第三十九話 前夜
——魔法学院 北棟 非常階段 夕刻
フェルトからの最後の情報が届いたのは、夕刻だった。
エルヴィンが踊り場に駆け上がってきた。
珍しく息が切れていた。
「変更だ。」
エルヴィンが言った。
「三日後ではない。明日の夜だ。」
◆ ◆ ◆
「フェルトがどうやって知ったのか。」
「今日の午後、クロイツが旧試験場の鍵を返却した。管理部門の記録に残っている。返却理由の欄に——『実験完了』と書かれていた。」
「実験完了。」
「フェルトの解釈では——予備実験が全て終わった。本番が明日の夜に前倒しになった。」
計算した。
二日あるはずだった。
一日になった。
今夜——準備を全て終わらせる必要がある。
「エルヴィン。通報の状況は。」
「協会への通報は午前中にフェルトが動いた。でも——明日の夜まで動く可能性は低い。王国騎士団への匿名通報は今日の夕方に送った。受理されたかどうかは分からない。」
「分かった。」
◆ ◆ ◆
セインが静かに聞いた。
「明日の夜——何時頃だ。」
「フェルトは『深夜になると思われる』と書いている。旧試験場は王都から二時間の距離だ。日が暮れてから移動するとして——」
「現場には、日没前に着いていた方がいい。」
私は言った。
「待機場所を確認してから、位置につく。」
「位置は決まったのか。」
「計算した。旧試験場の北西、約三里の丘だ。根源律の接続が届く距離で——かつ、クロイツの魔核の感知圏外になる可能性が高い。」
「可能性が高い、というのは——」
「確証はない。でも今できる最善の計算だ。」
セインが頷いた。
◆ ◆ ◆
エルヴィンが書類を閉じた。
「フェルトへの返答は。」
「感謝する。あとは任せてほしい、と伝えてくれ。フェルト自身は明日——協会に行く必要はない。自分の安全を優先してほしい。」
エルヴィンが頷いた。
「分かった。」
少し間があった。
「……一つだけ言っていいか。」
エルヴィンが言った。
「どうぞ。」
「お前とセインが現場近くに行く。私は王都に残る。」
エルヴィンが静かに言った。
「……それが正しい判断だと分かっている。でも——」
「でも。」
「一人で残るのは——初めてだ。」
◆ ◆ ◆
踊り場が静かになった。
セインが少し動いた。
「俺たちも——初めてだ。」
セインが言った。
「三人で動いてきた。二人で行くのは。」
「そうだな。」
「でも——エルヴィンがいるから動ける。」
「どういう意味だ。」
「記録が残る。通報が届いた。フェルトが動いた。全部——エルヴィンが繋いだ。それがなければ、俺たちは何も知らないまま明日を迎えていた。」
エルヴィンが少し間を置いた。
「……そうか。」
「そうだ。」
私も言った。
「明日の夜、私とセインが動けるのは——エルヴィンが全ての土台を作ったからだ。」
エルヴィンが少し俯いた。
「……分かった。任せてくれ。」
◆ ◆ ◆
「最終確認をする。」
私は言った。
「明日の日没前に、私とセインは旧試験場の北西の丘に向かう。エルヴィンは王都で記録の管理を続ける。クロイツの実験が制御不能になった時——私が介入する。セインが感知補助をする。」
「介入の判断は——お前がする。」
「そうだ。」
「セインへの指示は。」
「感知に異常が来たら教えてくれ。それだけでいい。」
セインに向かって言った。
「分かった。」
「以上だ。」
三人が少し黙った。
◆ ◆ ◆
鐘が鳴った。
立ち上がった。
エルヴィンが書類を折りたたんだ。
いつもより丁寧に。
「……また、明後日会おう。」
「そうだな。」
セインが言った。
「明後日。」
私は繰り返した。
「明後日——何かが終わっている。」
エルヴィンが静かに言った。
「そうだ。」
「終わった後のことは——考えていないか。」
「今はまだ、終わらせることだけを考えている。」
エルヴィンが少し笑った。
珍しい笑い方だった。
少し力の抜けた、柔らかい笑い方だった。
「そうだな。お前らしい。」
三人が別々の方向へ歩き出した。
◆ ◆ ◆
一人になってから、ノートに書いた。
「フェルトからの最終情報:実験が明日の夜に前倒し。準備を今夜中に完了する。位置:旧試験場北西三里の丘。セインと二人で向かう。エルヴィンは王都で記録管理。」
一行追加した。
「明日の夜——何かが終わる。でも何かが始まる可能性もある。終わった後のことは、終わってから考える。」
ノートを閉じた。
廊下に夕暮れの光が差していた。
明日の夜、その光はない。




