第三十五話 届けられた言葉
——魔法学院 図書館前 放課後
図書館の扉を出た瞬間、声をかけられた。
「グラウ・ルナさん。」
振り向いた。
廊下の壁際に、一人の女性が立っていた。
二十代。
学院の制服ではない。
白と金の装束——正教会の紋章が袖に入っていた。
腰に剣を帯びている。
正教騎士団だ。
「そうです。」
女性が一歩前に出た。
「リーゼ・ハルバーと申します。正教騎士団所属です。」
リーゼが静かに言った。
「少しお時間をいただけますか。」
◆ ◆ ◆
人気のない廊下の端に移動した。
リーゼが向き合った。
緊張していない。
でも——慎重だった。
こちらを観察している。
「以前から学院の周囲に配置されていましたね。」
私は言った。
リーゼが少し動いた。
「……気づいていましたか。」
「根源律変換式を起動した時に反応が来ました。三度確認しました。」
リーゼが少し間を置いた。
「さすがですね。」
感想ではなく、確認するように言った。
◆ ◆ ◆
「大神官セラフィアからの伝言を預かっています。」
リーゼが言った。
「聞きます。」
リーゼが少し背筋を伸ばした。
「『あなたのことを案じています。正教会はあなたの敵ではありません。どうか、孤独に戦わないでください。』」
廊下が静かだった。
「以上です。」
リーゼが言った。
「……大神官セラフィアは、私が戦っていると知っているのですか。」
「詳しくは聞いていません。でも——クロイツ主任との接触記録は届いています。公証申請の記録も。」
「そうですか。」
◆ ◆ ◆
計算した。
大神官セラフィアの伝言:「孤独に戦わないでください。」
これは——守護の意図だ。
でも同時に——「正教会を頼れ」という意味でもある。
「一つ確認させてください。」
私は言った。
「どうぞ。」
「騎士団の配置は——私を守るためですか。それとも、監視するためですか。」
リーゼが少し止まった。
「両方です。」
リーゼが言った。
正直だった。
「正直に答えてくれましたね。」
「嘘をつく理由がありません。」
◆ ◆ ◆
「守護と監視が同時にある、と。」
私は言った。
「そうです。あなたは——正教会にとって、守らなければならない存在です。同時に——何をするか、把握しておく必要がある存在でもあります。」
「私の意志は、確認しましたか。」
リーゼが少し眉を動かした。
「意志、というのは。」
「守護されることへの同意です。監視されることへの同意です。どちらも——私は求められていません。」
「……それは。」
「私は正教会に育てていただきました。感謝しています。でも——感謝は、囲まれることへの同意ではありません。」
リーゼが黙った。
◆ ◆ ◆
少し間があった。
リーゼが静かに言った。
「……あなたは、十歳ですね。」
「そうです。」
「十歳で、そこまで考えるのですか。」
「考える必要があるから考えます。」
リーゼが少し表情を変えた。
計算でも任務でもない、素の反応だった。
「……私がここに来た時、もっと素直に受け入れてもらえると思っていました。」
「素直に受け入れることと、論理的に考えることは矛盾しません。」
「そうですね。」
リーゼが少し苦笑した。
◆ ◆ ◆
「大神官セラフィアへの返答を預かっていただけますか。」
私は言った。
「もちろんです。」
「『感謝しています。正教会が私の敵ではないことも理解しています。ただし——私の行動への同意は、私が決めます。孤独に戦っているわけではありません。でも、誰かの指示で動くつもりもありません。』」
リーゼが聞いていた。
「伝えます。」
「もう一つ。」
「はい。」
「配置を解いてほしいとは言いません。でも——私の根源律接続に干渉しないでください。それだけ守っていただければ、共存できます。」
リーゼが少し考えた。
「……大神官に確認します。」
「お願いします。」
◆ ◆ ◆
リーゼが歩き出す前に、一度だけ振り返った。
「一つだけ聞いていいですか。個人的な質問です。」
「どうぞ。」
「怖くないのですか。クロイツ主任に、あれだけ接触されて。」
「怖いです。」
「……顔に出ないですね。」
「出す必要がないからです。」
リーゼが少し間を置いた。
「私は騎士団に入って七年になります。色々な人を守ってきました。でも——守られることを、あなたほど自分の言葉で定義した人に会ったのは初めてです。」
何も言わなかった。
リーゼが歩き出した。
白と金の装束が廊下の向こうに消えた。
◆ ◆ ◆
一人が残った。
ノートを開いた。
「リーゼ・ハルバー:正教騎士団・二十代・女性。大神官セラフィアの伝言を携えて接触。守護と監視が両方あると正直に答えた。」
一行追加した。
「返答を伝言として預けた。内容:感謝はする。でも行動の決定権は私にある。配置の解除は求めない。根源律接続への干渉だけ禁止を要請。」
もう一行。
「大神官セラフィアは私が『孤独に戦っている』と思っている。違う。でも——正教会が定義する『孤独ではない状態』と、私が定義する『孤独ではない状態』は、同じではない。」
ノートを閉じた。
廊下に光が差していた。
灰色の瞳が、静かに前を向いた。




