彼がついた嘘
さあ、嘘、狂気、ヤンデレがメインです。
死神が少女へ最後の別れを告げる瞬間を見た時のことだった。
『バイバイ、ラヴェンナ』
その言葉が脳裏を焦がすように焼き付く。
ズキリッ。
ふと頭が痛んだ。ぼんやりと光景がよぎった。
一緒に見たお花畑、滑らかな声……。
だけど、顔はモザイクでもかけられたようにどうしても思い出せない。
『大好きな少女を殺すなんて死神はバカだね。私には理解不能だな』
私は、彼にそう言った。
『 』
『……あなたを殺そうかしら』
その時、頭がさらに痛んだ。靄がかかっているように、何も浮かばない。
だめだ。これ以上は、思い出すことができない。
あともう少しなのに、届かない。
何もかも忘れてしまうことが悲しい。
みんなに嫌われることしかしてこなかった自分が恥ずかしい。
罪の償い方さえわからないのが、歯がゆい。
少し外を歩かないかというルークさんの提案に賛成し、劇を見終わった後に近くの野原を散歩することになった。
野原でお花の冠を作りながら、ふとさっきから気になっていることを聞いてみた。
「ねえ、ルークさん。
私にはずっと昔、好きな人とかいなかった?」
ルークさんから柔らかい笑顔が、剥がれ落ちた。
彼の琥珀色の瞳が感情をなくしていく。
彼が何を考えているのかわからない。それよりも今は、記憶の紐を少しでも手繰り寄せたかった。
「声も名前も顔も思い出せないけど、雰囲気や会話は覚えているの。一緒に見た夕日の美しさや、光に当てられてキラキラと輝くお花畑は覚えているわ」
遠い昔のことのように感じるけれども、私はきっと誰かに恋をしていたんだと思う。
ただの執着か、憧れか、子供っぽい思いか、深い愛かわからないけれど、誰かにときめいていた気がする。その人は、ずっと私の側にいてくれていたのだろう。確信は持てないけれど、そう思った。
「ある日、私は彼と『死神の恋』という本について語り合った。
私は、彼にその本の感想を言ったの。だけど、その続きが思い出せないの。私は大切なことをいっぱい忘れてしまった」
涙があふれそうになる。
記憶を失ってしまったことが、その人への裏切りであることのように感じた。
ひどく後ろめたかった。
ルークさんが雪にでも触れるような繊細な手つきで私の頬にふれた。
「泣かないで、ノエル。
僕が教えてあげる。その話の続きを」
そうして彼は私の手を強く握り締めながら、語りだした。
「君は、僕と一緒に話していたんだよ。
僕は、君にこう言った。『だけど、人が人を手にする方法なんて結局、殺すというやり方が一番簡単なのかもしれない。人は変わるし、裏切るかもしれない』」
そうだ。そのセリフを聞いたことがある。
確かに、彼はそう言ったに違いない。
記憶の断片が次々に蘇っていく。
「そうだわ。私は、その後にこう言った。『じゃあ、あなたが誰かのものになりそうだったら私はあなたを殺そうかしら』と」
そうだ。
私は、こんな会話をしていた。
霧が晴れたように何もかも解決した気がした。
好きだった人の顔も声も思い出せない。
だけど、私の隣にはあなたがいた。
なくしていたパズルのピースがはまる音がした。
この会話の相手に私が恋をしていたというのなら。
ぼんやりとしている彼が私の初恋の相手だというのなら。
「私はあなたに恋をしていたのね」
彼は、はちみつ色の瞳でまっすぐ私を見た。
一瞬だけ、その瞳には暗い色が宿った。
けれども、それは幻のようにすぐにかき消されてしまった。
「ああ、そうだよ。君は僕に惚れていた」
そうルークさんは、優しく笑った。
彼が逆光に当たっているせいか、輝いて見える。その太陽みたいに眩しい笑顔は、私を導き出口の見えなかった暗闇から救い出してくれるみたいだ。
この世のものとは思えないほど、優しく切なく美しい笑顔だ。
「私は、記憶を失ったダメな女だから、一人で生きていくことなんてできない。これからもあなたに私のことを支えてもらいたいの」
「喜んで」
ルークさんは、私の手を取り、手の甲に軽くキスをした。
まるで、お姫様に忠誠を誓う王子様みたいだ。
思わず頬が赤く染まる。
「僕のことはルークと呼んで」
はちみつのように甘く、夏風のように爽やかな色をした声にドキリとした。
「……ルーク」
彼の名前をそっと音にした。
うわあ。男の人を呼び捨てにしてしまった。
だけど、この方がしっくりくる気がする。
「僕はノエルが好きだ」
「私はあなたを愛することにするわ。かつてあなたを愛していたように」
私がこの人に抱いて思いは、恋だ。
過去の感情に引きずられる必要はない。
だけど、私が誰であるかをはっきりさせるためにも、誰が好きか、何を好きかで自分を語りたい。
自分が自分である証が欲しい。
だから、私はこの人に恋することにしよう。
「ノエル・ハルミトン。僕と結婚してください」
彼の瞳には暖かい色が宿っている。
彼と同じ空間には、幸せのオーラが溢れている気がした。
もう何も怖いものがない気がした。
「はい」
私は、彼の手を強く握り返した。
* *
ずっと昔のことだった。
小さなノエルは、エリックと会話していた。
『大好きな少女を殺すなんて死神はバカだね。私には理解不能だな』
『だけど、人が人を手にする方法なんて結局、殺すというやり方が一番簡単なのかもしれない。人は変わるし、裏切るかもしれない。殺せば誰のものにもならないとも言えるし、永遠に愛した人のものだけにもなるとでも言える』
『じゃあ、エリックが誰かのものになりそうだったら私はあなたを殺そうかしら』
『……怖え』
そして、その会話の通りノエルはエリックを殺そうとするのだけれども……。
僕も君を殺したいくらいだ。
それができないのなら、君以外の全ての男を殺せればいいのに。
僕に恋をしていたと思い込んでいたノエルを思い出す。
口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
この恋は僕のものじゃない。
恋の思い出を奪って自分のものにした。
それが悪いことだということはわかっている。
だけど、これからは僕のノエルでいて欲しい。
思い出を塗り替え、嘘をつき、騙してでも、ずっと側にいて欲しかった。僕に恋をしていると思い込んでいて欲しかった。
ノエルが記憶を取り戻す日が怖くてたまらなかった。
ルーク……。怖いね。