第5話
ダンジョン。
そこは決して表には出られない人間や家畜が野生化、凶暴化したものの住処でもある。そのためか見つからないように盗賊や賞金首自身のお宝を隠されている場所。
それを目当てに冒険者はダンジョンに潜るのだ。お宝を奪われないようにする罠はもちろん、逆に冒険者の装備を狙う者もいる。
ダンジョンは洞窟だったり昔の王族や貴族が住んでいた廃城、はたまたは空に浮かぶ大きな塔というのまである。
一口にダンジョンと言ってもいろいろある。古に滅びた国のお宝が眠っていたり、過去に生きた魔法使いの資産が残ってあることもあり、見つけたものは財宝だけではなく、名誉を手にすることもできる。
それ故に人は魅了され、金銀財宝に囲まれた自分や自身の英雄となった姿を夢見て、ダンジョンに潜り冒険者たちは命を賭けるのだ。
「―――ここがその洞窟」
日も暮れ、暗い森の中に囲まれた小さな祠、そのすぐ横に地下へと続く長い階段がうっすらと見える。
その小さな祠の上にランプを置きその光に照らされている3人の人影が映る。
ランプに照らされ、僅かに見える階段を見下ろす形で3人の男女はいた。
「姫」
細長い剣を腰に下げた女性は一言、傍らにいた暗闇でもわかる金色の長い髪をした女性にそう言って話しを続ける。
「本当にご一緒に行かれるのですか?」
眉を顰めて、ランプに照らされわずかに見えた青みがかった髪の女性―オイフェ―は心底心配そうな表情を見せた。
階段の奥の暗闇を目を向けたまま、その言葉に姫は小さく頷く。
「我々では姫を守りきる自信がありません。あまりにも危険すぎます」
オイフェは胸に手を置き、必死に姫を説得しようとする。
「一度街に帰りましょう。せめて明日まで明るくなるのを待ち、冒険者を雇いましょう。今行くよりも安全なはずです」
オイフェが懇請している相手―ユリアーネ―は視線の先にある階段を見て静かに沈黙している。
「オイフェさーん、そろそろ決めないとモンスターが寄って来ちゃいますよー」
ランプの光がその赤い頭を照らし、周囲を伺いながら力の抜けるような声で男は言った。
その言葉にオイフェはその男を一度横目に見て、ユリアーネの様子をもう一度見て、静かにこう言った。
「…我々の近くを必ず離れないようにお願いします」
オイフェは皮で出来た黒い手袋で包んだ手で祠の上に置いてあったランプを取り、階段を照らす。
「ゲル、お前は姫の後ろを守れ」
鋭く言葉を出し、オイフェは周囲を見回していた男―ゲル―の方を向いた。
「了解であります!」
右手を胸の前に置き、ゲルは元気に返事をした。
そんなゲルの様子にオイフェは軽く目を瞑りため息をついて、何故このような事になったのか、先刻前までにあった出来事を振り返った。
「その話しは本当か?」
ここはカータの最上階。その扉の前にオイフェは、その赤い短髪の頭を抑えているゲルに、もう1度声を潜めて聞き直した。
ゲルは先ほどオイフェに殴られた箇所をさすりながら話す。
「は、はい、確かです。レオン様はこの街の東にある洞窟でその行方を絶ったと」
今だ頭をさすっているゲルを尻目に、オイフェはどうしたものかと思案する。
(この話しを姫に話せばその情報を元に洞窟に行かれるのは手に取るように分かる。それも今すぐに)
(今、この情報を姫にお知らせするのはマズイ、もう日は暮れ、夜に差し掛かっている)
通路の先にある窓に視線を向ける。そして軽く目を瞑り考えを模索する。
(この時間に洞窟、いやダンジョンに入るのは危険すぎる。仮に行くとしても人手が足りない)
(…明日。この情報を明日、姫にお知らせしよう)
目を開き、姫のいる部屋の扉に視線をやる。
(―――レオン様からのお手紙が姫に送られなくなったのはもう1ヶ月になる。分かってはいたが、ダンジョンで行方が消えたとなれば、もう……)
視線を下げ、オイフェは顔を曇らせていた。
そんなオイフェの耳に何か軋むような音が入ってくる。
ふと視線を上げるとゆっくりと扉が開いていた。その先には金色の髪と金色の瞳、それと先程まで着ていた白い部屋着ではなく、周りに溶け込むようにと、購入した外出用の丈夫な革製の服に、その上には火に強い魔法のかかったクローク―少々値は張ったが―に着替えたユリアーネが立っていた。
「ひ、姫…」
オイフェは裏返りそうな声を喘ぐように出し、ユリアーネに視線を向けた。
そんな様子を知ってか知らずかゲルが嬉しそうにこう話した。
「姫!この街の西にある洞窟にレオン様がいるとの情報を耳にしました、確かな情報です!」
「ゲルっ!!」
オイフェのがなりと共に一際大きな鈍い音を立て、ゲルの悲痛な叫び声がその宿中に鳴り響いた。
そして今に至る。
(―――その後、なんとか説得しようとしましたが、レオン様のこととなると姫は一歩も譲りませんから……)
後ろにいるユリアーネの気配を感じながら、ため息を吐き、口を開いた。
「姫」
オイフェは後ろを振り返りながら、右脇にある全長50センチ程の短剣を、鞘ごとユリアーネに渡しながら話を続ける。
「護身用です。念の為にこの短剣をお持ちください」
「足元にはガレキや錆びた鉄の破片などが散らばってあります、お気を付けくださいますように」
ユリアーネの目を見ながら、はっきりとした口調で話す。
「この先は大変危険です、ここからは私の指示に従い、行動してください」
頷くユリアーネを確認した、オイフェは再び前を向き、真っ直ぐと暗闇に続く階段の先を見る。
目を閉じてゆっくりと息を吐く。
(この先には痴れ者やモンスターといった危険な存在が多く潜むダンジョン…)
ゆっくりと開くその瞳には、強い光が宿っていた。
(例えこの身が朽ち果てようとも、姫だけはお守りしなくては)
前に広がる暗闇を、左手に持つランプの光でかき分けながら進んでいく。右手を腰にある細い剣の柄を握り締め、周囲を警戒して階段を降りていった。
暗闇に2つの光が見える。
微かに漂う血の臭い、それと遠くでネズミの鳴く声がする。
そして3つの足音。ランプの取っ手が軋む音を立てながら、その一行は進んでいく。
「あっついなー……」
後ろをついてくる男が気怠げ声を漏らす。
男は手に持ったランプを周囲の闇に当てながら話しを続ける。
「しっかし静かッスねー。本当にこんな所で見つかるんスかねー」
ゲルは左腕につけている弓のようなものを手で確認しながら誰に話すでもなくただ声を出し続けた。
「まあ、情報だとここであってるんスけどねー。いるといいですねー、レオン様」
一番前を歩くオイフェは何も言わずに警戒しながら進んでいく。
「それに見つかったとしても、帰るときに食料持ちますかねー」
オイフェはゆっくりと歩みを止めた。それにつられて後ろを歩いていた2人も足を止める。
当然足音も止まり、ダンジョンには遠くから聞こえるネズミが這う音しか聞こえなくなった。
「オ、オイフェさん?」
歩みを止めたオイフェにゲルは怯えたように声を掛ける。
「―――」
「い、いやなんというか、その」
ゲルは慌てるように声を出し話を続ける。
「ひ、姫が退屈しないようにと」
「―――ゲル」
そんなゲルに一言だけ声をかけた。
「何か変じゃないか?」
オイフェの言葉に虚を突かれたのか、目を点にして言葉を返す。
「変?」
「ああ、確かに静かすぎる」
ランプの光で周囲を照らしながらそう言った。
「かなり奥まで潜ったが、モンスターどころか罠の1つもない」
「これではダンジョンではなく、ただの洞窟だ」
オイフェは目の所まで上げていたランプをゆっくりと下ろす。
「ガセでも掴まされたか、あるいは―――」
警戒は解かずにゲルに目線を送り、口を開く。
「あるいは?なんだいお嬢ちゃん」
オイフェは視線を戻し、前に広がる闇に目を凝らす。
その暗闇から2人の男が姿を現した。
1人は体は小さいが、暗闇からも確認できる程にその両腕が不自然なほどまでに盛り上がっている。
もう片方の男は背の高さこそ普通だが、体が枝のように細く両腕は地面につくほど長い。
「こんな危ない所でお嬢ちゃん達は何をやっているのかな?」
筋肉質の男がゆっくりと歩きながら話をかけた。
「…この先に用があるんだ、退いてくれないだろうか」
6メートル。視線を近づいてくる2人の男に向けながら、オイフェは静かに提案をした。
「だからこの先は危ないって、お嬢ちゃん達が心配で言っているんだよ?」
男は歩みを止めず、その盛り上がった両腕を軽く広げながらさらに話す。
「行くにしても帰るにしても、おじさん達心配で心配で。そうだ、俺らも一緒に行こう。これなら安全だ」
オイフェ達に向かってくる筋肉質の男は、名案だと言いたげに微笑みを浮かべている。
5メートル。そんな2人の男から視線をそらさずに、オイフェはランプを離し、地面に落とす。
そして腰の剣を右手で静かに抜き、剣先を地面に付ける。
目を鋭くし、ゆっくりと腰を落とす。
ランプの火がオイフェの体を照らし出している。
筋肉質の男は困った顔をしてこう話した。
「お嬢ちゃん達のために言っているんだぜ?命までは取りはしないよ」
4メートル。その問いにオイフェは何も答えず、2人の男の武器を目で確認する。
筋肉質の男の両手の甲には鉄製の装備がされている。そして、もう一人の男、その腰には60センチ程の大きさの短剣が2つかかっていた。
何も言わないオイフェに男は首を振りながら言葉を吐いて止まる。
「やれやれ」
オイフェの体が僅かに揺れ、痛みが走る。
痛みの走った場所は右肩の関節部、それも後ろからの衝撃。
右手に力が入らず、剣を落としてしまう。
オイフェは視線を後ろに送る。
2メートル先にオイフェがユリアーネに持たせていた短剣を、ユリアーネの首筋に刃を向けているゲルが見えた。
「動くなよ?オイフェさん」
顔を歪ませてユリアーネの体をランプを持った左腕で首を絞めながらそう言った。
さらに腕につけていた弓らしきもの―ボウガン―に矢を装填し、オイフェの右の太ももを打ち抜いた。
「ぐっ」
その痛みで小さく呻き声を上げ、オイフェは地面に左膝を付けてしまう。
「だから言ったのに」
筋肉質の男は顔をニヤつかせながら首を振る。
体を動かそうとオイフェは右足に力を入れるが、上手くいかないのか体がよろめき、左手を地面につけてしまう。
「そっちのお嬢ちゃんが俺らが貰うんだよな」
筋肉質の男は、ゲルが人質に持っているユリアーネを指差しそう言った。
「そうそう。で、そっちにいるオイフェさんは俺」
短剣をオイフェに向けながらゲルはそう言った。
男たちの話しが耳に入ってくる。肩から血が流れ、腕を伝い、右手から地面に落ちる。
再び、歩いてきた2人に視線を送り、頭を下げる。
2メートル。右肩が熱い、腕はともかく、右手には力が入らない。太ももも痛むが、足には力が入りそうだ。
前には2人の敵、実力は未知数。今の状態で手を出すのはマズイ。ならば―――。
「こっちの嬢ちゃんも俺たちにも楽しませてくれよ」
筋肉質の男は、オイフェを指差しながら、ゲルに話す。
それを聞いたゲルは眉を顰めながら、嫌そうに言葉を返す。
「だめだよ、そういう約束はしてないだろ」
「今決めたんだ、いいだろ?」
ゲルと筋肉質の男は話を続ける。
「約束は約束だ、いい加減にしろ」
「おいおい、今の状況を見てどっちが不利か分かんねぇのか?」
筋肉質の男は隣にいる細身の体をしている男を見てそう答えた。
腰に垂れ下がっていた短剣を手に取り体の細い男は、目をギョロつかせながらゲルを見た。
(―――ここだ)
オイフェは左足でランプの火を消し、左手で落とした剣を手に取る。
「なに?」
2人の内どちらかの男が声を上げる。
痛む右足に力を入れて、後ろに飛ぶ構えをした。―――それと同時に風を切る音が前から聞こえる。
(ふっ!)
左の剣を振り上げ、飛んできた何かを弾いた。
その音に反応したのか、再び、さっきと同じ風切る音が聞こえ、こちらに向かってくるのが分かった。
オイフェは後ろに跳び、回避。先程までいた場所に何かが刺さる音がした。さらにゲルが持っているランプの手前で止まる。
ゲルの目には、鋭い目をしたオイフェがそのランプに照らされこちらに跳ね上がり、振りかぶる姿が映る。それを見て焦ったゲルはユリアーネを盾にする。―――その直前に一瞬、光がゲルの視界に走る。
ランプが落ち、足元が照らされる。
「え?」
ゲルは小さくそう呟き、動きを止めた。オイフェはそんなゲルに構わずに蹴り飛ばし、ユリアーネを取り返した。
後ろから2つの走ってくる足音が聞こえる。オイフェはユリアーネを血塗れの右腕で抱え、右に続く暗闇に音を立てずに走り出す。
後方からはゲルの悲鳴が遅れて聞こえてくる。
「お、俺の俺のう、うでがぁ!」
暗闇の中で荒い息遣いが聞こえる。
体のほとんどが血塗れの女は、腰にある袋から包帯を取り出し、自身の怪我の治療をしながら小さく喘ぐようなうめき声を上げている。
その傍らで暗闇をぼんやりと見つめている、もう一人の女性は、服は血で塗れているが怪我はない。
「姫」
治療をしながらその女性―ユリアーネ―に話を掛ける。
「このような格好で姫と会話をすることをお許しください」
今しがた走ってきた暗闇を横目に見つつ、急いで話を続ける。
「私の部下が大変失礼をしました」
オイフェはその体勢で頭を下げる。
「お怒りは重々承知ですが、今しばらくはそのお怒りをお静めください」
何も言わないユリアーネにオイフェは頭を下げたまま、さらに話を続ける。
「私はこの通り、姫を満足に守れることができない状態です」
「今は目の前の脅威を取り除くことで精一杯です」
「申し訳ございませんが、今日はレオン様の探索は不可能でございます」
頭をさらに深く下げて、オイフェはユリアーネに進言した。
「この場所を抜け出し、今回の所はお城に帰還しましょう」
そしてゆっくりと時間だけが過ぎていく。ユリアーネは何も言わない。
応急処置が終わり、腰の袋に治療道具を直しながらこう思う。
(―――やはり頷かれませんか)
頷く気配のないユリアーネにオイフェは項垂れる。
裏切り者のゲルを頭に浮かべながらオイフェは思考する。
(それに多分、このダンジョンにレオン様は…)
その事を話そうとオイフェはユリアーネに言葉を出す。
「姫」
力なくそう言って、さらにオイフェは話しを続けようとする。その時、暗闇、それもオイフェ達が逃げてきた方向から足音した。それも複数の足音だ。
「姫、行きましょう」
オイフェは立ち上がり、ユリアーネの手を取り、足音がするその反対の暗闇に静かに進んで行く。
「っ!」
足をもっと早く動かそうとしたオイフェの足に痛みが走る。
(歩くことはできるが、無理な動きはできないか…)
そう思い、オイフェは可能な限りのスピードで、後ろから聞こえる足音から遠ざかろうと歩きを早めた。
(なんだこの臭いは…)
聞こえるの足音を背にオイフェらは今だに外には出られず、この暗闇の中をさまよっていた。
警戒しつつ、進んでいるオイフェの周囲にむせるような臭いが立ち篭めている。
歩きながらオイフェは腰の袋から布で出来たハンカチを出し、ユリアーネに渡す。
「どうぞ」
「ご気分が悪くなった場合はすぐにお知らせください」
声を潜めながらそう言って、オイフェは真っ暗闇をユリアーネと共に突き進んだ。
さらに臭いがきつくなる。嗅いだ事のある臭いだ。それも何度も。
オイフェ達の足音が変化した、それも雨の中で歩くような水が含んだ音。
足元からもこの臭いがする。
(―――血、か)
歩けば歩くほどその血の臭いがきつくなる。呼吸をするのにも辛いほどに。
オイフェはユリアーネを横目で見る。少し気分が悪そうだ。だが後ろから足音が聞こえる、休むわけにはいかない。
(もう少し我慢してもらうしかないか)
そしてようやくその血の池地獄のような場所を抜けて、オイフェはホッと一息ついた。
ユリアーネの顔にも少し安心した表情が出た。
(姫が表情を表に出すのは珍しい…)
その様子を見ながら、オイフェ達は先を進む。
―――前方の暗闇から気配がする。
すぐさま、オイフェはユリアーネを後ろにかばい、左腰の鞘から剣を抜く。
右腕に力を入れようとする、が、血を流しすぎたのか、感覚が麻痺してうまく動かせない。
(血は止まったがさっきよりも動かない……これでは姫を抱えて逃げることができないか)
息を鋭く吐く。
「姫」
「私から離れませんようお願いします」
そう言って視線は前の暗闇に、目は鋭く、そして構えた。
暗闇には2つの影が見える。
暗闇になれたオイフェはその2人の姿を確認することができた。
体の細く両腕の長い男、それと前腕から先がない男―ゲルが見える。
「遅かったじゃないですか、オイフェさん」
いつもと変わらない顔で、いや目をぎらつかせながら言葉を出した。
その隣には腕の長い男が何も言わずに、ただ無言でこちらに目を向けている。
相変わらず後ろからはこちらに向かってくる水を含んだ足音が聞こえてくる。
オイフェは静かに呟いた。
「陽動か」
その言葉にゲルはニヤッと笑い、両腕を軽く広げ、声に出した。
「その通り!これもこの俺の作戦です、すべて俺の計算道理に事は運びました!」
得意げにゲルは声を高らかに上げた。
その様子にオイフェは軽く呆れた表情をして声を出す。
「これもって事は、やはりデマか」
「この洞窟はここ1ヶ月程前から何も住んでいないそうです、野生の動物も人も。―――いやネズミがいたってことは探せば見つかるのかな、動物」
オイフェらに指を指し、こう言った。
「そこで最近、この洞窟ではこういった事に利用している人間が増え始めているんです」
話を聞いていたオイフェは視界に2人を入れながら、細い男の動きを警戒して言葉を出した。
「この3日間、何をしていると思えばそういうことか」
その言葉にカチンときたのか、ゲルは顔を険しくし、オイフェに向かって挑発するようにこう話した。
「そんな口が聞けるのは今のうちだ、俺ら3人を相手にこの状況をどうにかできるなんて思っているんじゃないだろうな?」
それを聞いてオイフェはただ一言。
「―――ゲル」
「はっ、はい!」
怯えたような声で背筋を伸ばし大きな声で返事した。
「あまり言葉を荒らげるんじゃない、品性を疑われるぞ」
きっぱりとした声でオイフェはゲルに話をした。
「はい!―――ってうっさいな!オイフェ!」
「オイフェ?」
もう一度、大きく返事をした後に相手を呼び捨てにしたゲルだが、それに反応したオイフェはゲルに疑問をぶつけた。
オイフェの声に反応して小さく呟くように言った。
「……オイフェさん」
「おい」
隣の男がゲルに呆れたふうに声を掛ける。
それに慌てたふうにゲルはこう言った。
「じ、時間稼ぎだよ。矢に塗った毒がそろそろ効いてるんじゃないかな」
それを聞いて、先程から動かないオイフェの右腕の感覚を確かめる。
(腕が痺れているのは、血の流しすぎではなかったのか)
右足をゆっくりと動かそうとするが、痺れて全く感覚がなかった。
乾いた地面を歩く音が後ろから聞こえてくる。
(……マズイ)
そのオイフェの様子を見ていた、両腕の長い男は短剣を構え、呟くように言葉を出す。
「あながち無駄ってことではなさそうだな」
「あんまり傷をつけないでくださいよ。この俺の腕をこんなにしてくれたお礼をたっぷりしたいんですから…」
ゲルは自身の左手のあった場所をさすりながら、そう言った
オイフェはゲルの左腕に目を送る。その腕には革で出来た物で覆われて、血は止まってた。
その視線に気がついたのかその腕を上げてこう言った。
「ロッキンさんに無理やり焼いて、血の流れるのを防がれたんです。すっごく熱かったんですから」
目を再びぎらつかせながらそう言葉を吐いた。
その言葉にオイフェは一瞬体を止め、言葉を出した。
「姫に触れた痴れ者を、切って捨てた。ただそれだけだ」
オイフェのその言葉には今までとは違い、覇気の篭っており、そして話しを続けた。
「ゲル。貴様、姫の首に手をかけて、あまつさえ刃を向けていたな」
目を鷹のように鋭くし、ゲルをただ見る。そんなオイフェの姿にゲルは体をびくつかせる。
さらに隣にいる男を見て、言葉を出す。
「貴様は姫を辱めようとしていたな」
細い体の男は、無言で短剣をオイフェに向ける。そんな2人を視界に入れながら、一息にその言葉を吐いた。
「姫の前に立ち塞がる有象無象全て切る」
そこで一旦区切り、小さく呟くよう静かに言った。
「―――来い」
その声のすぐ後、後ろから風を切る音を大きく立てながら、勢い良く何か飛んできた。
「姫!」
オイフェはユリアーネを左腕で抱えて、真横に跳んだ。
その勢いでオイフェらは壁に叩きつけられる。それと同時に先程までオイフェらがいた場所に、何か大きなモノが目にも止まらぬ勢いで通り過ぎていった。
「あいたっ!」
ゲルの声が響き、地面を削るような音が聞こえた。
「ぐっ…」
痛む体を起こしながらオイフェは、一度視線をゲル達のいた方向と何か大きなモノが飛んできた暗闇を交互に見て、ユリアーネに話を掛ける。
「平気ですか?姫」
壁に当たった衝撃で気絶したのかユリアーネはオイフェに寄りかかり、顔を伏せていた。
そんなユリアーネの揺り起こそうとしたオイフェの耳に足音が入ってきた。
暗闇からだ。その何かが飛んできた暗闇から、足音が聞こえてくる。
壁に当たった2人分の衝撃が尾を引いているのか、オイフェは上手く動かない体に鞭をいれ暗闇を睨む。
そんなオイフェの耳に聞き逃すことのできないことが入ってきた。
ゲルは上に乗っていたモノを退かしながらこう言った。
「こっれっ!おっもいな!」
それを退けてようやくそれが何なのかを見る。
「え、あれこれって。―――ロッキンさん?」
(―――何?)
その言葉を聞いたオイフェはゲルの方向を向く。
オイフェの目からは、それがロッキンと呼ばれた男なのかどうか、暗闇で確認することは出来ない。
ゲルは慌てるように何かを叫んでいる。
「ヒュロさん!ヒュロさん!ロッキンさんが死んでますよ!ってあれ、ヒュロさんがいない」
足音の近づいてくる暗闇に目を向けた。
無言でまだ感覚のある左腕と左足を使い、ユリアーネを守るように前に出る。
カチカチと何か音がする。
(何だ、この感覚は。とうとう毒が全身を回ったのか?)
歯と歯がぶつかり、カチカチと音を立てている。
オイフェの左手が僅かに震えている。
(―――体がざわつく、心臓が五月蝿い、何故だ、体の震えが止まらん…!)
その真っ暗な闇から姿を現したモノ、それは右手には黒い槍を携え、左手には黒い布を持ち、瞳には黄緑色の光が宿り、頭から足の先まで全身が血塗れになった男―――その男が僅かに笑みを浮かべ、オイフェの眼前に立っていた。
その姿を視認した瞬間、オイフェは剣を地面に落とし、顔はゲルに裏切られ、ユリアーネを人質に取られた時とは比べ物にならない程、表情が絶望に覆われていた。
その男はゆっくりと言葉を吐いた。
「――――――その殺し合い、私も混ぜろ」
少し長めのお話でした、次からはまた普通の長さに戻ります
次の投稿は、明日の夜8時~10時に行います。