第三十三話 正しいだけでは足りない男
——魔法学院 中庭 昼休み
声をかけられたのは、中庭を横切ろうとした時だった。
「グラウ・ルナさん。」
振り向いた。
三十代の男だった。
協会の一般研究員の制服を着ていた。
風属性の魔力の流れが見える。
眼鏡をかけている。
書類を抱えている。
緊張している。
私の後ろにエルヴィンとセインがいた。
二人も気づいていた。
「……どちら様ですか。」
「フェルト・マイナーといいます。王立魔法協会一般研究部門に所属しています。」
少し間があった。
「お話を聞かせていただけますか。」
◆ ◆ ◆
協会の人間が学院に来た。
一般研究部門。
特別研究部門ではない。
計算した。
クロイツは特別研究部門だ。
この男はクロイツの部門ではない。
緊張している——敵意はない。
でも書類を抱えている——何かを持ってきた。
「構いません。」
フェルトが少し安堵した顔をした。
「三人一緒でも構いません。」
フェルトが言った。
「むしろ——その方がいいかもしれない。」
◆ ◆ ◆
中庭の端、人気のない場所に移動した。
フェルトが書類を開いた。
「公証番号〇〇四七と〇〇五二——両方拝読しました。」
「そうですか。」
「内容は——正確です。」
フェルトが言った。
「第四公理の反証は、魔法体系の理論として完璧です。そして書状の公証は——クロイツ主任の行動の記録として有効です。」
エルヴィンが少し動いた。
「あなたは、なぜここに来たのですか。」
私は聞いた。
「協会内部で、二つの公証に対して圧力がかかっています。」
フェルトが言った。
「内部での議論を控えるよう通達が出ました。特別研究部門が対応するという名目で。」
「知っています。」
フェルトが少し驚いた顔をした。
◆ ◆ ◆
「あなたは——何をしようとしているのですか。」
フェルトが書類を閉じた。
「研究者として、正しいことをしたい。それだけです。」
「具体的に。」
「クロイツ主任の研究が——協会の名前を使いながら、協会の目的から外れている。それを、正式な手続きで問題提起したい。でも——一人ではできない。」
「なぜ私たちに来たのですか。」
「あなた方がすでに動いているからです。」
フェルトが静かに言った。
「公証という形で。正式な手続きで。私が一人でやっていたら——消されていたかもしれない。でもあなた方の公証が先にある。記録が残っている。それがあれば——」
「盾になる。」
エルヴィンが言った。
「そうです。」
◆ ◆ ◆
セインが初めて口を開いた。
「あなたは——怖くないのですか。」
フェルトが少し止まった。
「怖いです。」
フェルトが言った。
「ずっと迷っていました。正しいことをすれば——クロイツ主任に睨まれる。協会内での立場が危うくなる。でも——」
フェルトが書類を見た。
「正しいものは、正しい。それだけでは足りないと思っていました。でも——正しいものを正しいと言い続ける人間がいれば、少しだけ足りるようになる。」
「その言葉は。」
私は聞いた。
「自分に言い聞かせてきた言葉です。」
◆ ◆ ◆
計算した。
フェルト・マイナー。
一般研究部門。
風属性。
三十代。
正しいことをしたいと言っている。
緊張しているが、嘘をついている様子はない。
でも——
「一つ確認します。」
私は言った。
「あなたがここに来たことを、協会内の誰かに話しましたか。」
「話していません。」
「クロイツ主任はあなたがここに来ることを知っていますか。」
「知らないはずです。」
「はずです、というのは——確実ではないということですか。」
フェルトが少し間を置いた。
「……完全な確信はありません。でも、可能な限り人目を避けてきました。」
「分かりました。」
◆ ◆ ◆
「あなたに協力をお願いする前に、一つだけ聞かせてください。」
私は言った。
「クロイツ主任の最近の変化を、知っていますか。」
フェルトが眉を動かした。
「変化、というのは。」
「最近、協会でクロイツ主任を見ましたか。」
「……見ました。一度だけ。廊下で。」
「何か気づきましたか。」
フェルトが少し黙った。
「右腕と右足が——以前と違いました。動き方が。魔力の色も——暗紫色でした。」
「それについて、どう判断しましたか。」
「……魔核移植だと思いました。でも——なぜそこまでするのか、理由が分からなかった。」
私はノートを開いた。
「あなたは使える情報を持っている。」
フェルトが少し背筋を伸ばした。
◆ ◆ ◆
「条件を伝えます。」
私は言った。
「一つ目。あなたがここに来たことは、私たち三人以外には伝えない。二つ目。動く前に必ずこちらに確認する。三つ目。クロイツ主任への直接的な接触は行わない。この三つを守れますか。」
「守ります。」
「分かりました。」
エルヴィンが少し前に出た。
「協会内部で、公証への圧力がかかっている——その具体的な内容を教えてもらえますか。」
フェルトが書類を再び開いた。
今日初めて、書類の中身を三人に見せた。
◆ ◆ ◆
中庭に光が満ちていた。
フェルトが帰った後、三人が残った。
「どう見る。」
セインが聞いた。
「今のところ——信用できる。ただし完全には信用しない。」
「なぜ。」
「彼の善意は本物だと思う。でも協会内部の人間だ。こちらが持っていない情報を持っている。それは武器にも盾にもなる。どちらになるかは——まだ分からない。」
エルヴィンが静かに言った。
「盾が、また増えた可能性がある。」
「そうだ。」
「でも今度の盾は——生きている。」
「そうだ。」
ノートに書いた。
「フェルト・マイナー接触。協会一般研究部門・風属性・三十代。善意あり・情報あり・単独行動。条件三点を提示し同意を得た。今後の連携は慎重に判断する。」
一行追加した。
「『正しいものを正しいと言い続ける人間がいれば、少しだけ足りるようになる。』——フェルトの言葉。使える。」
ノートを閉じた。




