幕間 燃えるもの
——正教国 特殊騎士団詰所 夜
イルマ・クロースは、一人でいた。
報告書が机の上にあった。
「神の使徒の評議会が——ルナ教皇猊下への直接接触を計画している。」
読んだ。
もう一度、読んだ。
手が——少し震えた。
◆ ◆ ◆
あの夜のことを——思い出した。
報告書が届いた夜。
「王都北東の旧試験場で大規模な魔力爆発が発生した。爆発の途中で——消えた。」
その一行を読んだ時——イルマは声が出なかった。
でも——今夜とは違う震えだった。
あの夜は——歓喜の震えだった。
今夜は——怒りの震えだ。
◆ ◆ ◆
「消えた。」
あの夜、イルマは繰り返した。
「根源律の気配が北西の丘の方角から感知された。超長距離。」
「……あの方だ。」
疑いがなかった。
一ヶ月間——学院の周囲で感知されてきた、あの細い灰色の糸。
あの糸が——太くなった。
「あの方が——動いた。」
◆ ◆ ◆
イルマが特殊騎士団に入ったのは——五年前だった。
元は——亡命者だった。
父が評議会の構成員だった国から——逃げた。
「父の国が——何をしているか、知っていた。」
「だから——逃げた。」
正教国に来た時、神官が言った。
「あなたの過去は——あなたの罪ではありません。」
その言葉が——今も体の中にある。
◆ ◆ ◆
特殊騎士団に入った理由は——一つだった。
「評議会を——潰したかった。」
「父の国が——根源律を利用して世界を支配しようとしている。」
「それを——止めたかった。」
でも——特殊騎士団の訓練を受けながら、イルマは知った。
「止めることよりも——守ることが先だ。」
「守るべき者がいる。」
「ルナ教皇猊下が——来る。」
「その方を守るために——我らは存在する。」
◆ ◆ ◆
あの夜——報告書を読んだ時。
「来た。」
「ついに——来た。」
二百年間待ち続けた者への感謝が——溢れた。
「あの方は——来てくださった。」
「我らの血の意味を——証明してくださった。」
「……ありがとうございます。」
誰にも聞こえない声で——言った。
◆ ◆ ◆
でも——今夜。
「評議会が——接触を計画している。」
その一行が——イルマの中の何かに火をつけた。
「許さない。」
静かに言った。
感情的な言葉ではなかった。
宣告だった。
「あの方に——近づくことは許さない。」
「試みた者は——容赦しない。」
「苛烈に——報復する。」
◆ ◆ ◆
ガルデンが入ってきた。
「団長。報告書を確認されましたか。」
「した。」
「対応は——」
「苛烈に報復する。」
ガルデンが少し止まった。
「……リスクがあります。評議会を刺激すれば——」
「知っている。」
「それでも——」
「知っている。」
イルマが静かに言った。
「でも——あの方に近づこうとした者が——何の代償も払わないまま存在することを、私は許さない。」
「……団長。」
「感情的になっているわけではありません。」
「……そう見えますが。」
「見えていい。」
イルマが言った。
「ガルデン。あなたは長年の経験から——慎重に動くことを知っている。それは正しい。」
「はい。」
「でも——私は違う方法で動く。」
「なぜですか。」
「あの方が——王都を守った。誰の指示でもなく。効率的に。邪魔だったから排除した——それだけの理由で。」
「……はい。」
「その方が——評議会に利用されようとしている。」
「……はい。」
「それを——黙って見ていることが、私にはできない。」
◆ ◆ ◆
ガルデンが少し間を置いた。
「……承知しました。」
「全員に伝えてください。評議会の接触工作員を確認次第——排除。見せしめとして。」
「はい。」
「それから——」
イルマが少し止まった。
「大神官様には——私から報告します。」
「……怒られますか。」
「おそらく——止められます。」
「それでも報告するのですか。」
「はい。大神官様には——全て話します。」
「なぜですか。」
「大神官様が——あの方を最もよく知っているからです。」
「……大神官様に止められたら。」
イルマが少し間を置いた。
「止められたら——従います。」
「……団長らしくないですね。」
「そうですか。」
「セラフィア大神官だけには——従うのですか。」
「はい。」
イルマが静かに言った。
「大神官様は——あの方を血濡れた手で拾った人です。」
「私には——そんな資格がない。」
◆ ◆ ◆
ガルデンが出ていった。
一人になった。
イルマは机の上の報告書を見た。
「評議会。」
「……父の国の王が——評議会員だ。」
「父の国が——あの方を利用しようとしている。」
「私が逃げてきた場所が——あの方に近づこうとしている。」
拳が、少し強く握られた。
「……許さない。」
もう一度——宣告した。
◆ ◆ ◆
窓の外に——正教国の夜空が広がっていた。
「あの夜、あの方は動いた。」
「邪魔だったから排除した——それだけの理由で。」
「英雄的な理由ではなかった。」
「でも——」
イルマが静かに言った。
「だから——尊いのだ。」
「あの方は——計算して動く。」
「感情ではなく——論理で。」
「我らが信仰で動くように——あの方は論理で動く。」
「それでも——あの夜、あの方は王都を守った。」
「我らが二百年間守ろうとしてきた者たちを——」
「一瞬で——守った。」
◆ ◆ ◆
「ルナ教皇猊下万歳。」
夜の詰所で——イルマは静かに言った。
誰もいなかった。
でも——言った。
「あの方に近づく者は——絶対に容赦しない。」
「幾万の屍を築こうとも。」
「どれほどの血の雨と泥に塗れようとも。」
「教皇猊下の尖兵——神の尖兵たる我々が止まるわけにはいかない。」
「それが——我らの答えだ。」
「信仰ではなく——確信だ。」
夜空が、静かに広がっていた。




