『この人物には価値がありますか?』

 


 今ではお馴染みのフレーズ。

 幼い頃、超常現象的に現れたこの神罰は無作為に人を裁く。

 いや正確に言えば、裁きを下してるのは一人を除いた俺たち国民全員だ。


「……カクレは投票したのか?」


 厚い板――投票板を上着のポケットから取り出す。

 銀色のアルミで作られたような板。その上には青と赤のボタンスイッチが付いていた。


 自分はまだ、押せていない。

 

「青い方を押したぞ。死ぬほどの人間じゃないと思うし……」

「確かに、な」


 モニターを見る。

 そこには名前と顔写真、その人物の歴史が書かれていた。


___________________________________

 森本勉。男性。21歳。大学生。犯罪歴なし。区立山居川小学校卒業……。


 小学生時代のあだ名は便所虫。

 所以は本名とお腹が緩くトイレに篭ることが多かったため……。

 

 現在健康面に問題はなし。国際NGO法人に所属し、精力的に活動中。

___________________________________


 履歴書に書くような堅苦しい内容が十行。

 それに続いて人物特有のエピソードが書かれている。

 ここには栄光から黒歴史、果てには本人しか知り得ないような情報さえ書かれている。俺だったら全国民にこんな情報を拡散された時点で死ねる。というか、一定数はそれで死ぬらしい。


 なんにせよ、森本という人物を語るには充分すぎる程の情報だ。

 この情報を元に生かすか殺すかを判断する。まぁ最近ではこんなのを真面目に読んでいるのはひと握りだが……。


「ん、んっ? どうしたこっちをジッと見て」

「いや、カクレは優しいなと思ってさ」


 こいつはその希少種の一人だ。

 内容を理解しているかはともかく、知る努力をしていた。


「そ、そうか。優しいなんて初めて言われた」


 照れるカクレに容赦のない言葉をぶつける。


「青しか選ばないお前はどこまでも優しいやつだよ」

「お、おぉ。そこまで褒められると照れるな……」


 皮肉だっつーの。

 心の中でツッコミつつも、投票板をポケットに閉まった。

 まぁ俺はどこまでも勇気のないやつだが。



『おひょぁおおあぢゃやめてぇよおお』



 ヘラっと笑っていたら奇声が聞こえた。

 俺たちは足を止めて顔を見合わせたあと、声の聞こえた方へ顔を向ける。

 街の外れ、光が差し込まない路地裏で、なにか――暴力的な行為が行われていた。


「な、なぁあれって」


 及び腰のカクレに、俺は「あれってなんだよ」と突っ込む。声は震えていた。


「顔! 顔を見ろ! 殴られてるやつの!」

 

 暗がりにジッと目を凝らす。

 被害者と加害者含めて三人いるのはわかった。だが、顔なんてさっぱりわからない。俺の反応に痺れを切らしたのか、カクレは口を開く。


「今日処刑される人……だっ。森本さんって人!」

「本当かよ。同じ街に住んでるなんて」


 信じきれない気持ちを抱きつつ、路地裏へ足を近づける。


 本当だ。

 森本という人物は顔を晒すようにしてコンクリートの道に倒れていた。暴力は殴打から蹴撃へと姿を変え、彼はサッカーボールのように蹴られている。

 時々聞こえる奇声だけが、まだ生きていることを証明していた。


「あんなボコボコにするなんて酷すぎるだろっ! どうして……?」

「わかんないけど、トラブルとかあったんだろ……」


 自分の言葉には違和感が詰まっていた。

 ふと、男子高校生の言葉が不意に思い出される。Worthless(価値なし)派が主流とか言ってたな。携帯端末で投票の状況を確認すると、確かに男子高校生の言う通りだ。森本という人物は価値なし、つまり死ぬべきだと思っている人間が過半数を占めている。だからこそ、今の状況が気持ち悪く感じた。今日の十七時には死ぬような相手。そんな死人同然の相手に暴力を振る理由なんてあるのか――?

 

 俺は、彼に同情してしまっていた。


「助けよう」


 だからこんな呆れたことを口にしてしまう。


「はっ……えっ?」

「俺たちで助けよう」


 俺の言葉にカクレは静まり返る。

 その静寂を振り払って足を動かす。足音を重ねる度に、今朝のイジメの光景が思い出された。


「嘘だろ!? みるむらしくないぞ! 警察に連絡して、逃げよう。なっ?」


 肩に置かれた手を振り払い、伏し目がちな丸い片目を見る。


「頼む。力を貸してくれ」

「あっ、ううっ。わかった、わかったよ。どうやって助けるんだ……?」

「あいつらを一発殴って、そのあとは必死に逃げる。俺は右に逃げるから、お前は左な」


 来た道を指差しながら指示をする。

 カクレの「そ、そんなんで助けられるのかよぉ」という弱気な声。

 それを無視して現場に近づく。近づく度に、心臓の音が激しく高鳴る。今朝の、日常的な後悔を払拭する絶好の機会。恐怖を塗り潰す高揚感が自分を満たしていた。


 暴力の渦まであと十歩。

 相手に気づかれるかもしれない距離。


 暗闇に光る鈍い輝きを見て、カクレは叫ぶ。


「あっ、あんなの無理だ! ナイフまで持ってるなんてっ」


 俺じゃ無理だよぉおおおおおおお!

 そう叫んでカクレは走り去っていく。呼び止める声に意味はなく、背後から渦へと引き込む獰猛な獣の声が聞こえた。

 もう、逃げられる距離ではない。恐怖と高揚感が混じり合う中で、鞄に入っている万年筆を取り出す。離婚する際に父親から貰ったもの。書くことが目的ではない。ナイフのように尖ったペンポイントで相手を突き刺すためだった。


 これで相手を一突きして一緒に逃げよう。

 床に倒れ込んだ彼を見たあと、巨体の方に狙いを定めて突進する。顔を見ることはしない、怖いから。


 ……


 ぐにゅり。

 肉を刺す気持ちの悪い感触。

 しかし、それは同時に喜びとなる。自分でも一撃入れられた!


「あっ……」


 顔を上げると、笑顔があった。

 片腕から真新しい血を流しながらも逆の腕で俺の首を抱え込む。

 体の暖かい体温に一種の安堵感さえ感じてしまい、泣きたくなった。


 固定された視線の先には、自分の末路。

 殴られ蹴られ切られ突き刺された血まみれの体。遠くで見るよりも、ずっとグロテスクだった。




 意識が遠くなる。

 隣で奇声を上げていた彼はもう力尽きていた。

 上から聞こえる喚声(かんせい)は行く末を教えてくれる。


 曰く、お前が刺さなきゃ俺だって刺そうとは思わなかった。

 曰く、こいつと違って処分するのが面倒だから。


 気を失いたい。

 そう願ったところで叶う訳がなかった。瞳を閉じると隣から声が聞こえる。


「なぁ、おまえは俺を助けるためにスイッチを押してくれたのか?」


 まだ生きていたのか。

 衝撃を受けながらも制服のポケットに入った投票板を取り出し、青いボタンを押す。


「押した、押したっ」


 必死に叫ぶ。

 この投票板は決して壊れない。だからこの一票は間違いなく森本を助けるための一票になったはずだ。

 だが……彼の反応を見る前に、俺の意識は痛みに落ちた。




 1/3

 



 赤黒い夕日。

 厚い灰色の雲の切れ間から僅かに光が差し込む。

 

「頭が、痛い」

 

 全身が痛かった。

 差し込んだ光が体の状態を生々しく照らす。

 叫びたくなる気持ちを必死に抑えるが、涙はどうしようもなかった。


「帰りたい、死にたい」

  

 体を覆う布はタンクトップと黒いボクサーパンツのみになっていて、その布切れさえ血にまみれている。

 あまりの惨めさに死にたかった。


「あっ」


 惨めなのは自分だけじゃない。

 隣を見れば似たような姿の人間がいた。帰る前に、死ぬ前にこの人もどうにかしないと。同じ境遇の人物を見て途端に頭が冴えていく。壁に手を置きながらゆっくり立ち上がって、通りに目を向ける。夕日の手前にある公園。そこから子供達の声が聞こえてきた。子供がいるということは保護者がいるに違いない。助けを求めよう。


 ゆっくりゆっくりと歩いていく。

 途中で公園内にある時計塔に目がいった。時刻は一七時を指す直前だ。

 

 十七時……?

 その時間を目にした瞬間――悪寒が走る。

 背後にいる森本を急いで見ると、溶けていた。血や体液をコンクリートの地面にまき散らしながら肉体を崩壊させていく。


 吐き気を抑えながら、十七時が処刑の時間であることを思い出した。

 彼は価値がない人間と判断されたのか。


 非現実的な光景が頭を狂わせる。

 俺はなぜか家にいた。




 自室のベッドに潜り込む。

 体を丸めて母親の声や肉体の痛みから耳を塞ぐ。

 ありえない。あんなのありえない。どうしてこんなことに。

 原因はどこにある。あの獣ようなクズ達か、それともあんな場面で逃げたカクレか。それとも処刑に選ばれた彼が悪いのか。


「あぁ世界なんて滅びればいいのに。いや、自分が死ねば」


 そう口にした時、強烈な閃光と「ぽむ」という間抜けな鳴き声が聞こえた。

 

土肥(とひ) 三留夢(みるむ)くん、あなたは記念すべき価値選考対象の百万人目に選ばれたぽむ。選考日は一週間後の土曜日、現在の予測だと八割以上の確率で死ぬと予想されていますぽむ」


 ファンシーな声に、常識外れの内容。

 俺は思わず布団を(めく)って「なにを言ってるんだよ!」と突っ込む。

 だが視線の先にいる、白いうさぎのような生物――毛玉のように丸いが――は、それを無視して喋り続ける。


「ですが、記念すべき百万人目の特典として数々の能力を付与するぽむ。付与される能力は三つぽむ。素材を生かした『容姿』の修正、『知能・知識』を高校二年生平均レベルへの引き上げ、『体力・行動力』の底上げ。あとはそれらを生かせるようなイベントを選考締切まで随時発生させますぽむ」


「何言って。というか、高校生レベルの知能ってショボくないか……?」

「そんなことないぽむ。もう中学生の間は最低限の暗記だけでテストは百点を取れるぽむ。なにより、知能容姿の過剰な強化は人格の崩壊を招くことが最近わかったぽむ。だからやらないぽむ」


「やらないって、そもそもできないだろ」


 俺は謎の生物をあざ笑う。

 体を揺らすたびに悲鳴を上げるが、それでも笑わずにはいられなかった。


「あなたは、数秒後にぽむぽむの存在(ちから)を信じるぽむ」


「はっ……えっ」


 体から痛みが引いていく。

 暗がりの中でも傷が癒えていくのがわかる。

 一分も経たないうちに全快していた。それどころか以前よりも体に力が(みなぎ)っている。


「なぁお前って神様なのか……?」


 俺の問いに神のような生き物は宙に浮いて、


「ぽむぽむは、あなたが価値のある人間になることを期待するぽむ」


 光の粒子に包まれ消え去った。

 俺は「あっ」と声を漏らすもそれが届くことはない。


 …… 


 再び頭から布団を被って考える。

 あれは神様なのか。もしそうなら来週処刑が本当にあるのか。自分は容姿端麗になったのか。

 今日は興奮して寝付けそうにもなかった。




 清々しい朝だ。

 小鳥のさえずりは心を癒し、木々のざわめきは夏の暑さを和らげた。

 この濁りきった外の空気さえも心地よく感じられる。


「俺は、変わった……!」


 グッと胸の前で拳を握り締める。

 昨日のことは現実だった。ははっ今朝は母さんが『男子三日会わざれば……って本当なのね』と大慌てしてたもんな。

 生まれ変わった自分を噛み締めながらも、来週に迫る処刑に対して考えていた。


「どうやったら価値のある人間になれるんだ……?」


 とりあえず布団に潜り込みながら、ネットで行われている処刑反対活動には参加した。あとWorthless(価値なし)派へのネガキャンもバッチリだ。

 これからは処刑があることを前提に動いていこう。


 だが、これだけじゃ不十分だ。なにか価値のある行動をしないと。

 中学校へと続く通学路を黙々と歩いていると、


「ふっ」


 思わず失笑が漏れてしまう。

 路地裏(・・・)で、昨日のような状況が再現されていたから。

 こんなのありえないだろ。夕方ならともかく朝の人が多い時間だぞ。でも、神様ってのはだいぶ粋な存在らしい。


 これはチャンスだ。

 大声を出すのは恥ずかしい――恥ずかしくないか。

 俺は携帯端末を取り出し大声を出しながら警察に連絡したフリをする。


「今リンチされている現場を目撃しましてー!!」


 通行人はこちらを注視した。

 それはあの路地裏にいる彼らも同様だ。通行人の視線を後ろ盾にして路地裏に近づき――




「助かりました……」


 加害者たちは去り、被害者Aに感謝をされた。


「怪我はないか?」

「軽く殴られましたけど大丈夫です。あの警察が来るって聞いたんですけど、本当ですか……?」

「まさか。こんな小事で来るわけないだろ」


 あはは、ですよね。

 被害者Aは苦笑いをしつつもう一度感謝をしてくる。

 俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。


「そのお礼とかしたいんで、名前を聞いても」


 心の中でにやりとする。

 そう、その言葉を待っていた。


「俺の名前は――」




 退屈な授業を終え、廊下を歩く。

 頭は良くなったがこれを活かす機会がない。精々先生からの問題を瞬時に答えられたくらいだ。

 カクレも今日はいなかったし、以前よりも授業が退屈になった。


 厚い雲間から僅かに差し込む夕日の光。

 赤黒い光を浴びながら、このままじゃ死ぬなと冷静に判断した。

 被害者Aに俺への投票を含めた諸々の協力を頼んだがまだ足りない。明日にでもクラスのイジメを解決してみるか……。


 高揚感ではなく、万能感が俺の心を満たしていると、


「ぬぅぅ、大丈夫! 私なら絶対にできる! きっちゃんパワー全開だぁぁあ!!」


 目の前に白い巨塔が現れた。

 塔のようにそびえ立つ紙の山は、あっちにフラフラこっちにフラフラと動きが定まらない。

 だが、それでも前進する意思はあるようでズンズンと自分の方へ向かってくる。


「……手伝ったほうがいいか?」

「ぜひ!」


 シャキっとした可愛い声。

 その声に続いて、ふんわりとしたサイドテールが前後に揺れる。

 

 俺は書類を半分ほど受け取り、共に資料室へ向かった。




「ありがとうございました!」


 人気のない資料室に書類を置くと、声を掛けられた。


「構わねえけど、いくらなんでも持ちすぎだろ」


 顔が見えなかったぞ。

 俺がボヤくようにして言うと、少女は悪気もなく「結果オーライです!」と笑顔で返事をした。その顔があまりにも眩しすぎて頭がクラクラとしていたら、少女がわざとらしい咳払いをする。


「んんっ。親切な旅のお方、私の名前は川井(かわい)杏乃狐(あのこ)と申します。あなたのお名前を聞かせてもらっても?」


 旅してないし、なんでファンタジー風な問いかけ方。

 疑問を感じつつ素直に答えた。今日は名乗る機会が多い。


「おおっ、みっちゃん! 私はきっちゃんですし、みっちゃんきっちゃんですね!」

「みっちゃんはないだろ……。というか、きっちゃんってどこから出てきた」

「ふふーん、杏乃狐(あのこ)の狐はきつねとも呼べるんですよ! だからきっちゃんなんです! こんこん♪」

 

 なぜかドヤ顔だった。

 知らん、知るか。と思いつつ、楽しげな少女に水を差すつもりはなかった。

 左右に揺れるサイドテールが狐の尻尾に見えたのは気のせいなはず。


 自分自身にも呆れながら、運んできた書類に目を向ける。


「……生徒会選挙」

「それに目を付けるなんてお目が高い!」


 俺の呟きに間髪を入れずに言葉を差し込んできた。


「その書類は新鮮のピチピチなんですよ。他の書類は数ヶ月前に消費期限を迎えたものなんですが、それだけは今日まで意味のある書類なんです! 流石みっちゃん!」


 ……突っ込むことはせず、重要なことだけを聞き返した。


「つまり、生徒会長候補をまだ受け付けているんだな」




 朝でも暑い。

 小さな氷河期を終えた地球は、気温上昇の一途を辿っている。

 そんなことも相まって、暑い、恥ずかしい、帰りたい。


「生徒会長候補の土肥(とひ) 三留夢(みるむ)に投票をお願い……します」


 校門と校舎の中間で声を上げる。

 他にも『山本にー』とか『いやいや、木村をー』など総勢三つの声が聞こえる。

 朝の校門前での名乗り上げはこの中学校の伝統らしい。昨日選挙委員に言われた。中学生でこんなことやるか。


 昨日までの異様な行動力は神様のせいだな。今やっと自覚した。


「生徒会長候補の土肥 三留夢に投票をお願いしまーーーーす!!」


 ヤケクソ気味に叫ぶ。

 自覚しようが恥かしがろうが、やるしかない。やるしかないと思うと体が勝手に動く。今までなら絶対に逃げてた。

 嘆きも悲しみも叫びに込めていると昨日の声が聞こえる。


「精が出ますね!」

 

 丸い二重の瞳に、意外と鋭い眉。

 そして赤とピンク色のグラデーションのシュシュでサイドテールを纏めている。

 きっちゃんなる少女はいつの間にか俺の目の前にいた。


「まぁな」


 適当に答えるが、少女はまるで気にせず言葉を続ける。 

 

「すっごい迫力がありましたよ! 鬼気迫るものがあるというか……」


 生徒会長になりたい気持ちが伝わりました。

 少女は体をズイっと俺に近づけ、ジッと見つめる。やめろ照れるぞ。


「私も一肌脱ぎましょう!」


 鞄を地面に置き、少女は隣に立った。

 そして照れている俺の目を覚ますかのように、首に下げていたホイッスルを吹く。


 ぴゅーーーー!


 学校へ向かう生徒の視線が集まったところで、


「生徒会長候補のみっちゃんに投票をお願いしまーーーーっす!!」


 強力な助っ人、誕生の瞬間だった。




 みっちゃんだと投票無効なんじゃね?

 今朝の出来事を思い出しながら、教室の窓を拭いていた。


「そっちは終わりましたー?」


 扉側にいる少女がこちらに向かってきた。

 どうやらあっちは終わったらしい。


「あぁ。だけど、こんなこと意味あるのか」


 学校を綺麗にすれば生徒会長になれる。彼女の言葉だった。


「あります! ねー」


 少女は教室に残っている数名に呼びかける。

 すると「あるある!」「いやぁ、本当きっちゃんは天使だね」「きっちゃんに投票するから!」いくつもの声が続いた。

 めっちゃ人気あるわ。あれ? 彼女が生徒会長になった方がいいんじゃ。

 

「というか、同じ学年だったんだな」


 ここは彼女が普段勉強している場所らしい。


「はい! もしかしてお姉さんだと思っちゃいました?」


 得意気な顔を見て思わず突っ込んでしまう。


「年下だと思ってた」

「どうしてですか!?」


 性格的に。

 今度は心の中で突っ込みを入れておいた。


「ま、まぁいいです。それじゃあ次の教室に行きましょうー!」


 少女はみっちゃんに投票よろしくねーと言って教室を去る。

 マジで全学年の教室の窓を掃除するのかと思いつつ、彼女の後を追う。

 掃除は警備員に注意されるまで行われた――


 


 来ないな。

 朝の校門付近で名乗り上げをしつつ、ビラを配る。選挙公約が書かれたもので、少女と急ごしらえで作ったものだ。

 ここまでしてもらうのも……とは思ったが『みっちゃんが選挙に勝つまでお付き合いします』とのことで、存分に力を借りた。


  ……


 ちょっと心細く感じている。

 昨日も一昨日も一緒に手伝ってくれた彼女がいないことに。

 もしかして飽きたのだろうか、それとも何かあったのでは。


 不安を感じていると、それを払拭する声が聞こえてくる。


「おはようございます♪ 今日は助っ人を連れてきましたよ……って、みっちゃんどうしました?」

「な、なんでもない」


 つい伏せてしまった顔を上げる。

 そこには少女と、男女が一人ずついた。女の方は一昨日クラスで見た気がする。


「川井が助けようとする奴だから、どんなヤバい奴かと思ったら……マトモだな」

「あんたきっちゃんに対する偏見が年々酷くなってるわよね。いやぁ、わからんでもないけど」


 二人は俺を見ながらぺちゃくちゃ喋っていた。

 

「おっと、ごめんなさい。きっちゃんから話は聞いたわ。よろしくね、みっちゃん」

「マトモそうな奴を助けるのは久々……ん? なぁ、あんた昨日街にある商店街にいなかったか」


「あ、あぁ。いたが」


 複数人に話しかけられると緊張するな……。

 自分の内心なんて露知らず男の方は嬉しそうに肩を叩く。


「昨日ひったくりを捕まえたのお前だろ! 凄かったよ。走ってくるひったくりを一本投げするなんてさ」

「あれはなんか体が勝手に動いたというか」


 これ本当。

 一本投げなんて初めてやったからな。俺の体マジパない。


「謙遜するなよ。確かに技も凄かったけど、見ず知らずの他人を助ける気持ちに感心したのさ。今時いないからな」


 これは頑張らねえと。

 男はビラの束を抱えて校門前に向かって行った。

 女も「うわっ、ダウナー決めてるあいつが燃えてんの初めてみた」と驚きながら、男の方へと向かっていく。


「それじゃあ、私たちも頑張りましょう!」

「……そうだな」


 少女の笑顔と男の言葉が、心で疼いた。




「今日のお仕事はいっぱいあります! グラウンドの整備に、トイレ掃除と消耗品の補充、地下農場での収穫お手伝い――」


 放課後。

 少女が――用務員や生徒、果てはロボットから奪ってきた――仕事を列挙していた。それらを聞き流しながら物思いにふける。

 

 カクレと、話せていない。

 俺が話しかけてもどこか怯えた表情をするだけだ。

 もしかして、あの日のことを気にしているのか……?


「まずはトイレ掃除からやろうと思います。いいですか? 生徒会長!」

「それで構わない」


 うわの空で答えた。明日にでもカクレと話そう。

 『あの日のことは気にしてない、むしろあの場面で逃げなかったら偽物だ』って。

 きっと『ひ、ひでぇ』と言いながらいつもの感じに戻るだろう。


「おぉ! みっちゃんに生徒会長の貫禄が出てきましたよ」

「川井の言動に慣れてきただけだろ」


 心の中で頷く。まだ生徒会長じゃないし。


「ええー、そうなんですか!?」


 自分に対して心外だと言わんばかりの少女。

 彼女の仕草に心惹かれながらも答える。


「掃除頑張るか」




 小さな石鹸を取り出し、新品の石鹸を網に通す。

 便器の方は便器マイスターたる彼に任せている。まぁ実際はジャンケンで作業を割り振っただけだが。


 ……


 黙々とした単純作業。

 こういった作業をしていると、つい考え込んでしまう。

 そういうのはたぶん自分だけじゃない。


「普段は誰かが、これをやってくれてるんだよな」


 作業を変えて、液体用石鹸の詰め替えを行う。

 肌色の液体が容器に流れていくのを見て、当たり前の状態は実は誰かの手によって作られていることに気づいた。

 その誰かは、きっちゃん……親切な少女だったり、用務員のおじさんだろう。でも今日は、


「自分か……」


 最近は楽しく感じてしまう。

 教室の窓ふき、人を助ける行為に喜びのようなものを感じている。

 始めは処刑を免れるためだったが、今はそれだけじゃないと断言できた。まぁ、授業は相変わらず退屈だが。


 ぴゅーーーーっとホイッスルの音。

 そのあとに「みっちゃん、次は野菜を取りに行くよー!」という声が聞こえた。

 俺はそれに返事をして、足を動かす。


 ……


 生徒会選挙もあと少し。

 自分がやれる限りのことをやってみるか。




「みっちゃん、当選おめでとう!」


 土曜日、昼下がりの生徒会室にクラッカーの音が鳴り響く。

 自分は最後まで手伝ってくれた三人に頭を下げ、空に投影されたモニターを見つめる。

 そこには俺の歴史が書かれていて、最後の行には『生徒会長として活動中』の文字――本当にやり遂げたんだと実感が湧いてくる。こんな気持ち初めてで、神様にも皆にも”愛してる”と叫びたい。

 俺が感慨に浸っていると、きっちゃんがいつものように隣に立ちモニターを見つめる。


「それにしても、ブッサイクですねー!」


 感慨を見事に打ち壊してくれた。

 思わずうめいていると、彼――井口がフォローしようとするが、


「――だからって、それを理由に殺そうとする人が許せません。みっちゃんは最高です! みっちゃんのことを知らないで投票した人はみんなばかやろーです!!」


 少女自身が俺を救ってくれた。

 思わず泣きそうになったが、空を見上げて必死に堪える。


「神様も酷いわよね。よりによって写真写りの悪いものを選ぶなんて」


 蒸し返すんじゃない。

 石原さんに涙声で突っ込んだ。




 一六時五十分。処刑の十分前。

 

「みっちゃんの隣にはこの私! 副生徒会長としてバンバン権力を発揮します!」


 俺たちは生徒会室で、未来の話をしていた。


「生徒会に権力なんてねーけどな。んじゃ、俺は書記でもやるか」

「ちょっと、それじゃあ残ってる役職は……会計か。数字苦手なんだけど」


 生徒会長が兼務しない?

 石原さんの問いかけに首を横に振る。


「というかその、いいのか? 手伝いは生徒会選挙が終わるまでじゃ」

「きっちゃん、生徒会長は契約解除をお望みよ」

「私たち用済みですか!? そんなの冷たすぎますっ!」


「いや、そういう訳じゃなくて」


 ……


 ありがとう。俺は髪を掻きながら感謝を告げた。

 きっちゃんは笑顔を浮かべたあと、壁時計を見て「はっ」とした表情を浮かべる。そしてそわそわしたかと思えば、投票板を取り出して青いボタンを連打し始めた。


「落ち着け。投票は一人一票までだ。何回押しても意味はない」

「落ち着いていられますか! というか、みっちゃんは落ち着き過ぎです。自分が死ぬかもしれないんですよ。書記さん、速報!」

「可否共にほぼ同数。死ぬも生きるも神様次第って感じだ」

 

 んもぉぉおおおおおお!

 きっちゃんは声を張り上げながらボタンを連打する。

 彼女の隣にいる石原さんは携帯端末を机に置き、口を開いた。


「十七時まで残り五分。タイマーセットしといたから」


 俺は思わずどうしてと尋ねた。

 すると石原さんは「ぬか喜びするのは趣味じゃないの」と言って目を閉じる。

 

「同感だ。じゃあ、生きていたら祝杯でもあげよう」

「それは……楽しみだ」


 俺たちは自然と目を閉じる。

 静寂が生徒会室を支配する。ボタンを叩く音もいつの間にか消えていた。

 暗闇の中で思うことは、これからもこのメンバーやカクレと共に生きてみたい。あとその過程で人助けが出来るなら、いいな。


 ……


 心臓の鼓動が激しくなる。荒い呼吸が聞こえる。この五分間は永遠に続くのじゃないかと恐怖した。

 だが、誰かの柔らかな手が自分の手に重なる。落ち着いた呼吸は自分を平常に戻してくれる。


「絶対に大丈夫です」


 きっちゃんの声が隣から聞こえた。

 俺は――――




 タイマーの機械音が響き渡る。

 体が硬直した。 


「「「いやったぁあああっ!」」」


 三人の歓声が聞こえる。

 きっちゃんは俺の手をブンブンと振り回す。


「生きてるよ! 生きてるんだよ!!」

「えっえっ、本当に」


 皆の顔を見回すと、笑顔で首肯してくれた。

 そして俺たちは示し合わせたかのように雄叫びを上げる。


「「「「いやったぁあああっ!」」」」


 叫び、叫び、咆哮する!

 この喜びを忘れないように。


 だが、その叫びを断ち切るように扉の開く音がする。


「カクレ! 俺生きれたよ! ありがとう!」

「みるむ……」


 扉の前に立つカクレは携帯端末を片手に、暗い表情を浮かべていた。


「空を見ろ」


 疑問符を浮かべながら空を見て、愕然とした。


『可否同数のため、規定に従い再投票』


 なんだ、これ。

 俺の疑問は三人の疑問でもあった。口々に、どういうこと。こんなのあるのかよ。と呟きが漏れる。


「みっちゃんはどうなるんですか……?」


 シャツの(すそ)を掴み問いかけてくる。

 だけど、自分にもわからない。


 ……


「死ぬんだ」


 沈黙を破ったのはカクレだった。


「どういうことだ」

「……き、規定に書かれている。再投票の場合は”最も親しい人物の一票”で価値があるかないかを判断するって」


 彼が投票板を顔の横に掲げる。

 つまり、お前は俺を……。


「な、なら私ですよね! みっちゃんとは友達で、親友で! 恋人の可能性だって――」

「いいんだ。ありがとう」


 彼女は状況を正しく理解していた。

 俺にとってカクレが最も親しい友人であろうことを。


「どこのだれがもっとも親しいなんてきめてっ、時間ですか!? 神様ですか!?」


 痛ましい悲鳴に思わず顔を伏せる。

 石原さんが彼女をそっと支えた。嗚咽が部屋に木霊する。


「理由は、聞かないのか」

「……」


 カクレとはあの掃除の日以来、話すことが出来なかった。

 だから彼がどう悩んでこの結論に至ったのかはわからない。俺は学校に顔を出さないからって、そこで話すことを諦めてしまった。家まで訪ねにいけばいいだけなのに。


 新しい友人の方だけを大切にしてしまった。


「聞かせてくれ」


 カクレは髪で表情を隠したまま、赤いボタンを押す。

 これでもういつ死ぬかわからなくなった。


「みるむじゃなくなったからだ。お前は誰だ……? 睨んでるような目は鋭く格好良くなって、猫背じゃなくなって身長はめっちゃ高いし。なにより、俺を上から見ている。からかうこともしなくなって……。俺と一緒の目線にいてくれたお前はどこだ? もうわかんねぇよぉ」


 意図したものかはわからない。

 でも、カクレは涙を流しながらも青いボタンを強く握り締めていた。


 まったく。


「お前はどこまでも――」


 友人達の悲鳴が聞こえる。

 言い切れない言葉は、体の溶けていく感覚へと変化し残った。




 2/3




 甘辛い照り焼きソースの匂いと、焼けたチーズのこうばしい香り。

 それらが鼻を刺激し、食欲を促進させる。匂いにつられて、布団を捲り上体を起こすと、激痛が体を走った。


「痛っ! 自分は、どうしてなにが」


 体が溶けて死んだはずじゃ……。

 薄暗い自室で呆けていると、次の瞬間には驚きに変わった。


「カクレ!?」

「お、おぅ。起きたんだな。心配したぞ」

「なんでお前が、いやちょっと待ってくれ。待ってくれよ」


 俺は頭を抑えながらベッドの上に立ち上がる。

 そしてパジャマを捲って素肌を見れば、殴打痕・刺傷・切り傷と、暴力に晒された痕跡が生々しく残っていた。


「風邪引くと思ってパジャマを着せた。ぁあと、血も」


 彼の傍らにある血に濡れたタオル。

 段々と現実が見えてくる。


「パンツは替えてないからな!? 俺だってそこを人に変えられるのいやだし」

「見りゃわかるよ。はぁ、ありがとうな」

「い、いい。お礼を言われることじゃない……」

 

 どこかで見た暗い表情を浮かべるカクレ。

 俺は苦笑いをしつつ、この部屋唯一の光であるテレビに視線を向けた。

 これは、そうか……。


「……あながち全部が夢ってわけじゃないんだな」

「あっ、ばっちが、見ちゃだめだ!」


 慌ててテレビを消す彼にぼそっと呟く。


「気にするな。もう一回死ぬだけさ」


 神様との出会い、きっちゃんたちとの出会いは全部夢だったのだろう。

 でも、どうしようもなく残酷な真実が一つだけ紛れ込んでいた。


「森本の次に死ぬのは、この俺か」


 今日は日曜日の午後、一六時五十分。

 灰色の雲は夜の闇へと混じり合おうとしていた。

 テレビに映っていた速報を見る限り、自分は死ぬ。赤が八割ってのは酷い話だ。


 自嘲しつつも、心の中は晴れ渡る青空のように穏やかだった。

 きっと夢の中とはいえ、あの出会いと行動が自分を成長させてくれたに違いない。

 それに……


「ごめん、ごめんよぉ。死ぬ直前まで苦しめて……。みるむを放って逃げるなんて友達失格だよぉっ」


 泣いてくれる友人がいる。

 夢の中でも、現実でも変わらぬ事実が嬉しかった。

 だから、俺はいつもの彼が戻ってくるよう呼びかける。


『あの日のことは気にしてない、むしろあの場面で逃げなかったら偽物だ』


「へっ!? ひ、ひでぇ」

「はっはは。ったく、酷くねえよ」


 笑いながら、美味しそうな匂いについて尋ねる。

 するとカクレは昨日のお詫びにピザとワインを持ってきたらしい。お前はイタリア人かよと突っ込みつつ、渡されたワイングラスで乾杯をする。


「「まっず」」


 初めての赤ワインを口にした素直な感想。

 俺たちは口直しにコーラを飲む。


「やっぱこれだな。つうか、ワインなんてどっから持ってきたんだよ」

「親父の部屋から……」

「絶対怒られぞ、お前。もう俺は」


 一緒に謝れねえからな。

 その言葉を飲み込み、ピザを食べる。


「うまい! よくわかってるじゃないか。やっぱりピザにはジューシーに焼けた照り焼きチキンと甘辛いタレ、その上に問答無用でぶっかけられたマヨネーズがよく合う。しかもこれコーンも入っているだと……!? ふっ、お前には感服したよ」


 深々とカクレに一礼をした。


「み、みるむの好みはわかってるからな! というか、みるむってやっぱ照り焼き絡むと人変わるよな。へへっ」


 その言葉を否定しつつ、不意に頭に浮かんだことを呟く。


「どうして俺たちって友達なんだ?」


 自分でさえ意味のわからない質問に、カクレは素直に誠実に答える。

 

「へっ!? そ、そんなこと考えたことねえよ。……でも一緒にいやすいからいるんじゃね……?」


 類は友を呼ぶ。

 今の自分にとって一番居心地の良いやつは間違いなくカクレだ。

 だから、これでいいのだろう。


「あっ! でも自分がイケメンになったからって次は避けるなよ。どれだけ変わったように見えても自分は自分だからな」


 疑問符を浮かべるカクレに、残りのピザを暖めて来てくれないかと頼む。もう時間だ。

 彼は「わかった!」とピザ箱を持って勢い良く部屋を出る。


 こりゃもう会えないことに気づいてないな。


 ……


「優しいお前への、最後の優しさ、かもな」


 手元に残ったピザの欠片。

 それを口一杯に放り込む。この甘辛い味に、人生の機微が詰まっているような気がした。

 口の中に余韻を残しつつ、ベッドに仰向けになる。


 そして、ゆっくりと目を閉じた――




 3/3




 仮想空間【過剰人口・反転世界】展開終了。

 カリキュラム『同情』『奉仕』『友愛』の学習を完了とする。


 バイタルサインに若干の異常あり。青空と太陽の下での休息をおすすめします。







 



 








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― 新着の感想 ―
[良い点] タイトルからは想像できない意外性。 [一言] うわー、うわー、これはアレですね!世にもな話系。 \(゜ロ\)(/ロ゜)/ 短編ながら二転三転する物語、とても面白かったです。最後はしてや…
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