婚約破棄された子爵令嬢ピーチは、転生知識を利用して馬車の駅や温泉に産地直売所を作ったら、元婚約者の領地が没落しました!
第一話 浮気された子爵令嬢、伯爵家三男を婿養子に迎えることになる
春の陽射しが庭園いっぱいに降り注いでいた。
色とりどりの花が咲き誇るローゼンベルク子爵家。
その庭園で、一人の少女は静かに紅茶を飲んでいた。
ピーチ=ローゼンベルク。
十七歳。
この世界では子爵令嬢。
けれど、その中身は違う。
(また異世界なのね……)
前世では日本で働く会社員だった。
仕事帰りにトラックを避けようとして事故に遭い、気が付けば赤ん坊としてこの世界に生まれていた。
最初は戸惑った。
魔法があり、貴族がいて、騎士がいる世界。
しかし今では、それなりに楽しく暮らしている。
……今日までは。
「ピーチ様!」
侍女のメイが青ざめた顔で駆け込んできた。
「大変です!」
「どうしたの?」
「エリオット様が……」
婚約者の名前だった。
「街で別の女性と腕を組んで歩いているところを、多くの方が目撃したそうです!」
「……そう」
驚くほど冷静だった。
実は数日前から気付いていたのだ。
最近、彼はデートを断るようになった。
贈り物もない。
手紙の返事も遅い。
そして今朝。
彼の上着から甘い香水の香りがした。
(やっぱりね)
前世でも何人もの浮気男を見てきた。
言い訳まで、だいたい同じである。
「誤解だ」
「仕事だった」
「向こうから迫られた」
どうせそんなところだろう。
すると玄関が騒がしくなった。
「ピーチ!」
父が珍しく慌てた様子でやってくる。
「今すぐ応接室へ来なさい」
「はい」
応接室に入ると、そこには婚約者エリオットと、その父である男爵が座っていた。
しかし、二人とも視線を合わせようとしない。
「……それで?」
ピーチが静かに尋ねる。
エリオットは観念したように口を開いた。
「好きな女性ができた」
予想どおりだった。
「彼女と結婚したい」
「だから婚約を解消してほしい」
部屋が静まり返る。
普通の令嬢なら泣いていただろう。
だがピーチは違った。
「分かりました」
「え?」
全員が固まる。
「浮気する方と結婚しても幸せにはなれません」
「婚約は解消しましょう」
あまりにもあっさりした返事だった。
エリオットの顔が引きつる。
もっと泣き叫ばれると思っていたのだろう。
「……悪かった」
「お気になさらず」
ピーチは微笑む。
「あなたにも幸せになる権利があります」
「もちろん私にも」
その一言が妙に胸へ刺さったらしい。
エリオットは何も言えなくなってしまった。
二人が帰ると、父は深いため息をついた。
「すまない……」
「父上が謝ることではありません。」
「しかし、このままでは跡継ぎが……」
ピーチは一人娘。
子爵家を継ぐには婿養子が必要だった。
そこで父は一通の手紙を取り出した。
「実は以前から話があった」
「伯爵家三男のアプル殿だ」
伯爵家。
しかも三男。
「本来なら家督は継げない立場だが、非常に優秀で誠実な青年らしい」
「婿養子に来てもいいと言ってくださっている」
「え?」
まさか、そんな話が進んでいたとは。
「もちろん嫌なら断る」
「だが一度会ってみないか?」
その時だった。
窓の外で、一人の青年が庭師を手伝っている姿が見えた。
貴族とは思えないほど自然に土に触れ、倒れた植木鉢を直し、小さな子どもへ優しく笑いかけている。
「申し訳ありません」
「花が折れてしまったので、植え直しておきました」
使用人たちが感謝の声を上げる。
「ありがとうございます!」
誰よりも先に体を動かく青年。
金色の髪。
優しい青い瞳。
整った顔立ちなのに気取った様子はない。
「あの方が……」
「アプル殿だ」
父が笑う。
「予定より早く到着されたようだ」
ピーチは思わず見つめてしまう。
(浮気男とは、ずいぶん違う人。)
その時。
アプルがこちらに気付いた。
優しく一礼する。
それだけで不思議と胸が温かくなった。
(この人となら……。)
まだ恋ではない。
けれど、未来への期待は確かに芽生えていた。
浮気で終わった恋。
それは、新しい幸せの始まりでもあった。
◇
第二話 伯爵家三男アプル、理想の婿養子だった
翌日の昼。
ピーチは応接室で少しだけ緊張していた。
窓から差し込む春の陽射しが、白いテーブルクロスを優しく照らしている。
やがて扉が開いた。
「失礼いたします」
昨日庭で見かけた青年が入ってきた。
伯爵家三男、アプル=グランディア。
二十歳。
金色の髪に澄んだ青い瞳。
整った顔立ちだが、貴族特有の尊大さはまるで感じられない。
彼はピーチの前まで歩くと、深々と頭を下げた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」
二人は向かい合って席に着く。
沈黙が流れた。
普通なら気まずくなる場面だったが、不思議と嫌な空気ではない。
先に口を開いたのはアプルだった。
「まず最初に、お伝えしたいことがあります」
「はい」
「昨日、婚約破棄のお話を耳にしました」
ピーチは少しだけ目を伏せる。
「つらい時期に、このようなお話を持ち込んでしまい申し訳ありません」
「……」
「もし少しでもお気持ちの整理がついていないのでしたら、この縁談は断っていただいて構いません」
その言葉に、ピーチは思わず顔を上げた。
(断ってもいい、と最初に言うなんて)
前の婚約者なら、自分の都合しか考えなかった。
目の前の青年は違う。
まず彼女の気持ちを考えてくれている。
「ありがとうございます」
自然と笑みがこぼれた。
「お気遣いだけで十分嬉しいです」
アプルも穏やかに微笑んだ。
「安心しました」
紅茶が運ばれてくる。
甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
しばらく世間話をした後、ピーチは気になっていたことを尋ねる。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「どうして婿養子になろうと思われたのですか?」
伯爵家の三男とはいえ、貴族の男性が他家へ婿入りするのは珍しい。
アプルは少し照れたように笑った。
「実は、兄が二人いるんです」
「長男は父に似て政治が得意で、次男は騎士団長として期待されています」
「私は……」
少し肩をすくめる。
「農業や領地経営の方が好きなんです」
「農業ですか?」
「はい」
そう言ってアプルは楽しそうに話し始めた。
「新しい農具を試したり、作物の育て方を研究したりするのが好きで」
「去年は寒さに強い小麦を試験栽培しました」
「収穫量が三割も増えたんですよ」
その目は少年のように輝いていた。
家柄や武勇ではなく、領民の暮らしを良くしたい。
そんな思いが伝わってくる。
(この人、本当に領地が好きなんだ。)
ピーチは前世を思い出す。
営業成績ばかり自慢する人より、黙々と仕事を頑張る人の方が信頼できた。
アプルも同じだった。
派手ではない。
でも、一緒に歩んでいけそうな安心感がある。
「実は……」
今度はピーチが話し始めた。
「私も領地を豊かにしたいと思っているんです」
「本当ですか?」
「はい。」
「前……いえ、小さい頃から、お菓子や果物の加工品を特産品にできないか考えていて」
「例えばジャムや果実酒、それに焼き菓子などです」
アプルの瞳がぱっと輝く。
「素晴らしいですね!」
「果樹園と加工場があれば、雇用も増えます」
「収穫できなかった果物も加工できますし、冬でも売れます」
二人は夢中になって話し込んでいた。
気が付けば一時間以上経っている。
部屋の隅では父と執事が目を丸くしていた。
「旦那様」
「ああ」
「こんなに楽しそうに話すお嬢様を見るのは初めてです」
父は静かにうなずく。
昨日まで婚約破棄で傷ついていた娘が、今日は未来を語って笑っている。
その姿だけで十分だった。
帰る時間になると、アプルは立ち上がった。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
玄関まで見送ると、アプルは少しだけ緊張した表情になる。
「あの……」
「はい?」
「もしご迷惑でなければ」
一呼吸置いて続ける。
「もう一度、お会いしていただけませんか」
「次は婚約者候補としてではなく、一人の人として」
その言葉に、ピーチは自然と笑顔になった。
「喜んで」
アプルも安心したように微笑む。
「では、次回は領地をご案内します」
「ぜひ」
馬車がゆっくりと屋敷を後にする。
その姿を見送りながら、ピーチは胸に手を当てた。
(不思議)
昨日まで失恋の痛みでいっぱいだった心が、少しずつ温かくなっている。
浮気された過去は変えられない。
でも、その出来事があったからこそ、新しい出会いがあった。
ピーチは青空を見上げ、小さく微笑んだ。
この縁が、きっと幸せな未来へと続いている。
そんな予感がしていた。
◇
第三話 子爵令嬢ピーチ、領地を大改革する
婚約が正式に決まってから一か月。
伯爵家三男アプルは、正式にローゼンベルク子爵家の婿養子として迎えられることになった。
領民たちは最初こそ「伯爵家のお坊ちゃま」と身構えていたが、その心配はすぐに消える。
「おはようございます!」
朝一番に畑へ向かうアプルは、農夫たちより早く畑に立っていた。
「昨日の雨で水はけが悪くなっていますね。こちらの溝を少し深くしましょう」
「若旦那様、本当に鍬を持つんですか?」
「もちろんです」
泥だらけになりながら笑う姿に、農夫たちは大笑いした。
「こんな貴族様は初めてだ!」
「これなら俺たちも頑張れる!」
屋敷の窓からその様子を見ていたピーチも、自然と笑みを浮かべる。
「本当に素敵な人……」
◇
数日後。
領主館の会議室では、家臣たちが集まっていた。
「本日は領地発展計画について話し合います」
ピーチが立ち上がる。
机には一枚の地図が広げられていた。
「まずは駅を造ります」
「駅ですか?」
家臣たちがざわつく。
「はい」
アプルが説明を引き継ぐ。
「王都へ続く街道には、多くの商人が通ります。しかし、この領地は通過されるだけです」
「だからこそ、人が立ち寄る場所を作ります」
「なるほど」
「馬車が休憩できる駅ですね。」
「その通りです」
馬を休ませ、水を補給し、旅人が食事を取れる場所。
それだけでも商人は集まる。
「ですが、それだけでは足りません」
今度はピーチが笑顔で言った。
「私たちの領地には温泉があります」
部屋が静まり返る。
「あの古い温泉ですか?」
「ええ」
「今までは村人しか利用していませんでした」
「ですが、きちんと整備すれば立派な観光地になります。」
家臣たちは顔を見合わせる。
そんな発想は誰も持っていなかった。
さらにピーチは続ける。
「駅の隣にはレストランを造りま。」
「領地で採れた野菜」
「果物」
「お肉」
「牛乳」
「全部使います」
料理長が勢いよく立ち上がった。
「それは面白い!」
「新鮮な食材なら王都にも負けません!」
「料理人を増やしましょう!」
会議室は一気に活気づいた。
◇
工事は驚くほど順調だった。
駅舎は木の温もりを感じる建物。
旅人が休める待合室。
馬小屋。
井戸。
宿屋。
温泉へ向かう案内板。
そして、その隣には大きなレストランが完成した。
オープン初日。
駅へ一台の馬車が入ってくる。
「おや?」
「こんな場所に駅ができたのか」
商人たちは馬を休ませることにした。
「せっかくだから昼飯でも食べるか」
レストランへ入る。
すると香ばしい匂いが漂ってきた。
「おすすめはこちらです」
運ばれてきたのは、焼きたてのパン。
採れたて野菜のスープ。
炭火焼きの鶏肉。
甘い果物のタルト。
「うまい!」
「野菜が甘い!」
「肉も柔らかいぞ!」
店内はあっという間に満席になった。
食事を終えた商人たちは温泉にも足を運ぶ。
「これは最高だ」
「旅の疲れが全部吹き飛ぶ」
「次もここで泊まろう」
口コミは瞬く間に広がっていった。
◇
三か月後。
駅前は人であふれていた。
商人。
旅人。
冒険者。
貴族の馬車まで止まっている。
「若旦那様!」
「今年の野菜は全部売れました!」
「こちらはリンゴです!」
「ジャムも完売です!」
次々と嬉しい報告が届く。
ピーチは満面の笑みを浮かべた。
「よかった」
隣ではアプルも穏やかに微笑んでいる。
「まだ始まったばかりですよ」
「次は果樹園をもっと広げましょう」
「チーズ工房も作りたいですね」
「いいですね!」
二人は顔を見合わせて笑う。
そこへ執事が慌てて駆け込んできた。
「旦那様! 奥様!」
「王都から視察団が到着いたしました!」
「視察?」
「はい!」
「『たった数か月で急成長した子爵領をぜひ見学したい』とのことです!」
ピーチは驚きながらも、どこか嬉しそうだった。
前世の知識と、アプルの領地経営の才能。
二人で力を合わせれば、小さな子爵領でも人が集まる豊かな土地へ変えられる。
そんな確かな手応えを感じていた。
一方その頃――。
浮気相手と結婚した元婚約者エリオットの領地では、税収が減り始めていた。
彼はまだ知らない。
自ら手放した婚約者が、王国中で「奇跡の領主夫人」と呼ばれる日が近いことを。
◇
第四話 浮気した元婚約者、繁栄する駅前で現実を知る
ピーチとアプルが整備した馬車の駅は、半年で子爵領の顔となっていた。
朝になると、王都行きや地方都市行きの乗合馬車が次々と発着する。
御者たちは馬に水を飲ませ、旅人たちは駅舎で切符を買い、温かいパンとスープで朝食を楽しんでいた。
「こちら、王都行きが間もなく出発します!」
駅員の元気な声が広場に響く。
駅前にはレストランだけではない。
焼きたてパンの店。
農家直売所。
果物を使った菓子店。
温泉宿。
地元産のチーズやジャムを販売する土産物店。
休日ともなれば、多くの観光客で歩く場所もないほど賑わっていた。
「ピーチ様!」
商人ギルドの職員が笑顔で報告する。
「今月の農産物の売上は先月より三割増です!」
「温泉宿も満室が続いております!」
「レストランでは、新メニューのアップルパイが大人気です!」
ピーチは隣に立つアプルを見て微笑んだ。
「みんなが頑張ってくれたおかげですね」
「ええ。領民の努力が実を結びました」
アプルは誇らしげに駅前を見渡す。
「これからは花畑も整備しましょう。
春には花祭り、秋には収穫祭を開けば、もっと人が来てくれます」
「素敵です!」
二人の夢は次々と形になっていった。
◇
一方その頃。
「なんで客が来ないんだ!」
怒鳴り声を上げていたのは、元婚約者エリオットだった。
彼は浮気相手との結婚後、伯爵家の領地経営を任されていた。
しかし現実は甘くない。
「旦那様……」
執事が困ったように頭を下げる。
「商人たちは皆、ローゼンベルク子爵領を経由しております」
「うちでは休まず、そのまま向こうへ向かうようです」
「馬車の修理も、食事も、宿泊も全部あちらで済ませています」
エリオットは机を叩いた。
「そんな子爵領に負けるはずがない!」
「ですが……」
「温泉も駅もありません」
「農産物も加工品も評判で……」
「もういい!」
怒鳴るしかできなかった。
◇◇◇
数日後。
視察と称してエリオットはピーチの領地を訪れる。
駅へ着いた瞬間、彼は目を疑った。
「な……なんだ、この人の数は……」
広場は旅人でいっぱいだった。
駅員が案内し、御者が笑い、子どもたちが走り回る。
店には行列ができ、焼きたてパンの香りが漂う。
温泉へ向かう客が笑顔で歩いていく。
「信じられない……」
ここは以前、自分が「何もない田舎」と笑った場所だった。
その時だった。
「いらっしゃいませ!」
明るい声が聞こえる。
振り返ると、ピーチとアプルが領民たちと談笑していた。
「駅長さん、新しい時刻表はどうですか?」
「問題ありません、奥様!」
「来月から増便できます!」
「ありがとうございます」
ピーチは嬉しそうに笑う。
領民も自然と笑顔になる。
そこには以前のような、婚約者に振り回される令嬢の姿はなかった。
領民から慕われる領主夫人がいた。
エリオットは思わず近づく。
「ピーチ……」
彼女は静かに振り向いた。
「お久しぶりです」
それだけだった。
怒りも恨みもない。
ただ昔の知人を見るような穏やかな笑顔。
その態度が、かえってエリオットの胸を締めつけた。
「君は……幸せなのか?」
「はい」
即答だった。
ピーチは隣に立つアプルを見つめる。
「主人と一緒に領民の皆さんの笑顔を増やせる毎日が、とても幸せです」
アプルも微笑み返した。
「ピーチのおかげで、この領地は毎日新しい挑戦ができます」
「私一人ではここまでできませんでした」
二人は自然に手を取り合う。
その姿を見た領民たちから、温かな拍手が起こった。
「奥様、旦那様、お幸せに!」
「この領地はお二人のおかげです!」
歓声が駅前に響く。
エリオットは何も言えなかった。
かつて「地味な令嬢」と見下していた女性は、自分では決して築けない未来を手にしていたのだ。
その隣には、自分より身分が高いにもかかわらず、領民と汗を流し、誰よりも妻を大切にするアプルがいる。
「……帰るぞ」
小さくつぶやき、エリオットは背を向けた。
もう彼には、この場所に居場所はなかった。
駅前には、今日も新しい馬車が到着する。
旅人の笑顔と領民の活気に包まれながら、ピーチとアプルは次の夢を語り合っていた。
「次は王都直通の高速馬車路線も実現したいですね」
「ええ。その次は、もっと多くの人が『また来たい』と思える領地を作りましょう」
その言葉に、領民たちは力強くうなずく。
こうしてローゼンベルク子爵領は、「立ち寄るだけの場所」ではなく、「目的地として訪れたい領地」として王国中にその名を広めていくのだった。
◇
第五話 結婚したピーチ、新たな幸せをつかむ
春風が花びらを運ぶ、穏やかな朝。
ローゼンベルク子爵家の屋敷には、大勢の招待客が集まっていた。
今日は、ピーチとアプルの結婚式である。
庭園には色鮮やかな花が咲き誇り、駅前で人気となったレストランの料理人たちが腕を振るった料理が並ぶ。
焼きたてのパン。
領地産の野菜をふんだんに使った前菜。
温泉で育てた名物の虹鱒料理。
果樹園で収穫した果物のタルト。
「なんて豪華なんだ……」
「これが子爵家の結婚式なのか?」
招待客たちは驚きを隠せない。
しかし、本当に驚かされたのは料理ではなかった。
「国王陛下から祝辞が届いております!」
司会の声が響く。
会場がどよめいた。
さらに商業ギルドや農業ギルド、近隣領主たちからも祝いの品が次々と届けられる。
今やピーチ子爵領は、王国でも注目される成功した領地となっていたのだ。
祭壇の前で、アプルが優しく微笑む。
「ピーチ」
「はい」
「これから先も、君と一緒に領民を幸せにしていきたい」
ピーチは目を潤ませながら頷いた。
「私もです」
「あなたとなら、どんな困難も乗り越えられます」
二人は指輪を交換し、盛大な拍手に包まれた。
「おめでとうございます!」
「末永くお幸せに!」
駅員も、農家も、料理人も、温泉宿の女将も、誰もが自分のことのように喜んでいた。
それは、二人が領民とともに歩んできた証だった。
◇
一方その頃。
男爵家では重苦しい空気が流れていた。
「旦那様、大変です!」
執事が青ざめた顔で飛び込んでくる。
「何事だ!」
エリオットが声を荒らげる。
「今年も商隊の八割以上がピーチ子爵領を利用しております!」
「我が領内の宿場町は空室ばかりです!」
「市場も商人がおりません!」
「またか……」
さらに悪い知らせは続く。
「農民たちから減税の嘆願が出ていま。」
「収穫した野菜が売れず、税を納められないとのことです」
「くっ……」
エリオットは拳を握り締めた。
自分の領地には人が来ない。
商人は立ち寄らない。
宿は赤字。
市場も閑散としている。
その理由は分かっていた。
誰もが便利で活気あるローゼンベルク子爵領を選ぶからだ。
◇
そこへ、さらに追い打ちがかかる。
「旦那様!」
「今度は何だ!」
「伯爵家との共同事業が中止になりました!」
「理由は?」
「『経営能力に不安があるため』とのことです」
エリオットは椅子に崩れ落ちた。
信用まで失ったのだ。
その日の夕方には、長年取引していた商会からも契約終了の知らせが届く。
「採算が合わないので、今後はローゼンベルク子爵領との取引を優先いたします」
冷たい文面だった。
エリオットは手紙を握り潰した。
「どうしてこうなった……」
かつては、自分の未来は約束されていると思っていた。
浮気しても問題ない。
婚約を破棄しても困らない。
そんな慢心が、すべてを失わせた。
◇
一方、ローゼンベルク子爵領では。
結婚式から数日後、新たな計画が始まっていた。
「次は駅前に大きな市場を作りましょう」
ピーチが地図を広げる。
「毎朝、農家さんが直接販売できるようにしたいんです」
アプルも頷く。
「加工場も増設しましょう」
「ジャムだけでなく、チーズやハムも名産になります」
「温泉旅館も増やしたいですね」
二人は未来の話をするたびに笑顔になる。
そこへ駅長が駆け込んできた。
「旦那様! 奥様!」
「王都との定期便をもう一本増やしてほしいという要望が届きました!」
「本当ですか!」
「はい! 利用者が予想以上に増えています!」
ピーチは嬉しそうにアプルを見つめた。
「忙しくなりますね」
「ええ。でも、それだけ多くの人がこの領地を好きになってくれた証拠です」
二人は笑い合う。
窓の外では、新しい馬車が駅へ到着し、多くの旅人が楽しそうに街へ歩いていく。
領地は今日も活気にあふれていた。
一方、遠く離れた男爵領では、財政難に苦しむエリオットが、静まり返った宿場町を見つめていた。
かつて自ら手放した未来は、もう二度と戻ってくることはない。
その差は、これから先も広がり続けるのだった。
おわり




