第二十七話 照合の結果
——魔法学院 北棟 非常階段 放課後
エルヴィンが来た時、珍しく書類を持っていた。
踊り場に上がってきて、向かいに座った。
セインはいない。今日は二人だけだ。
「父に頼んだ。」
エルヴィンが言った。
「商会の取引記録と、クロイツの発注記録の照合だ。理由は——魔法協会との取引の精査、と言った。嘘ではない。」
「結果は。」
エルヴィンが書類を開いた。
「一致した。」
◆ ◆ ◆
書類を受け取った。
エルヴィンの父の商会が仲介した魔法素材の取引記録。日付。品目。数量。発注元——王立魔法協会特別研究部門。
以前セインが集めた六件の被害事例と照合する。
第一件目:転出した三年生の魔力低下開始推定時期→大量発注から三週間後
第二件目:廃業した術者のサンプル提供時期→大量発注と同月
三件目・四件目:発注との時期的重複あり
「四件、時期が重なっている。」私は言った。
「そうだ。偶然とは言いにくい。」
「状況証拠として、かなり強い。」
「照合結果:クロイツの大量発注時期と被害事例の発生時期が四件一致。因果関係の証明には至らないが統計的に有意な相関。」
◆ ◆ ◆
「もう一つある。」エルヴィンが続けた。
別の書類を出した。
「魔力増幅素材の発注に加えて——遮蔽術式の材料が、直近三ヶ月で急増している。前年比で三倍以上だ。」
「実験規模が拡大している。」
「そうだ。」
エルヴィンが少し声を低くした。
「父は最初、通常の研究用発注だと思っていたらしい。でも今回の照合で——おかしいと気づき始めている。」
「お父上はどこまで知っているか。」
「クロイツの研究内容は知らない。でも——発注規模が研究目的として不自然だと感じている。父は商人だ。量と目的が合わない発注には敏感だ。」
——エルヴィンの父が動き始めている。これは変数だ。
◆ ◆ ◆
「エルヴィン。」
私は言った。
「お父上に、どこまで話す予定か。」
エルヴィンが少し黙った。
「……迷っている。」
「理由は。」
「父を巻き込むことになる。商会がクロイツの発注を仲介していた——その事実が表に出れば、父の立場に影響する。でも——」
「でも。」
「父は正しいことをしたいと思っている人間だ。知らせなければ、知らないまま関わり続ける。それの方が——」
「危険だ。」私は続けた。
「そうだ。」
私はノートを開いた。
「エルヴィンの父:商会取引の異常に気づき始めている。クロイツの研究内容は未把握。巻き込むリスクvs知らせないリスク——判断はエルヴィンに委ねる。」
「これはあなたが判断することだ。」
私は言った。
「お父上の性格を、私より正確に知っているのはあなただ。」
◆ ◆ ◆
「一つ聞いていいか。」
エルヴィンが言った。
「どうぞ。」
「お前は——父を巻き込むべきだと思うか。」
「計算した上で答えを出せる問いではない。お父上の判断力と、クロイツへの対応力を私は直接知らない。変数が足りない。」
「……正直だな。」
「不誠実な答えより、変数不足を認める方が正確だ。」
エルヴィンが書類を手の中で揃えた。
「父は——三十年以上、商人として生きてきた。不正な取引には、自分で気づく力がある。今回も、精査を頼む前から何かを感じていたらしい。」
「ならば——」
「知らせた方がいいかもしれない。全部ではなくても。」
エルヴィンが決めた顔をした。迷いから、判断への移行だった。
◆ ◆ ◆
「もう一つ確認する。」
私は言った。
「遮蔽術式の材料が三倍以上——実験が近いということだ。」
エルヴィンが頷いた。
「そう判断した。」
「クロイツの研究記録の欠陥は、まだ修正されていない可能性が高い。でも——材料の準備が進んでいるなら、欠陥を抱えたまま実験に踏み込む可能性もある。」
「それは——危険だな。」
「欠陥のある術式で外部エネルギーを大量収束させれば——制御不能になる。範囲は計算できない。」
「王都が——」
「最悪の場合、そうなる。」
沈黙が落ちた。
踊り場の窓から、夕暮れの王都が見えた。建物が橙色に染まっていた。
——あの光景が消える可能性を、今計算している。
感情は動かなかった。でも——手が少し、速く動いた。
◆ ◆ ◆
「次の手を決める。」
私は言った。
「ロイの書状の公証申請を早める。エルヴィンは父への情報開示を判断する。セインの被害事例の記録を整理して、証拠として使える形にする。」
「——それだけか。」
「今できることは、それだけだ。」
「クロイツへの直接的な阻止は。」
「今は証拠が足りない。動くなら、証拠が揃ってからだ。」
エルヴィンが頷いた。「分かった。父への話は——今週中に決める。」
「急ぐ必要がある。」
「知っている。」
◆ ◆ ◆
エルヴィンが立ち上がった。書類を丁寧に折りたたんだ。
「一つだけ。」
エルヴィンが言った。
「お前は——怖くないのか。王都が、という話になっても。」
「怖い。」
「顔に出ない。」
「出す必要がないからだ。怖いと感じながら、手を動かす。それだけだ。」
エルヴィンが少し止まった。
「……お前と話していると、自分が何を感じているかよりも、何をすべきかの方が先に見えてくる。」
「それが目的だ。」
「目的?」
「感情を動かすことではなく、正確に判断することが目的だ。感情は消えないが——判断の邪魔をさせない。」
エルヴィンが階段を下りながら言った。
「……それは、お前が最初からそうだったのか。それとも——そう決めたのか。」
私は少し考えた。
「分からない。でも——どちらでも、今は同じだ。」
エルヴィンの足音が遠ざかった。
◆ ◆ ◆
ノートを閉じた。
窓の外、夕暮れの王都が静かだった。
——「最悪の場合」を計算した。答えは出た。
でも計算した結果と、感じたことは——同じではなかった。
それを、ノートには書かなかった。




