幕間 百四十九本の夢
——旧試験場 地面 深夜
空が広かった。
星が見えた。
オルヴァン・クロイツは、地面に倒れたまま空を見ていた。
右腕の魔核が、かすかに光っていた。
でも——光が弱かった。
弱くなっていた。
「……無とは。」
呟いた。
「こういうことだったのか。」
◆ ◆ ◆
最初に浮かんだのは——子どもの頃の記憶だった。
七歳の時。
魔力検査の日。
水晶球が光った。
でも——色が違った。
エルネストの光は白かった。
ジークハルトの光も白かった。
クロイツ公爵家の色だった。
光属性の、純粋な白。
クロイツの水晶球は——茶色だった。
土属性だった。
父が何も言わなかった。
書類に何かを書いていた。
その表情を、今でも覚えている。
失敗作の処理をしている顔だった。
◆ ◆ ◆
エルネストが継承の儀を行った日。
大広間が白く染まった。
「光の絶対支配」。
全員が跪いた。
クロイツだけ、膝が動かなかった。
動かさなかったのか。
動かなかったのか。
今でも分からない。
ただ——エルネストの目が、一瞬だけこちらを見た。
計算していた。
処理済みの失敗作を確認する目だった。
その目を見た瞬間——何かが決まった。
「光ごと消す。」
声には出さなかった。
でも——決まった。
◆ ◆ ◆
研究を始めてから、二十三年が経った。
一年目——外部エネルギーの理論を読み込んだ。
三年目——最初の実験に失敗した。
七年目——収束紋の設計が形になった。
十二年目——第五段階で魔法素が散逸する欠陥を発見した。
十五年目——欠陥を解決できないまま、百本目の結晶を棚に加えた。
二十年目——百四十七本目を加えた夜、諦めかけた。
でも——止まり方が分からなかった。
◆ ◆ ◆
グラウ・ルナと出会ったのは、その後だった。
十歳の子どもだった。
灰色の髪。
灰色の目。
無属性。
魔力量は測定限界以下。
でも——目が違った。
計算していた。
私と同じように計算していた。
いや——違う。
私は計算していた。
あの子は——理解していた。
「別のアプローチで考えたから。」
廊下で言われた言葉が、今でも残っていた。
◆ ◆ ◆
右腕と右足が砂になった夜。
床に落ちて、白い粉が広がるのを見た。
計算が止まった。
あの夜、初めて——計算が完全に止まった。
「失敗した。」
そう思った。
計算ではなく、事実として。
でも——止まれなかった。
魔核を移植した。
解剖した。
分析した。
合成した。
右腕が動いた。
右足が動いた。
「問題ない。」
そう判断した。
◆ ◆ ◆
「止まり方が分からない。」
あの子に言った。
「止まる必要がない動き方をしています。」
あの子が答えた。
——止まる必要がない動き方。
その言葉の意味を、あの時は理解できなかった。
今なら——分かる。
あの子は——最初から、止まる必要がなかった。
根源律に届いていた。
届いた上で動いていた。
私は——届こうとしながら、止まれなかった。
届かなかったから。
届かないのに、止まれなかったから。
◆ ◆ ◆
今夜——無を経験した。
魔力が消えた瞬間。
有であったものが、無に還った瞬間。
あれが——無だったのか。
有の属性が全て剥がれていく感覚。
色がなくなっていく感覚。
抵抗しても——等しく消えていく感覚。
「ああ。」
そうか。
有をいくら積み重ねても——無には届かない。
無とは——積み重ねの先にあるものではない。
積み重ねる前から——そこにあるものだ。
あの子は最初から——そこにいた。
私は二十三年間——反対方向に歩いていた。
◆ ◆ ◆
百四十九本の結晶が、棚に並んでいる。
今頃——研究棟に戻れば、見えるはずだ。
でも、もう戻れない。
百四十九本。
全部——同じ方向から掘った穴だった。
全部——同じ場所で止まった穴だった。
一本でも、別の方向から掘っていたら。
あの子のように——別のアプローチで考えていたら。
でも——遅い。
◆ ◆ ◆
「公爵家に——絶望あれ。」
空に向かって言った。
「兄よ。」
エルネストの顔が浮かんだ。
あの継承の儀の日。
計算していた目。
処理済みの失敗作を確認する目。
「お前は光の絶対支配を誇った。」
でも——光は、無に帰した。
「私が残した記録が——お前に届く。」
二十三年間、兄の金で研究した。
その副産物として——兄の秘密を集めた。
神の使徒との繋がり。
評議会への資金。
公爵家の名前を使った取引。
全部——記録した。
「これが——私の最後の実験だ。」
◆ ◆ ◆
星が、少し動いた気がした。
動いていない。
自分が動いているのだ。
右腕の魔核の光が——消えかけていた。
暗くなっていった。
「……あの子の名前は。」
グラウ・ルナ。
「そうか。」
灰色の子どもが——無の属性を持って生まれた。
私が二十三年かけて届かなかった場所に——最初から立っていた。
それを——悔しいと思うか。
思わなかった。
ただ——そうか、と思った。
「正しいものは——最初から、正しかったのだな。」
◆ ◆ ◆
魔核の光が消えた。
空が広かった。
星が見えた。
オルヴァン・クロイツは——静かに、目を閉じた。
百四十九本の未完成の結晶が、暗い棚の上で静かに並んでいた。




