幕間 愚弟のこと
——クロイツ公爵家領 公爵執務室 朝
窓から領地が見える。
よく晴れた朝だ。
麦畑が風に揺れている。
小作人たちが働いている。
全て、私の管理下にある。
エルネスト・ヴァンドール=クロイツ。
クロイツ公爵家当主。
筆頭公爵。光属性。
第一王女の夫。
この国で最も高い場所にいる。
◆ ◆ ◆
書類を処理していた時、執事が報告を持ってきた。
「オルヴァン様の研究に関して、王立魔法協会から進捗報告が届いております。」
オルヴァン。
その名前を聞くたびに、僅かな——ほんの僅かな——不快感が走る。
習慣的なものだ。もう慣れた。
「読む必要はない。記録として保管しておけ。」
「かしこまりました。」
執事が下がった。
◆ ◆ ◆
窓の外を見ながら、少しだけ考えた。
オルヴァン・クロイツ。
父が平民の妾に産ませた、三番目の子どもだ。
クロイツ公爵家は光属性の血統だ。
代々、光を操る者が家を継ぐ。
それがこの家の誇りであり、この国における我々の正統性の根拠だ。
なのにあの子どもは——土属性だった。
父が妾に手を出した結果がそれだ。
血が薄まれば属性も薄まる。当然の帰結だ。
私は子どもの頃からそれを知っていた。
オルヴァンが土属性だと分かった日、父は何も言わなかった。ただ書類に何かを書いていた。
——失敗作の処理をしている顔だ。
そう思った。今も変わらない。
◆ ◆ ◆
継承の儀の日、私は固有魔法を発動させた。
「光の絶対支配」——クロイツ公爵家に代々継承される、最上位の術式。
大広間が白く染まった。列席者全員が跪いた。
一人だけ、跪かなかった。
オルヴァンだった。
膝が動かなかったのか、動かさなかったのか。
どちらでもよかった。
ただ——目が、気になった。
憎悪ではなかった。嫉妬でもなかった。
計算していた。
あの時から分かっていた。
あの男は、いつか面倒なことをすると。
だから先手を打った。
◆ ◆ ◆
研究者としての地位を用意してやった。
王立魔法協会の特別研究部門。
予算は十分に。人員も。設備も。
条件は一つだ——公爵家に近づかないこと。
愚弟がどんな研究をしようと、私には関係ない。ただ、公爵家の名前を汚さなければそれでいい。妾腹が研究者として生きるなら、それは許容範囲だ。
これは情けだ。憐れみともいう。
血を引いていなければ、存在すら認めなかった。
◆ ◆ ◆
「光の絶対支配」は闇属性を無効化する。
それがこの国では「光が闇を支配する」という神話になっている。
私が広めたわけではない。
自然にそうなった。
でも——否定もしなかった。
その神話が公爵家の政治的権威を支えている。
光属性が高貴とされ、闇属性が危険視される。
それがこの国の秩序だ。
秩序は、維持するものだ。
◆ ◆ ◆
もう一つ、執事から報告が来た。
「協会の公証記録に、オルヴァン様の研究領域に近い申請が入ったようです。保証人はアストラ子爵家の次男とのことで——」
「アストラ子爵家。」
私は少し止まった。
我がクロイツ公爵家の「アストラ」の姓を遠縁に持つ家だ。商会を経営していると聞いている。協会とも取引があるらしい。
「申請者は何者だ。」
「魔法学院の一年生とのことです。グラウ・ルナという無属性の子どもで——」
「無属性。」
私は書類に視線を戻した。
——無属性の子どもが、オルヴァンの研究領域に近い術式の公証を申請した。遠縁の子爵家の次男が保証人になっている。
オルヴァンが絡んでいるのか、それとも無関係か。どちらにせよ——
「記録として保管しておけ。必要であれば後で確認する。」
「かしこまりました。」
公爵家には届かない話だ。
そう判断した。それ以上は考えなかった。
◆ ◆ ◆
第一王女を妻に迎えた日、私は完成したと思った。
筆頭公爵家。
王家との血縁。
この国で最も高い場所。
父が作ったものを、私が完成させた。
オルヴァンのことは、もう頭にない。
研究者として生きているなら、それで十分だ。
公爵家から遠い場所で、公爵家に関係のない仕事をして、公爵家の名前を持ちながら公爵家と無関係に死ぬ。
それが、私があの男に用意した人生だ。
——せめてもの情けだ。
◆ ◆ ◆
執務に戻った。
書類が積まれている。
領地の管理。
税収の記録。
王家との連絡。
やることは多い。
窓の外、麦畑が風に揺れていた。
全て、私の管理下にある。
——この国で、最も高い場所にいる。
それだけが、今日も変わらない事実だった。




