第二十二話 間違った物差し、再び
——魔法学院 進級審査会場 午前
進級審査は年に一度、学期末に行われる。
評価項目は三つだ。
学科成績。
実技評価。
担当教師による「総合所見」。
最後の項目が問題だった。
——「総合所見」に明確な基準はない。担当教師の裁量に委ねられている。裁量の余地がある制度は、恣意的に運用できる。
私はそれを入学初日から知っていた。
審査室の前の廊下に、二十人ほどの生徒が並んでいた。
私は最後尾に立ってノートを開いた。
根源律変換式の改良の続きだ。
待ち時間は有効に使う。
◆ ◆ ◆
「グラウ・ルナ。」
一時間後、私の名前が呼ばれた。
審査室に入ると、机の向こうにゼルム教師が座っていた。
隣に副担任のヴァルム先生。
書記として若い助教が控えている。
「着席。」
座った。
ゼルムが書類を開いた。私の一年間の記録だ。
「学科成績。魔法理論:優秀。魔法史:優秀。魔法数学:最優秀。」
読み上げながら、表情が動かなかった。
「実技評価。全項目不可。」
こちらも表情が動かなかった。
確認するように繰り返した。
「全項目、不可。」
「そうです。」
◆ ◆ ◆
「総合所見を述べる。」
ゼルムが書類を置いた。
「グラウ・ルナ。無属性。魔力量測定限界以下。実技において一年間、一度も及第点に達しなかった。魔法学院は魔法を学ぶ場所だ。魔法が使えない生徒に、ここにいる意味はない。」
「魔法数学の最優秀評価は、魔法の理論的理解として計上されないのですか。」
「理論だけでは魔法は使えない。」
「理論なき実技は、根拠のない操作です。どちらがより危険か、計算できますが。」
副担任のヴァルム先生が微かに動いた。
何かを言いかけて、やめた。
◆ ◆ ◆
「結論を言う。」
ゼルムが書類にペンを走らせた。
「総合所見:進級不適。推奨:留年。」
「根拠を確認させてください。」
「実技不合格が根拠だ。」
「進級審査規定の第三条を確認しました。『実技評価が基準に達しない場合、学科成績および特別事由を総合的に勘案する』とあります。学科成績は全優秀以上です。特別事由として無属性の特例入学が記録されています。」
ゼルムが顔を上げた。
「規定を暗記しているのか。」
「入学時に読みました。」
「特別事由は、進級を保証するものではない。」
「そうです。ただし、考慮しないことを正当化するものでもありません。」
◆ ◆ ◆
沈黙が十秒続いた。
ゼルムが書類を見ていた。
私を見ていた。
また書類を見た。
——彼の判断は「無属性は価値がない」という前提から導かれている。
前提が誤りなら、計算も誤りだ。
でも今それを証明する場ではない。
今は規定の条文で十分だ。
「ヴァルム先生。」
私はヴァルム先生に向いた。
「進級審査規定の第三条について、副担任として見解を伺えますか。」
ヴァルム先生が驚いた顔をした。
「……グラウさんの言う通り、第三条には総合勘案の規定があります。」
ヴァルム先生が慎重に言った。
「学科成績が優秀であれば、それは考慮されるべき要素です。」
ゼルムが副担任を見た。長い沈黙があった。
◆ ◆ ◆
「再審査とする。」
ゼルムが最終的に言った。
「一週間後に改めて審査を行う。その間に実技の改善を示すこと。」
「承知しました。」
「下がれ。」
審査室を出た。廊下に戻る。
——予想通りの展開だった。
ゼルムは「留年」を即決しようとしたが、規定の条文を突きつけられて退いた。
一週間の猶予ができた。
ノートを開く。記録する。
「ゼルム:進級審査で留年を推奨→規定第三条を提示→再審査に変更。一週間の猶予。」
一行追加した。
「問題:再審査で『実技の改善を示すこと』を求められた。内部魔力だけで基準を満たすのは不可能。根源律変換式を全面使用すれば可能だが——露出のリスクがある。」
ペンを止めた。
——使える手段は何か。
◆ ◆ ◆
廊下の窓から、中庭が見えた。
一週間。
実技で「何かを見せる」必要がある。
根源律変換式を全面的に使うことはできない。
重ね合わせ術式は検証中でまだ不安定だ。
振動術式——使える。
野外実習で使った。
魔物の感覚器官への干渉。
あれは「目に見える効果」があった。
採点基準の「出力量」には満たないかもしれない。
でも「精度」と「速度」なら——
計算できる。
ノートに数式を展開し始めた。
振動術式の改良。
消費魔力を内部魔力の範囲内に収めながら、採点基準の「精度」項目で高い評価を取るための最適化。
完全な解ではない。でも——
今ある変数で、最適解を出す。
それが、数学者のやり方だ。
灰色の瞳が、数式の上で静かに動いていた。




