第二十六話 対等な問い
——魔法学院 中庭 放課後
中庭のベンチで術式の検証をしていた。
振動術式の周波数調整の続きだ。
再審査から二週間が経った。
進級は確定した。
今は——次の問いに向かう時間だ。
——重ね合わせ術式の改良。根源律接続部分の隠蔽。闇属性の深層感知に対して有効な修正を加えるには——
「グラウさん。」
顔を上げた。
エルミラ・カルヴァーンが、中庭の入口に立っていた。一人だった。
「また偶然ですね。」エルミラが言った。
「そうですね。」
「……邪魔でしたか。」
「構いません。」
エルミラがベンチの端に座った。
遠すぎず、近すぎない。
礼儀として選んだ距離ではなく——配慮として選んだ距離だ。
◆ ◆ ◆
しばらく、二人とも黙っていた。
エルミラが中庭の噴水を見ていた。私はノートの続きを書いていた。
沈黙が不快でないのは——エルミラが埋めようとしないからだ。話す必要がある時に話す。それだけだ。
「一つ聞いてもいいですか。」エルミラが言った。
「どうぞ。」
「グラウさんは——何のために魔法を研究しているのですか。」
「知りたいからです。」
「何を。」
「世界の構造を。」
エルミラが少し考えた。「それだけですか。」
「それだけです。」
「出世のためでも、国のためでも、誰かのためでもなく。」
「そうです。」
エルミラが静かに頷いた。「……羨ましいです。」
◆ ◆ ◆
「羨ましい、というのは。」私は聞いた。
「私は魔法を学ぶことに、いつも『何のため』がついてくる。王女として。カルヴァーンのために。父のために。」エルミラが噴水を見たまま言った。「純粋に知りたいから、という理由だけで動いている人を、初めて見た気がします。」
——この言葉は、本物だ。演技ではない。
「あなたは——何のために魔法を学んでいますか。」私は聞いた。
エルミラが少し止まった。
「……分からなくなってきました。最近。」
「最近、というのは。」
「ここに来てから、です。」
◆ ◆ ◆
エルミラが初めてこちらを向いた。
「グラウさんに会ってから、考えています。属性の優劣が魔法の本質ではないとしたら——私が光属性であることは、何を意味するのか。」
——この問いは、深い。表面的な疑問ではない。
「属性は手段です。」
私は言った。
「何ができるかを決める一つの変数に過ぎない。本質は——何を知ろうとするか、何を証明しようとするかです。」
「でも——」
エルミラが少し迷った。
「私の国では、光属性は特別とされています。父も、兄も——」
そこで止まった。
——「兄」という言葉が出た。
「お兄さんがいるのですか。」
「はい。兄は——光属性と、もう一つの属性を持っています。」
「二属性ですか。」
「そうです。兄はそれを誇りにしています。二つの属性を持つことが——特別な使命の証だと言っています。」
——二属性。カルヴァーン王国の王子。記憶に留める。声には出さなかった。
◆ ◆ ◆
「グラウさんは——二属性の人間を、どう思いますか。」
「属性の数は関係ありません。」私は答えた。「問題は、何を持っているかではなく、何をするかです。」
「兄に同じことを言ったことがあります。」エルミラが静かに言った。「でも——兄には届きませんでした。」
「なぜ。」
「兄は父から、属性が力の証明だと教わってきたから。それ以外の価値観を、受け入れる余地がないのかもしれません。」
——「父から教わってきた」。
「……あなたはそれが正しいと思いませんか。」私は聞いた。
「思いません。」エルミラが即答した。「でも——正しくないと証明する言葉を、私はまだ持っていない。」
◆ ◆ ◆
私はノートを開いた。
「魔法理論書の冒頭に格言があります。」
「『魔法とは論理と知性の牙城である』——知っています。」
「その格言が正しいなら——属性は牙城の材料に過ぎません。論理と知性がなければ、どんな属性も牙城にはならない。」
エルミラがその言葉を、少し反芻するように黙っていた。
「……それを兄に言えたら。」
「証明があれば言えます。」
「証明。」
「論理と知性で魔法を扱っている者が存在することを示せば——属性の優劣ではなく、何を知ろうとするかが本質だという証明になります。」
エルミラが私を見た。
「……それは、グラウさん自身のことですか。」
「一例です。」
◆ ◆ ◆
夕暮れの光が中庭を染め始めていた。
エルミラが立ち上がった。
「今日も、ありがとうございます。」
「構いません。」
「一つだけ——」
エルミラが少し迷った後に言った。
「グラウさんは、友達はいますか。」
少し考えた。
「友達という定義が正確に分からないですが——一緒に問題を解いている人間が、二人います。」
エルミラが少し笑った。
「それは——友達だと思います。」
「そうですか。」
「私も——そういう人が欲しいと思って、ここに留学しました。カルヴァーンには、立場なしで話せる人がいなかった。」
——「立場なしで話せる人」。
「ここにも立場はあります。」
私は言った。
「でも——立場より先に話すことは、できます。」
エルミラが何かを言おうとして、止めた。
代わりに、静かに頷いた。
歩き出す前に、一度振り返った。
「グラウさんの証明——いつか、見せてもらえますか。」
「条件が整えば。」
エルミラが歩き出した。夕暮れの光の中に消えていった。
◆ ◆ ◆
中庭に一人残った。
ノートを開いた。
「エルミラ・カルヴァーン第二接触:兄への言及あり。二属性を持ち、属性を『使命の証』と考えている。父から教わった価値観。エルミラ自身はそれを正しいとは思っていない。」
一行追加した。
「エルミラは純粋だ。でも純粋な人間が、最も複雑な場所に立っていることがある。」
ペンを止めた。
——「立場なしで話せる人が欲しかった」と言った。
私も、そうだったのかもしれない。ずっと一人で計算してきた。
その一行は、書かなかった。
でも——考えた。
灰色の瞳が、夕暮れの空を一度だけ見上げた。




