第三十四話 百四十九本目の先
——魔法学院 北棟 廊下 放課後
セインと踊り場に向かっていた時、前方に人影が見えた。
クロイツだ。
セインが先に気づいた。
微かに足が止まった。
「……来る。」
セインが小声で言った。
「分かった。」
クロイツが廊下を歩いてきた。
今日は気づいている。
こちらを見ていた。
右腕の暗紫色の光が、礼装の袖から滲んでいた。
右足の歩き方が、わずかに不均等だった。
変化後の姿で来た。
隠していない。
◆ ◆ ◆
三人が廊下の中央で向き合った。
クロイツが立ち止まった。
以前と同じ笑みだった。
でも——目が違った。
以前は計算していた。
今も計算しているが——何かが削れていた。
「グラウさん。」
クロイツが言った。
「クロイツ主任。」
「お久しぶりです。」
クロイツが右腕を少し動かした。
暗紫色の光が強くなった。
「変わりましたね。私も。」
「そうですね。」
◆ ◆ ◆
セインがわずかに後ろで動いた。
感知している。
クロイツの視線がセインに向いた。
「セイン・ノワールさん。」
クロイツが言った。
「闇属性の。」
セインが答えなかった。
「私の魔力が見えますか。」
「……見える。」
セインが静かに言った。
「どう見えますか。」
「人間の魔力じゃない。でも——魔族のものとも少し違う。」
クロイツが少し止まった。
その反応は計算していなかったらしい。
「面白い。」
クロイツが言った。
感情のない「面白い」だった。
◆ ◆ ◆
「何の用ですか。」
私は言った。
「話をしたかった。」
クロイツが視線をこちらに戻した。
「前回と同じです。でも——今回は少し違う。」
「どう違うのですか。」
「以前は、あなたに協力を求めていました。」
クロイツが静かに言った。
「今回は——確認をしたい。」
「確認。」
「あなたは根源律に届いている。私は届いていない。」
クロイツが右腕を見た。
「これだけのことをしても、届かなかった。なぜあなたは届いたのか。」
◆ ◆ ◆
廊下が静かだった。
以前と違う。
以前のクロイツは「使いたい」と言っていた。
今は「なぜ」と聞いている。
「答える義務はありません。」
私は言った。
「分かっています。」
クロイツが言った。
「でも——聞きたい。」
珍しかった。
クロイツが「聞きたい」と言った。
権威でも圧力でも取引でもなく。
計算した。
答える利益と損失。
答えた場合、クロイツは何をするか。
答えない場合、クロイツは何をするか。
「一つだけ聞き返してもいいですか。」
「どうぞ。」
「あなたは——何のために根源律に届こうとしているのですか。」
◆ ◆ ◆
クロイツが少し止まった。
以前と同じ問いだった。
あの時クロイツは答えられなかった。
今回も——沈黙があった。
でも今回は、以前より長かった。
「……分からなくなってきました。」
クロイツが静かに言った。
笑みが消えていた。
計算の顔でもなかった。
「以前は分かっていました。でも——」
クロイツが右腕を見た。
「これだけ失って、まだ続けている。なぜ続けているのか——理由が、薄くなってきた。」
「それでも続けるのですか。」
「止まり方が分からない。」
◆ ◆ ◆
後ろでセインが微かに動いた。
クロイツの言葉を、セインはどう聞いたか。
「一つだけ答えます。」
私は言った。
クロイツが顔を上げた。
「根源律に届いた理由は——無属性だからです。有の属性から無を作ることはできない。でも無は有を含む。私が届いたのは、生まれつき無属性だったからです。それだけです。」
「……有から無は作れない。」
「そうです。」
クロイツが長い沈黙に入った。
計算している。
でも今回の計算は、以前より遅かった。
「では——私は届かない。」
「そうです。」
「……そうですか。」
◆ ◆ ◆
クロイツが歩き出した。
通り過ぎる時、一度だけこちらを見た。
「あなたは——止まり方を知っていますか。」
「止まる必要がない動き方をしています。」
クロイツが少し止まった。
「……それが答えか。」
「そうです。」
クロイツが歩き出した。
右足の魔核が、暗紫色に光りながら、遠ざかっていった。
◆ ◆ ◆
廊下に二人が残った。
セインが少し間を置いてから言った。
「……あいつは今、何を感じていたんだ。」
「計算だと思います。でも——以前より感情が混じっていた。」
「感情。」
「理由が薄くなってきた、と言った。目的を持たない者が目的を失いかけている。それが何を生むかは——まだ計算できない。」
セインが壁を見た。
「止まり方が分からない、と言っていた。」
「そうだ。」
「……俺は、あの言葉が少し分かった。」
私はセインを見た。
「闇属性として生きてきた時間に——止まり方が分からなかった時があった。」
「そうか。」
「でも——今は分かる。止まる必要がない動き方がある。」
「そうだ。」
「……お前に教わった。」
◆ ◆ ◆
踊り場に向かって歩いた。
ノートに書いた。
「クロイツ第五接触:右腕・右足の魔核を隠さずに来た。目的は確認——『なぜ根源律に届いたのか』。以前と質が違う。計算ではなく問いとして来た。」
一行追加した。
「『有から無は作れない』と伝えた。クロイツへの情報開示としては最小限。でも——これで届かないと分かった。それが何をもたらすかは未知数。」
もう一行。
「『止まり方が分からない』——クロイツの言葉。目的を失いかけた者が最も危険になる瞬間がある。注視が必要だ。」
ノートを閉じた。




