第三十七話 次の実験
——魔法学院 北棟 非常階段 朝
朝のホームルームが始まる前に、エルヴィンが来た。
「フェルトから。」
エルヴィンが言った。
「昨夜届いた。緊急と書いてあった。」
書類ではなかった。
小さく折りたたまれた紙一枚だった。
受け取って開いた。
「昨夜、特別研究棟に明かりがついていた。朝まで消えなかった。今朝、クロイツ主任が協会内を歩いているのを目撃した。右腕の魔核が以前と違う動き方をしていた。制御が変わった可能性がある。新しい実験が始まったと思われる。急ぎ伝える。」
◆ ◆ ◆
セインが紙を覗き込んだ。
「魔核の制御が変わった。」
「そうだ。」
「以前と何が違うのか。」
「フェルトが目撃した『動き方の変化』だけでは判断できない。でも——」
計算した。
魔核移植から一定の時間が経過した。
その間、魔族研究の資料を大量に閲覧していた。
解剖し、分析し、自分の術式回路と合成した。
そして昨夜、朝まで実験を続けた。
「制御が完成した可能性がある。」
「どういうことだ。」
エルヴィンが聞いた。
「魔核は移植しただけでは動かない。魔族の器官を人間の術式回路と繋げるには——構造を理解する必要がある。クロイツはここ数週間、魔族の研究資料を読み込んでいた。解剖して分析して、自分の回路に合わせて合成した。昨夜、それが完成した可能性がある。」
◆ ◆ ◆
「制御が完成すれば——何ができる。」
エルヴィンが聞いた。
「魔核の闇属性を、自分の意志で動かせるようになる。人間の術者が、魔族の器官を魔法的に操れる状態になる。」
「それは——どういう意味だ。」
「クロイツが半分人外だったのが、今度は半分を使えるようになった。」
◆ ◆ ◆
セインが少し黙った。
「……闇属性の魔力を、意図的に使えるようになった。」
「そうだ。」
「俺の感知に、より強く引っかかるようになる可能性がある。」
「そうだ。逆に——クロイツがセインの位置を感知しやすくなる可能性もある。」
「……距離を広げるだけでは足りないかもしれない。」
「そうだ。今日から——セインはクロイツと同じ建物にいることを避けた方がいい。」
セインが頷いた。
表情は変わらなかった。
でも——少し、力が入った気がした。
◆ ◆ ◆
「魔核の入手から制御まで——一人でやったとは思えない。」
エルヴィンが静かに言った。
「そうだ。」
「誰かが協力した。」
「可能性がある。でも——今は特定できない。」
エルヴィンが少し間を置いた。
何かを言いかけて、止めた。
「新しい実験の目的は何だと思う。」
「分からない。でも——魔核の制御が完成したということは、次の段階に進んだということだ。」
「次の段階。」
「クロイツの研究の本来の目的は、外部エネルギーの収束術式の完成だ。自分が無属性になろうとして失敗した。魔核を移植した。制御を完成させた。次に——」
「何をするか。」
「魔核の闇属性と、自分の土属性を組み合わせた術式を試みる可能性がある。二つの属性を持つ半人外として、新しいアプローチで根源律に届こうとする可能性がある。」
エルヴィンが少し止まった。
「届けるか。」
「届かない。」
「なぜ断言できる。」
「有から無は作れない。どんなに属性を組み合わせても、無属性には届かない。でも——クロイツはそれを知らない。知らないまま実験を続ける。」
◆ ◆ ◆
「問題は。」
私は続けた。
「届かなくても、実験を強行することだ。」
「強行すれば——」
「制御できない規模のエネルギーが収束する可能性がある。欠陥のある術式で大量のエネルギーを扱えば——」
「王都が。」
「最悪の場合、そうなる。以前も同じ計算をした。でも——今回は、クロイツの手札が増えた。魔核の制御という新しい変数が加わった。何をするか、以前より予測しにくくなっている。」
三人が黙った。
踊り場の窓から、朝の学院が見えた。
生徒たちが中庭を歩いていた。
普通の朝だった。
◆ ◆ ◆
「フェルトへの返答は。」
エルヴィンが聞いた。
「緊急情報に感謝する。クロイツの次の動きを注視してほしい。特に——実験の規模と場所。研究棟の外で何かをしようとしているなら、すぐに知らせてほしい。」
「伝える。」
「もう一つ。フェルト自身が危険な場合は、情報収集より自分の安全を優先してほしい。」
エルヴィンが頷いた。
「盾を剣に変えるのは——いつだ。」
セインが聞いた。
「まだ分からない。でも——近づいている。」
「何が揃えば動ける。」
「クロイツが実験を強行しようとしていることの証拠。実験の場所と時期。そして——止める手段だ。」
「手段は。」
「今考えている。」
セインが少し間を置いた。
「……お前が考えている間は、まだ間に合うということか。」
「そうだ。」
「分かった。」
◆ ◆ ◆
鐘が鳴った。
三人が立ち上がった。
エルヴィンが紙を受け取って懐に入れた。
「今日から——いつもより速く動く必要がある。」
「そうだ。」
「準備はできているか。」
私はノートを開いた。
「フェルトからの緊急情報:クロイツが魔核の制御を完成させた可能性がある。解剖・分析・合成という工程を経て、昨夜完成した。新しい実験を開始した。」
一行追加した。
「魔核の入手から制御まで——一人でできる工程ではない。誰かが関与している。今は特定できない変数だ。」
もう一行。
「変数が増えた。でも——計算できる範囲にある。今日できることを全て確認する。」
ノートを閉じた。
「準備はできている。」
三人が別々の方向へ歩き出した。




