第八話 間違った物差し
——魔法学院 実技評価室 午前
学期末実技評価は、担当教師が直接採点する形式だ。
今年から魔法実技の担当が変わった。
新任のドレーク・ゼルム教師。
王立魔法協会の元審査官で、火属性の上位術者。学院の廊下に貼り出された経歴書には「属性適性に基づく体系的魔法教育の推進者」と書いてあった。
——「体系的」という言葉が、思想の鎧として使われている。注意が必要な人物だ。
評価室には生徒が一列に並んでいた。
一人ずつ前に出て、指定された術式を展開する。採点基準は「出力量」「精度」「速度」の三項目。
私は列の最後尾で、前の生徒たちの術式を観察していた。
◆ ◆ ◆
採点は、想像通りの展開だった。
火属性の生徒が炎柱を展開するたび、ゼルム教師は満足そうに頷いた。
光属性の生徒が来ると、表情が一段明るくなった。
風属性のエルヴィンが完璧な竜巻術式を見せた時には、珍しく口元が緩んだ。
闇属性の生徒が来た時だけ、表情が固まった。採点はした。でも数字は渋かった。
属性によって評価の基準が変わっている。
「出力量」「精度」「速度」は建前で、実態は属性の序列に基づく採点だ。
十七人目。私の番が来た。
「グラウ・ルナ。無属性。」
ゼルム教師が出席簿を見た瞬間、表情が変わった。
困惑ではない。
決定だ。結論がすでに出ている顔だ。
「前へ。」
◆ ◆ ◆
指定術式は「火球の生成」だった。
火属性向けの術式を、無属性の生徒に課している。これは評価ではなく、確認だ。「やはり使えない」という結論の確認。
私は前に出た。
術式の構造を読む。
火球生成式——燃焼反応を局所的に誘発する標準術式。魔力消費〇・二単位。私の総量では一回で半分が消える設計だが、ダークエネルギー変換式を経由すれば消費はゼロに近い。
三秒で展開できる。
でも——
展開すれば、変換式の存在が露わになる可能性がある。第七話の証明が外に出るリスクが生じる。
私は何もしなかった。
正確には——内部魔力だけを使って、規定通りの術式を試みた。魔力〇・〇四単位。出力は極めて小さい。
ほとんど光らない、米粒ほどの炎が、一瞬だけ指先に現れて消えた。
沈黙。
「……以上か。」
「はい。」
ゼルム教師はペンを走らせた。
採点用紙に数字が並ぶ。私には見えなかったが、数字が何であるかは分かった。
「出力:不可。精度:測定不能。速度:規定外。総合評価——不合格。無属性については本来入学要件を満たさないが、特例入学のため評価記録のみとする。」
読み上げた内容に、抑揚がなかった。
——怒りも、嘲笑もない。単なる処理だ。存在しないものとして扱われている。
「下がれ。」
「はい。」
私は列に戻った。
◆ ◆ ◆
評価が終わり、生徒たちが解散した後も、私は廊下のベンチに座っていた。
ノートを開く。
第七話で書いた十二ページの証明の最終行を、もう一度読んだ。
「第四公理は誤りである。外部エネルギーの魔力変換は可能であり、術者の属性に依存しない。証明完了。」
ゼルム教師が使った採点基準は、二百三十年前の誤った公理の上に建っている。
「無属性は魔法を使えない」という前提は、誤った公理から導かれた誤った結論だ。
間違った物差しで測られた。
それだけのことだ。
感情を動かす必要がない。
正しい物差しは、私が持っている。
◆ ◆ ◆
「不合格、か。」
声がした。
顔を上げると、廊下の壁にエルヴィン・アストラが寄りかかっていた。
「記録の上ではそうなる。」
「悔しくないのか。」
私は少し考えた。
「物差しが間違っていた場合、測定結果は意味を持たない。悔しいという感情は、正しい評価を不当に低くされた時に生じるものだ。今回は前提が違う。」
エルヴィンが黙った。
「……意味が分からない。」
「いつか分かる。」
——あなたが第四公理の誤りを知った時に。
そこまでは言わなかった。
ノートを閉じて立ち上がった。
次の授業まで、あと十四分ある。
図書館で変換係数κの改良を進める時間として十分だ。
「待て。」エルヴィンが言った。
「ゼルムの採点は、学院の成績記録に残る。進級審査に影響する。」
「知っている。」
「それでいいのか。」
私は歩きながら答えた。
「進級審査の基準も、同じ公理の上に建っているなら——同じ問題を抱えている。私が心配することではない。」
廊下の角を曲がった。
エルヴィンの返答は、聞こえなかった。
◆ ◆ ◆
図書館の席に座り、ノートを開く。
κの改良。変換効率をさらに上げるには、波長パラメータの定義域を広げる必要がある。数式を展開する。変数が一つ、まだ定まっていない。
——いつか、この証明を出せる日が来る。第四公理が誤りだと世界が認めた時、今日の評価の意味も変わる。
それまでは、手を動かす。
問いがある限り、数学者は前に進む。
不合格の採点用紙は、もう頭の中にない。




