幕間 正しい証明
——王立魔法協会 一般研究部門 執務室 夜
フェルト・マイナーは、三度読み直した。
一度目は「誤りを探すため」に読んだ。
二度目は「見落としがないか確認するため」に読んだ。
三度目は「本当に正しいか信じられなくて」読んだ。
公証番号〇〇四七。
外部エネルギー変換式の理論的証明と実装記録。根源律の命名と定義。
——正しい。
魔法体系の理論として、完璧に正しかった。
◆ ◆ ◆
フェルト・マイナー。
王立魔法協会一般研究部門。
風属性。三十八歳。
魔法理論の研究者として十五年勤めてきた。
派手な成果はない。
でも地道に理論を積み上げてきた。
第四公理は疑ったことがなかった。
疑う必要がないと思っていた。
二百三十年間、誰も疑わなかったのだから。
——なぜ気づかなかった。
ランプの光の下、書類を見つめた。
第四公理の反証は、論理的に完璧だった。
前提の誤りを理論的に示し、反例を実証で補強し、一般化の条件まで記述している。
これを書いた者は——
申請者の欄を見た。
グラウ・ルナ。
魔法学院一年。
無属性。
年齢——十歳。
フェルトは少し止まった。
◆ ◆ ◆
学籍記録を取り寄せた。
無属性。
魔力量測定限界以下。
特例入学。
実技評価全項目不可。
進級審査で一度再審査になったが、規定の条文を根拠に乗り越えた。
——規定の条文を根拠に。
魔法理論:優秀。
魔法史:優秀。
魔法数学:最優秀。
フェルトはしばらく記録を見ていた。
「十歳で、これを書いた。」
声に出して、改めて実感した。
二百三十年間、協会の研究者たちが見落としていたものを。
十歳の、無属性の、魔力量測定限界以下の子どもが、一人で証明した。
——恥ずかしい、という感情が先に来た。次に来たのは——純粋な、驚きだった。
◆ ◆ ◆
問題は、次の行動だった。
この公証を、協会はどう扱うべきか。
答えは明確だ。学術的に誠実であれば——公開し、検証し、第四公理を修正する。
二百三十年の誤りを認め、魔法理論を更新する。それが研究者の仕事だ。
でも——
フェルトは窓の外を見た。協会本部の建物が夜の闇に沈んでいた。
クロイツが、この書類を確認している。
特別研究部門の主任。
協会内で最も権限を持つ研究者。
そしてこの公証の領域——外部エネルギー論・根源律——は、クロイツが長年追っていた領域だ。
フェルトはクロイツが好きではなかった。
正確には——怖かった。
あの目が。何かを計算し続けているあの目が。
クロイツはこの書類を見て、何を考えたか。
◆ ◆ ◆
協会長室から今日、一通の通知が来ていた。
「公証番号〇〇四七に関する件について、内部での議論を控えること。本件は特別研究部門が対応する。」
——特別研究部門が対応する。
つまりクロイツが対応する。
フェルトはその通知を、もう一度読んだ。
「内部での議論を控えること。」
これは命令だ。研究者として誠実に動くなら——従うべきではない命令だ。でも協会の中で、この命令に逆らえる者がどれだけいるか。
——正しい証明は、誰の許可も要らない。
どこかで読んだ言葉ではない。自分の中から出てきた言葉だった。
でも「要らない」と「できる」は、違う。
◆ ◆ ◆
書類を机の引き出しに入れた。
鍵をかけた。
立ち上がって、窓の外を見た。王都の夜景が広がっていた。どこかに、この書類を書いた十歳の子どもがいる。
——接触すべきか。
問いが浮かんだ。
でも答えは出なかった。
クロイツの目が、頭の片隅に浮かんだ。
あの計算している目が。
フェルトはランプを消した。
暗闇の中で少し立っていた。
——正しいものは、正しい。
でも——正しいものを守るためには、正しいだけでは足りないのかもしれない。
答えのない問いを抱えたまま、フェルトは執務室を出た。廊下に足音が響いた。
誰もいなかった。




