第二十一話 観測者の条件
——魔法学院 北棟 非常階段 放課後
「一つ頼みたいことがある。」
昼休みではなく放課後を選んだ。
時間が必要だからだ。
セインが私を見た。
「何だ。」
「実験の被験者になってほしい。」
「……被験者。」
「危険はない。ただ見ていてもらうだけだ。」
セインが少し黙った。
「内容を先に言え。」
「重ね合わせ術式の外部検証だ。私が術式を展開した時、あなたの目にどう見えるかを確認したい。」
「……やってみる。」
◆ ◆ ◆
踊り場の中央に私が立った。
セインは壁際に座ったまま、正面から見える位置だ。
「今から術式を展開する。あなたの目に私がどう見えるか、変化があれば教えてくれ。」
「変化、か。」
「輪郭が変わるとか、存在感が薄くなるとか、何でもいい。感じたことをそのまま言葉にしてくれ。」
セインが頷いた。
目を閉じた。
根源律変換式を起動する。
世界の底から細く糸を引く。
それを基底に、重ね合わせ術式を展開する。
収束遅延係数τを最大に設定した。
……来る。
◆ ◆ ◆
「……。」
セインが黙った。
三秒。五秒。十秒。
「どうだ。」
私は術式を維持したまま聞いた。
「……お前、いるよな。」
「いる。」
「いるんだが——」
セインが立ち上がった。
「魔力の輪郭が、読めない。」
——予想と違う反応だ。
「詳しく言ってくれ。」
「闇属性は、他者の魔力の流れを感じ取れる。感じ取る、というか——見える。お前の魔力は普段、灰色の細い糸みたいに見える。でも今は——」
セインが私の周囲を一歩動いた。
「糸が、ない。いや、あるんだが、どこにあるか分からない。同時にどこにでもあるような感じがする。」
◆ ◆ ◆
術式を解除した。
「今は。」
「戻った。灰色の細い糸が見える。」
私はノートを出した。手が動き始めた。
——闇属性には魔力の流れが「見える」。
重ね合わせ術式は術者の存在を未確定状態に置く。一般の観測者には「認識されにくくなる」効果を想定していた。でもセインの反応は違う。
「同時にどこにでもある」——これは量子力学的に正しい記述だ。波動関数が収束していない状態を、闇属性の感覚が正確に捉えている。
「セイン。もう一度聞く。術式を展開中、私の姿は見えていたか。」
「見えていた。」
「存在感は薄くなったか。」
「薄くなった、とは違う。……どこにいるか分からなかった、が正確だ。いることは分かる。でも位置が定まらない。」
「外部観測結果:一般観測者→存在認識が低下(予想通り)。闇属性観測者→存在は認識されるが位置が不確定に見える。波動関数の未収束状態を闇属性の感覚が直接捉えている可能性。」
◆ ◆ ◆
「もう一度やる。今度は目を閉じて感じてくれ。視覚ではなく、魔力の感覚で。」
セインが目を閉じた。
術式を展開する。τを最大に。
「……面白いな。」セインが言った。目を閉じたまま。
「何が見える。」
「見えるというか——感じる。お前の魔力が、一点にない。部屋全体に薄く広がっている感じがする。でも——」セインが少し止まった。「根っこは、ある。どこにいるかは分からないが、存在していることは分かる。」
「根っこ。」
「魔力の一番深いところ。それだけは、位置がある。」
私は術式を解除して、その場に立ったまま少し考えた。
◆ ◆ ◆
——重要な発見だ。
重ね合わせ術式は表層の魔力を「未確定状態」に置く。
でも根源律との接続——世界の底への繋がり——はそのまま残る。
闇属性の感覚は表層の魔力ではなく深層を読む。だから重ね合わせ術式を展開しても、根源律の「根っこ」が見えてしまう。
「修正:重ね合わせ術式の隠蔽効果は、表層魔力に対してのみ有効。根源律接続部分は隠蔽されない。闇属性術者には位置は不明だが存在は確認される。——術式の改良が必要。」
「何か分かったか。」セインが聞いた。
「分かった。あなたのおかげで欠陥が見つかった。」
「欠陥か。」
「改良する余地があるということだ。欠陥は設計の問題であって、根本の否定ではない。」
セインが少し笑った。「……お前、欠陥が見つかっても全然落ち込まないな。」
「落ち込む理由がない。欠陥が見つかった方が、完成に近づく。」
◆ ◆ ◆
「一つ聞いていいか。」セインが言った。
「どうぞ。」
「根源律の根っこが見えた、と言ったが——それは、俺にしか見えないのか。」
私は少し考えた。
「今日の結果では、闇属性の深層感知には見える可能性がある。他の属性では——まだ検証していない。」
セインが少し黙った。それから静かに言った。「もし誰かが、闇属性の感知能力を使って根源律の位置を調べようとしたら。」
私の手が止まった。
——計算していなかった点だ。
「新仮説:闇属性の深層感知を利用すれば、根源律の位置を間接的に特定できる可能性がある。——セイン経由で判明。要検証。」
「……鋭い指摘だ。」私は言った。
「俺の属性が役に立ったか。」
「立った。今日最も重要な観測結果はそれだ。」
セインが窓の外を向いた。何も言わなかった。
でも、少し姿勢が変わった気がした。
◆ ◆ ◆
——観察結果:セイン・ノワールの闇属性は根源律を感知できる。欠陥と呼ばれてきた属性が、最も深い層に届いている。
ノートを閉じた。
踊り場の夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばしていた。




