幕間 光は降伏しない
——クロイツ公爵家 当主執務室 深夜
封書が届いたのは、深夜だった。
差出人は——王国騎士団だった。
エルネスト・ヴァンドール=クロイツは、封書を開いた。
読んだ。
もう一度、読んだ。
声が出なかった。
◆ ◆ ◆
机の上に封書を置いた。
窓の外を見た。
王都の夜景が広がっていた。
いつもと同じ夜景だった。
「オルヴァン。」
声に出した。
腹違いの弟の名前を、この口で呼んだことは——ほとんどなかった。
「お前は——死んでもまだ、私を煩わせるのか。」
◆ ◆ ◆
封書の内容を、頭の中で整理した。
公爵家と神の使徒との繋がりを示す証拠。
王立魔法協会への賄賂の記録。
神の使徒という組織への資金提供の記録。
全て——オルヴァンが集めたものだった。
「二十三年間。」
エルネストが静かに言った。
「お前は二十三年間——私の金で研究しながら、私の秘密を集めていたのか。」
怒りが来た。
静かな怒りだった。
でも——深かった。
◆ ◆ ◆
事実を整理した。
神の使徒への資金提供——これは事実だ。
直接関与したわけではない。
でも——知りながら、資金を出し続けた。
なぜか。
「利益があったからだ。」
エルネストは正直だった。
少なくとも、自分自身には。
神の使徒との繋がりは——公爵家の政治的な権力基盤を強化するためだった。
その組織が持つ情報網。
カルヴァーン王国との間接的な関係。
全部——利益だった。
「でも——」
エルネストが少し止まった。
「それが今、牙を剥いた。」
◆ ◆ ◆
王立魔法協会への賄賂。
これも——事実だ。
協会の特別研究部門に、過剰な予算が通るよう働きかけた。
オルヴァンの研究を守るためではなかった。
協会内部に影響力を持つためだった。
「情けだと思っていた。」
エルネストが呟いた。
「妾腹の弟を処理して、生かしておいてやる。研究者として。その程度の情けだと——思っていた。」
でも。
「お前はその情けを——武器にした。」
◆ ◆ ◆
「光の絶対支配。」
エルネストが言った。
この固有魔法が——クロイツ公爵家の正統性の根拠だった。
光属性の血統。
代々継承される力。
この国で最も高い場所に立つための——証明。
その名前が、今夜——汚れた。
「公爵家の名前が——神の使徒と並べて語られる。」
怒りが深くなった。
「光の——」
声が、途中で止まった。
「光の絶対支配を持つ公爵家が、闇の組織と繋がっていた。」
その言葉が——自分の口から出てくることすら、屈辱だった。
◆ ◆ ◆
「お前は最後に何を言ったのか。」
オルヴァンの死亡報告書を読んだ。
「公爵家に絶望あれ。」
その言葉が書かれていた。
「……絶望、か。」
エルネストが少し考えた。
「お前は——絶望させたかったのか。それとも——」
もう一つの可能性が浮かんだ。
お前は——何かを期待していたのか。
怒りで反応することを。
証拠を封じ込めようとすることを。
それで自分の正しさを——証明しようとしていたのか。
「……愚かな弟だ。」
でも——その愚かさが、二十三年間続いた。
怒りの下に——別の何かが、かすかにあった。
それが何か——エルネストには分からなかった。
分かろうとも、しなかった。
◆ ◆ ◆
考えを始めた。
感情は——脇に置いた。
「証拠は複数機関に届いている。封じ込めることはできない。」
「調査が来る。聴取が来る。」
「否定するか、認めるか。」
否定——証拠があれば意味がない。
認める——でも、どこまで認めるか。
「知っていたが、関与はしていない。」
この一線を守れるか。
実態はそれに近い。
神の使徒という組織の存在は知っていた。
でも——評議会という上層部の存在は知らなかった。
直接の関与はなかった。
「知っていた、という事実が——どこまで問われるか。」
◆ ◆ ◆
ジークハルトの顔が浮かんだ。
王宮騎士団副団長の弟。
「ジークハルトは——どう動くか。」
副団長として調査が入れば——ジークハルトも関わる。
兄を守るために動くか。
副団長として中立を保つか。
「……あいつは——どちらを選ぶか。」
エルネストには——分からなかった。
「私はあいつを——あまり見ていなかった。」
その事実が、今夜——初めて気になった。
◆ ◆ ◆
夜が明け始めていた。
エルネストは立ち上がった。
「光の絶対支配。」
もう一度呟いた。
その力を、今夜——行使する場所がなかった。
証拠は既に届いている。
光で照らしても——消えない。
「オルヴァン。」
窓の外を見ながら言った。
「お前は二十三年間——何を見ていたのか。」
答えは出なかった。
「……どちらにせよ——」
エルネストが少し止まった。
「お前の人生は終わった。でも——私の問いは、ここから始まる。」
朝の光が、執務室に差し込んできた。
光属性の男が——光の中で、影の問いを抱えた。
◆ ◆ ◆
召喚状が届いたのは、夜明けと同時だった。
エルネストは執務室の窓から正門を見ていた。
王国騎士団の騎士が、十二名。
正門の前に並んでいた。
「来たか。」
声に出した。
夜明けまでに来ると——思っていた。
その通りだった。
◆ ◆ ◆
召喚状を受け取った。
開いた。
「王命により、エルネスト・ヴァンドール=クロイツ殿を王城へ召喚する。神の使徒との繋がりに関する事情聴取のため。」
読んだ。
もう一度、読んだ。
「逮捕ではなく——召喚か。」
呟いた。
召喚と逮捕は——法的に違う。
召喚は任意だ。
でも——十二名の騎士が正門の前に並んでいれば、実質は同じだ。
「抵抗すれば逮捕になる。応じれば召喚のまま。」
「……応じる方が得だ。」
◆ ◆ ◆
使用人を呼んだ。
「礼装を用意しろ。」
使用人が驚いた顔をした。
「……はい。」
「最上等のものを。」
「承知しました。」
「それから——公爵家の紋章入りの外套も。」
「……はい。」
使用人が下がった。
エルネストは鏡を見た。
「光の絶対支配を持つ公爵家の当主が——王城に連行される。」
その言葉を、自分に向けて言った。
「どう見せるか。」
◆ ◆ ◆
正門に向かった。
礼装を着ていた。
公爵家の紋章入りの外套を羽織っていた。
十二名の騎士が整列していた。
先頭に——ジークハルト・ヴァンドール=クロイツが立っていた。
腹違いの弟だった。
王宮騎士団副団長だった。
二人の目が合った。
「……兄上。」
ジークハルトが言った。
「副団長。」
エルネストが答えた。
名前で呼ばなかった。
◆ ◆ ◆
「召喚状を受理した。」
エルネストが言った。
「任意で応じる。ただし——一つだけ確認させてほしい。」
「何を。」
ジークハルトが言った。
「これは召喚か。逮捕か。」
「現時点では——召喚です。」
「現時点では、か。」
「はい。」
「分かった。」
エルネストが一歩前に出た。
ジークハルトが少し動いた。
「……兄上。」
「何だ。」
「……何か、言うべきことはありますか。」
エルネストが少し止まった。
「今は、ない。」
「そうですか。」
「弁明は——王城で行う。ここでする必要はない。」
◆ ◆ ◆
馬車が来た。
公爵家の馬車ではなかった。
王国騎士団の馬車だった。
エルネストは馬車に乗り込む前に——一度だけ、公爵家の建物を振り返った。
クロイツ公爵家。
光属性の血統。
光の絶対支配。
この国で最も高い場所。
「……今日から、少し低くなる。」
声に出した。
でも——消えるわけではない。
そう思っていた。
◆ ◆ ◆
馬車の中に、ジークハルトが同乗した。
二人きりだった。
「証拠の内容は見たか。」
エルネストが聞いた。
「見ました。」
「どう判断した。」
「……詳細を確認する必要があります。」
「副団長として、か。」
「はい。」
エルネストが少し考えた。
「お前は——兄を守るために動くか。それとも副団長として動くか。」
ジークハルトが少し止まった。
「……両立します。」
「両立できるか。」
「できると判断しています。今のところは。」
「今のところは、か。」
「はい。」
◆ ◆ ◆
馬車が動き始めた。
王都の朝の光が、窓から差し込んでいた。
エルネストは窓の外を見ながら——考え続けていた。
証拠の信憑性。
王国の動き。
第一王女の立場。
全部——変数だった。
「オルヴァン。」
窓の外を見たまま言った。
「お前は最後の手で——私の足元を揺らした。」
少し間を置いた。
「でも——まだ終わっていない。」
「光の絶対支配を持つ男が——王城に連行されることがある。それは事実だ。」
「でも——降伏したわけではない。」
馬車が王都の石畳を走っていった。
クロイツ公爵家の紋章が、外套に輝いていた。
光の属性の男が——朝の光の中を、王城に向かっていった。




