幕間 灰色の光
——王都北東 廃屋の陰 深夜
リーゼ・ハルバーは、廃屋の陰に立っていた。
旧市街の外れだった。
旧試験場まで、約半里の距離。
ヴェラ・シュタインの指示通りの位置だった。
「見守る。表には出ない。」
それだけだった。
リーゼは騎士団に入って七年になる。
色々な者を守ってきた。
色々な場所で待機してきた。
でも——今夜は違う気がした。
◆ ◆ ◆
最初に気配を感じたのは、深夜になった頃だった。
根源律の接続だ。
正教騎士団は根源律の感知訓練を受けている。
「神の力の気配」を感知する訓練。
それが——どこかから来ていた。
北西の方角だった。
旧試験場ではない。
もっと遠い。
丘の方角だった。
灰色の、細い糸のような気配だった。
以前、魔法学院の周囲で配置についていた時にも感じた気配だった。
「あの子だ。」
呟いた。
◆ ◆ ◆
その直後、旧試験場の上空が明るくなった。
爆発音が連続した。
土属性と何かが混じった魔力の塊が、旧試験場の上空で膨張していた。
リーゼは剣に手をかけた。
でも——抜かなかった。
「表には出ない。」
ヴェラの言葉を繰り返した。
魔力球が旧市街に触れ始めた。
建物が崩れた。
悲鳴が聞こえた。
リーゼの手が、剣の柄を強く握った。
助けに行くべきだ。
騎士として。
でも——
「今夜の任務はルナを見守ること。」
動かなかった。
◆ ◆ ◆
その時だった。
北西の方角——丘の方角から。
灰色の糸が——太くなった。
根源律の気配が、急激に強くなった。
リーゼは息を飲んだ。
これまでに感じたことのない規模だった。
正教国の大聖堂で感じる「神の力の気配」より——深かった。
深くて。
静かで。
巨大だった。
◆ ◆ ◆
次の瞬間——爆発音が止まった。
悲鳴が、遠くなった。
風の音が、消えた。
魔力球が——縮み始めた。
燃えるのでも、崩れるのでもなかった。
ただ——なくなっていった。
縁から。
静かに。
丁寧に。
色が剥がれていった。
土の茶が。
闇の紫が。
混じり合った歪んだ色が——全て、薄くなっていった。
白くなった。
白というより——色がなくなった。
そして——
消えた。
◆ ◆ ◆
旧市街に、静寂が戻った。
リーゼは廃屋の壁に背をもたせかけた。
手が——震えていた。
七年間、騎士として動いてきた。
戦場にも出た。
魔物とも戦った。
手が震えたことは——なかった。
今夜、震えていた。
「……神の御力。」
声が出た。
呟きだった。
自分でも気づかないくらいの声だった。
でも——確信があった。
◆ ◆ ◆
あの気配は——大聖堂で感じる「神の力」と同じものだった。
でも——大聖堂で感じるものより、ずっと深かった。
ずっと静かだった。
ずっと——自然だった。
祈りの中で感じる「神の力」は、どこか遠かった。
届こうとして、届かない感覚だった。
今夜感じたものは——最初から、そこにあった。
「あの子の中に——最初からあったのか。」
◆ ◆ ◆
封印されている。
リーゼはそれを知らなかった。
封印の詳細は、騎士団には伝えられていなかった。
ただ——「あの子には何らかの制御がある」とだけ聞いていた。
でも今夜——その制御の下で。
封印の下で。
あの子は根源律を動かした。
「制御された状態で——これほどの力を。」
リーゼが少し間を置いた。
「……制御が外れたら、どうなるのか。」
その問いが浮かんだ。
答えは出なかった。
◆ ◆ ◆
丘の方角を見た。
暗かった。
何も見えなかった。
でも——灰色の糸の気配が、少し弱くなっていた。
接続を閉じたのかもしれない。
任務を終えた。
そういう気配だった。
「……終わった、と思っているんだろうな。」
リーゼが静かに言った。
「でも——今夜から始まったことがある。」
◆ ◆ ◆
リーゼは廃屋の陰を出た。
集合場所に向かって歩き始めた。
歩きながら——今夜見たことを整理した。
任務として報告する内容:
「グラウ・ルナが根源律を使用した。封印下で。魔力爆発を消滅させた。超長距離から。誰にも気づかれずに。」
個人として思ったこと:
リーゼは少し止まった。
「神の御力を——見た。」
それだけだった。
説明はできなかった。
証明もできなかった。
でも——七年間騎士として動いてきた感覚が、はっきりと言っていた。
今夜見たものは——神の御力だったと。
◆ ◆ ◆
集合場所に着いた。
ヴェラ・シュタインが待っていた。
「見たか。」
「見ました。」
「何を。」
リーゼは少し間を置いた。
「神の御力を。」
ヴェラが少し動いた。
「……詳しく聞かせろ。」
「はい。」
リーゼが話し始めた。
夜が、静かに明けていった。




